戒名と位牌

大切な人が亡き人になった場合、どこに語り掛けるかと言ったら、やはり遺骨ではないでしょうか。しかし遺骨の中に故人様の魂が入っているのでしょうか。

亡き人の魂は何処にある

亡き人の魂

私達の体の中には細胞があり、何かを考えたりする作用は脳にありますが、果たして魂は何処にあるのでしょうか。脳にあるのでしょうか、それとも胸の中にあるのでしょうか。

肉体とは

肉体とは

人は肉体と魂とで構成され、肉体は目に見えますが、魂は目に見えません。肉体は細胞から出来ていて、古い細胞が死ぬことと、細胞分裂で新しい細胞が生まれることを毎日繰り返し、人体は1日で1兆個もの細胞を入れ替えているそうです。

毎日生まれ変わる細胞ですが、私達が生まれることが決定した瞬間から両親の細胞を頂いて分裂した結果として今の肉体があり、いつしか死ぬ時が来たら自然に還すということを繰り返しているのです。

自然に還すという時点で細胞が途切れてしまうのですが、若くて元気な内に次の細胞にバトンタッチしておけば、命としてのバトンは繋がります。

魂とは

魂とは

魂とは私達を動かしている根源であり、エネルギーでもあります。私達が果てしない時空を超えて旅しているとしたら、その旅をしている本体が魂です。肉体が滅びたら何もかも終わりと思う方には魂の存在はありません。

私達が悪い事をした時に申し訳ないなと思うのが魂の本性であり、良いことをした時や人に感謝された時に嬉しいと思うのも魂の本性です。

魂は本来とても純粋なもので、心で言いますと仏の心であり、仏の心とは自らのことは省みず、他を利する心です。

利他行とは他を利する行いです…利他行のすすめ

そういった純粋な魂が皆の中に平等にあるにも関わらず、邪悪な心が芽吹くのは、私達の心の目が曇っていて、心の耳がふさがっていて、純粋な魂の声が聞こえないからなのです。

魂の浄化

清めの水の写真

魂の純粋な声は本来私達は聞こえるはずなのに、聞こえないのは、煩悩と言う欲望に絡んで自分のことだけしか考えられないからです。魂の浄化をするためには、他の幸せを願うことをするに限ります。

亡き人の魂

魂のイラスト

人は亡くなったらすぐに肉体から魂が離れ出します。そしてその肉体から離れた魂は、当分の間自分がどうなっているのかを理解することが出来ません。しかしロープの外れた船みたいに漂流していき、留まることが出来ませんので、白木の位牌を急いで作り、その位牌に魂を繋いでおくのです。

お葬式の間も故人様の遺体の前には、必ず位牌がありますし、火葬をして遺骨の姿になって家に帰る時でも戒名の書いてある位牌は魂の案内役をしています。

こうして位牌に案内されて家に帰った故人様の魂は遺骨ではなくて、位牌に降りて来るようになるのです。

お墓に納骨

お墓に納骨

家にお祀りされたお遺骨は、四十九日の法要が済みましたらお墓に納骨されます。お墓の役割は肉体が土に還ると共に、石で出来た墓石にも魂が降りて来るようにするためです。

仏壇の位牌

仏壇の位牌

四十九日の法要の時には白木の位牌閉眼供養し、この日のために予め準備しておいた塗りの本格的な本位牌開眼供養して故人の魂が仏壇の位牌に降りて来るようにします。

亡き人の任務はこの世の人を守ること

秋のお彼岸-お墓参りのイラスト

亡き人があの世に行くということは新たな旅立ちであり、亡き人の魂にとってはとても大変なことなのですが、魂というものの本来の願いは、他の魂の浄化であり、当然のことですが、縁のある方へ作用することとなります。

魂の浄化と言っても分かりにくいので、幸せのことであり、幸せになることを望んでおられるのです。私達が道を外れないよう、そして喜びを感じられるようにと願い、守ることが亡き人の任務なのです。

位牌は粗末にしないこと

位牌の作り直し

せっかく位牌を作っても、気持ちが離れてしまい、大切にすることが出来ずに埃を被っているようでは、故人様に大変に失礼なことであります。少なくともじぶんが生きている間はしっかりお祀りさせて頂きましょう。

魂との交流とは

魂との交流のイラスト

人間というものは、生きていて目の前にお互いが見えている時が一番、喜びも悲しみも共有できるものですが、どちらかが亡くなってしまいますと、目の前に居ないという悲しみは相当に深いものです。普段から目に見える肉体の交流だけでは無くて、魂の交流をするように心掛けていれば、本当はもっと深い幸せが見えてくるのです。

亡くなったから居ないではなくて、亡くなっても居るのが魂であり、心の対話をすれば、最高に深い喜びを感じる事が出来るものです。そのために位牌は魂の交流のための訓練だと思ってください。

道のりは長いのです、修行は一生やっても成就いたしませんが、誰にとっても一生修行なのです。