密厳浄土とは

密厳浄土

密厳浄土とは大日如来の居られる浄土のことで、身密(身体・行動)、口密(言葉・発言)、意密(心・考え)の三密で荘厳された浄土であり、この世の世界が密厳浄土そのものであると説きます。

密厳浄土の様子

東寺曼荼羅の写真

遥か西方の彼方にある極楽浄土は阿弥陀如来の居られる浄土で、花が咲き乱れて宮殿は荘厳の限りを尽くし、穏やかな如来たちが平和に集う場所で、浄土教を信じる人達が目指す楽園ですが、大日如来の密厳浄土は極楽浄土と同じ浄土でしょうか。

この世が浄土

大賀ハスの写真

密厳浄土は密教の思想と深い関係があります。

密教では即身成仏と言って身口意の三密の実践、つまり

  • 身(体の作用、印を結ぶ)
  • 口(口の作用、真言を唱える)
  • 意(心の作用、仏を瞑想する)

の修行を積み重ねることにより、その身のままで仏になると説かれています。

「三密」とは密教用語で身密、口密、意密のことであり、宇宙の生命現象はすべて身(身体)、口(言葉)、意(心)という三つのはたらきで成り立っていると説いています。

真言密教では手に仏の象徴である印を結び(身密)、口に仏の言葉である真言を唱え(口密)、心を仏の境地に置くこと(意密)によって、大日如来と一体になることを目指しています。

この世で修行することにより、その身のままで仏になれるのですから、この世の世界が密厳浄土であると説かれるのです。

身口意行の実践が必要

密教の修行では身口意行の実践が大切ですが、大日如来と一体となることが出来れば、この世であっても大宇宙であっても密厳浄土に成り得るのです。

今私達が居る場所も密厳浄土に成り得るのなら誰もが皆密厳浄土に居ることになりますが、密厳浄土が見えるか見えないかという話になれば、普通の人は見えないのであって、身口意行が完成された人にしか見えない浄土なのです。

大日如来は何処にでも居る

大日如来は宇宙-イラスト

大日如来は宇宙そのものでもあります。宇宙は無限のエネルギーを持ち、成長しては滅びることを繰り返しています。宇宙の仕組みは最近では随分と分かるようになってきましたけれど、まだ分からないことだらけで、私達が知ることが出来るのは、ほんの少しの世界のことだけなのです。

大日如来は私達の世界にも居られますので、何処にでも居られるということになりますが、大日如来の居られる所が浄土なのですから、何処でも浄土ということになるのです。

但し私達は大日如来の存在を意識しないと、そこに居られるという事が理解できませんので、大日如来の存在を体得するために日々修行するのです。

密厳浄土と修行について

密厳浄土は大日如来の浄土ですが、私達は大日如来と一体化することによって大日如来の浄土を体験することが出来ます。

大日如来は何処にでも居られることから、私達の人間世界も含めて全宇宙が密厳浄土なのですが、私達凡夫にとっては心の眼が曇っていて真の浄土の姿が見えない状態であり、心の眼の曇りを取り除くための修行として身口意の三密行が必要なのです。

私達は修行することによって心の眼が綺麗になり、密厳浄土の姿が見えるようになれば大日如来のことや宇宙の真の姿まで分かるようになってくるのです。

ある意味密厳浄土は宇宙そのものであるために、広くて大きい浄土であり、大日如来の明るくて暖かい光に包まれた荘厳なる真実の世界なのです。

真の浄土とは私達が想像するような豪華絢爛の世界ではなくて、ありのままの姿が光り輝く世界なのかもしれません。

私達は何もしないで浄土に行くことは出来ません。

極楽浄土でも阿弥陀如来に対する深い信仰心が無いと到達できません。

密教は密厳浄土に至るための修行法を示しているのです。