自由とは

自由のイラスト

自由とはは外的束縛や強制がなく、自分の意のままに振る舞うことが出来ること。

束縛とは

お焚き上げ供養で悩んだら

束縛とは縛り付けて捕えることで、実際に縄で縛られるようなことがありますと、自分のしたいことが何も出来なくなります。

私達の世代の子供の頃には、悪いことをした時に親から柱に紐で縛り付けられたり、物置小屋に入れられて鍵を閉められたりという事が普通に行われていました。

しつけとしての方法なのですが、今の時代では間違いなく虐待と言われますが、少し前の時代までは親というものはとても恐い存在で、逆らうことが出来ないような強い存在だったのです。

もちろん散々泣きわめいて反省した頃には解放してくれるのですが、両手を紐で柱にくくりつけられるだけで何も出来なくなってしまいます。

痒い所があってもかくことが出来ませんし、おしっこをしたくなってもトイレにも行けません。

束縛されることは苦しみを与えられることなのです。

不動明王大日如来化身として仏法に従わない者に対して力づくで救うために左手には羂索という縄を持っているのです。

束縛の要素

太古の昔から私達の祖先が命を繋げて来てくれたおかげで今こうして私達が生きているのですが、私達の御先祖の人達はそれぞれの時代に於いて様々な束縛を受けてきたのです。

職業の束縛

ものづくり作業員のイラスト

江戸時代の「武士」階級は実力を付けて成り上がる人も居ましたが、「穢多」「非人」などの低い階級の人は世襲制であり、生まれながらに位置づけられていますので、住む場所が限られている、職業の自由が無い、結婚の自由が無いなどの束縛を受けていました。

職業的な世襲制としては我が国では古来より天皇は完全に世襲制であり、生まれながらに皇族として、或いは日本国の象徴としての模範的な運命を背負い、自分では自由な職業の選択が出来ませんので、ある意味人生を捧げる覚悟の出来る方しか勤まらない仕事であり、大変なご苦労だと思います。

現代では家業をしている家の長男や寺院の長男ともなれば親からは跡取りとして期待されるのですが、親の苦労を見て育った長男は後継者になることを拒み、公務員などの道を選ぶことが多々あり、職業選択の自由は保障されているのです。

私達は能力的に無理なこともありますが、自分の希望する職業を選ぶことが出来るという、自由な身であることに感謝すべきです。

住む場所の束縛

住む場所の束縛のイラスト

江戸時代には武士・百姓・町人のほかに「穢多」「非人」という身分が定められていました。

「穢多」(えた)とは、穢れ(けがれ)から来ていると言われ、人が嫌がるような職業についている人の事を指しています。

例えば、動物の皮を加工している者や死者を葬る職業、罪人の処刑などの様々な仕事がありました。

「非人」は、戦争に負けた側の人々や罪人や奴隷として捕らえられた人々が主な構成者で、「非人」同士で生まれた人も該当しました。

「穢多」「非人」は職業はもちろんのこと、住む場所も特定の地域に決められていました。

男尊女卑

エレベーターのレディファーストのイラスト

今の時代はレディーファーストなどの言葉にあるように女性や社会的弱者の方を優先させる取り組みがいろんな所で行われています。

少し前の時代まで「男は外で働き女は家庭を守る」という家族の姿が美徳とされ、外で働いてお金を得てくる夫の方が偉くて、家で家事をしている妻は夫に従うべきであるという考え方が主流でした。

昭和の時代までは確実にそのような考え方が当たり前であったように思います。

1983年に放送されたNHK連続テレビ小説「おしん」は最高視聴率62.9%という驚異的な数字で日本中の話題となったドラマでしたが、戦中と戦後の混乱期を逞しく生きた女一代記として、おしんに襲い掛かって来る様々な困難に対して耐え忍ぶ姿が感動を呼んだのです。

昭和の初期の頃の家庭では家族で食事をするにも夫のおかずだけ豪華であったり、お風呂は先、朝起きた時には朝ごはんの準備が出来ているなど、夫が優先の家庭であり、会社に於いても女性の仕事は掃除や書類のコピーやお茶くみばかりと、まさに男尊女卑の社会でありました。

今の時代のように女性が自由に社会進出したりする機会は極端に少なかったという意味では束縛されていたのです。

家庭の中でそれぞれの立場を尊重し、相手の幸せのために尽くすことを教えてくれるのが毘沙門天です。

毘沙門天は妃の吉祥天、子の善膩師童子と共に家庭を守り、幸せのあるべき姿を説いておられます。

吉祥天女のイラスト

吉祥天は毘沙門天を支えながらも善膩師童子の良き母として、手に持っている摩尼宝珠からは幸せを出し続けているのです。

思想の束縛

思想の束縛

私達は勉強する内容についても制限なく学ぶことが出来、同じ考えを持つ者同士が集まって議論することにも制限がありません。

国家の運営についての反対する意見を述べた所で警察に捕まるようなこともありません。

しかし世界中を見渡してみますと、国家に反論したり議員の不正を正そうとする意見を述べたら即刑務所に入れられたり、場合によっては死罪になったりする国がありますので、そういう意味では私達は安心して自由な意見を述べることが出来ます。

国家の束縛

廃仏毀釈のイラスト

明治維新以降に明治政府は神仏分離を推進して宮中行事における仏教行事の排除をおこなったことから廃仏毀釈の機運が高まり、全国各地で仏教寺院の弾圧、寺宝の焼却、寺領の没収などが行われたために僧籍を離れる者や神官になる者が続出し、仏教寺院の荒廃が著しく進んでしまいました。

真言宗の寺院も廃仏毀釈の影響で廃寺になったり貴重な寺宝を失ったりしましたが、二度とこのような事が起こらないようにしないといけません。

寺院や神仏像は後世に伝えるべく尊い財産です、伝統の灯を守り抜きましょう。

火を付けたり捨てたりすることは仏法に対する冒とくです。

寺社で頂いた御札や御守は頂いた寺社にお礼を添えてお還しし、焚き上げてもらいますが、これは宗教儀礼であり、捨て去ることではありません。

自由な時代は稀なこと

自由な時代

戦争が全く無かった時代である平成の時代が終わり令和の時代に突入したとたんに新型コロナが世界中に蔓延して死者が増え続け、ウクライナとソ連との戦争は世界へと飛び火しそうな雰囲気で、世界は確実に戦争の影響を受けています。

物価は上がり続け、エネルギー危機、経済危機も迫っています。

「今日は何事も起こらなかったけれど明日はどうなるか分からない」時代に突入してしまいました。

釈迦は王子の身分でありながらも自分の国を護るリーダーとなることを捨てて絶対的な安楽の境地を求めて出家しました。

周囲の国々が絶えず戦争を続けていて弱い国が強い国に滅ぼされる現実を見ていて、自分の国も何時かはそのような運命にあることを悟っていたのです。

しかし釈迦の出家は自分の国を見捨てるのではなくて、絶対的な安楽の境地に案内するための先駆者としての役割を果たすためだったのです。

本当に戦争に突入してしまったら修行している場合ではないので、今しかないと思ったのです。

そして生きている時間があまりにも短すぎるから、今しかないと思ったのです。

私達も今は周囲が騒々しいけれどまだ自由であることを認識し、少しでも魂を向上させるために修行する、そういうために自由な時間を使わないと勿体ないのです。

今はまだ自由な時代です、自由を大切にしましょう。