病魔退散とは
病魔退散とは病気の原因とされる魔物を退散させる祈願やお祓いのこと。
魔物の仕業
現代のように医学の普及していなかった明治時代以前には、コレラや天然痘などの疫病が流行ると人々は何をしたらよいのか分からぬまま怪しげな民間療法や祈祷師の祈祷に頼るも虚しくバタバタと死んでいき、疫病の原因は魔物の仕業とされていました。
私達の身の回りに魔物が棲んでいて、不治の病を撒き散らすことが伝染病だと信じられていたのです。
病気を撒き散らす厄病神と言われる神が近付かないように、そして近付いても早く退散するように祈祷するのが病気に対する重要な対策なので、寺院では病魔退散の祈祷が行われ、巷では験力のあるとされる祈祷師による祈祷が行われていたのです。
現代の魔物
現代の最新医療でも治すことが出来ない原因不明の病気が数多く存在し、様々な専門病院をたらいまわしにされた挙句の果てに病状が悪化していく人の多いこと。
特に都会で暮らす人達は人間関係のトラブルに巻き込まれて精神を病み、それが長期化して体を蝕むようなことが多く、何となくだるい、疲れが取れない、夜眠れない、などの症状が慢性的に続き、苦しい現実から逃避したいと真剣に思うようになるのもある意味魔物の仕業かもしれません。
現代医学では病気の原因である病原菌や細菌、細胞などの働きを解析する機器や技術に関して飛躍的な進化があり、私達の肉眼では捉えることの出来ないミクロの世界で起こっている現象を明らかにしてくれる功績は素晴らしいことです。
しかし癌の細胞にしても私達の体の中に普通にある細胞が何故突然正常な細胞を攻撃して爆発的に増えだすのかという根本的な仕組みに関しては未知の領域であり、癌の治療法は進歩していますが、撲滅することなど不可能であり、それはやはり根の深い所に魔物が棲んでいるとしか言いようがありません。
病魔を退散する方法
病気になった場合には絶対に治るという気持ちが大切で、その気持ちが元気の「気」であり病気の「気」ですから、病気の原因を病魔に見立てて、その病魔を追い出すように念じ、行動することは最終的に病気平癒につながるのです。
病魔という魔物が体の中に潜んでいるとしたら、魔物を追い出さないと病気が治りませんが、一体どのようにして病魔を体の中から追い出すのでしょうか。
御札、護符
邪悪な心を持つ魔物は三宝、つまり正しい法を説く仏、仏の説いた法、法を広める僧を嫌いますので、神仏の法力の籠った御札や護符を避けようとします。
御札や護符を病人の傍に置くと魔物は逃げていきます。
百度詣り
百度参りとは寺社の入り口にある「百度石」と本殿との間を百回往復して祈願する方法で、普通のお参りの方法ではなく、どうしても叶えて欲しい願い事がある時に行う修行としてのお参りの仕方です。
写経
写経は経典を書き写すことですが、供養や修行、勉学のためなどの理由で行われています。
願掛けと言って願い事を叶えるための修行であり、病気で苦しんでいる家族に早く治ってもらいたい、子供の受験が合格しますように…など様々な願い事に対して写経したものは、ある程度まとまったら寺院に奉納します。
やすらか庵では書き終えた写経をお焚き上げ供養で願い事を天にお届け致します。
祈祷、祈願
昔から原因不明の病気にかかって医者に匙を投げられた病人は、祈祷師を呼んで祈祷してもらうのが定番でした。
魔物に憑かれた病人は祈祷師の祈祷を受けると踊ったり暴れたりしてトランス状態になり、やがて魔物が離れると気を失って倒れ、気が付いたら正気に戻るのです。
魔物が去って正気に戻ってからは何事もなかったかのように振る舞うのですが、こういう人はしばらくするとまた魔物に憑かれて同じことを繰り返すことが多いようです。
やすらか庵では病魔退散の祈願を行っています。
魔物というものは実は自らの心の中に棲んでいて、元気と病気の戦いのようなものであり、元気の心に満ちている時には病気になりませんし、病気になってもすぐに回復しますが、病気の心に支配されてしまうと心と体の両方が病んでしまい、何をやっても上手くいかないようになってしまいます。
病魔とは人の心に棲んでいて一人の人間を攻撃することもあれば、世の中全体に蔓延して多くの人を病に陥れることもあるのです。
毘沙門天の強い力を受けることにより、病魔は必ず退散致します。
毘沙門天祈願は御札や御守の頒布、祈願、祈祷を行っています。