真理とは
真理とは何時の時代になっても、何処の場所にいっても変わらない正しい真実の道理のこと。
変わっていくものばかり
私達は誰でも生まれた時から時間が経つにつれて年齢を重ね、大人になって結婚して家庭を持ち、子供が生まれて家族となり、その子が成長して大人になり結婚する頃には爺さん婆さんと呼ばれるようになっているのです。
何時までも若くありたいと思っていても私達の肉体は時間の経過と共にどんどん老化していくのですから、常に同じ姿ではなくて、変わり続けるものなのです。
幸せの姿にしても家庭を持ち子供を持つことが幸せだと信じてそれが実現しても、やがて何時かは必ずその家族とお別れする時が来ますし、お金持ちになることが幸せだと信じてそれが実現しても、死んでしまったら死後の世界にまではお金を持って行くことが出来ません。
この世の中のものは全てが変わりゆくものであるという事実が真実であり、仏教では諸行無常と言います。
変わらないもの
この世の中に存在する物は全て変わりゆくという事実が仏教では「諸行無常」と言われているように、釈迦が悟った内容は何時の世でも何処の世界でも同じように通用する真実であることから、釈迦入滅後2500年以上も経過した現代に於いても輝き続ける真実の教えが真理なのです。
釈迦在世当時のインドでは大小様々な国が勢力争いをしていた時代であり、小国が大きな国の属国として吸収されることを繰り返していたので、コーサラ国の属国であるシャーキヤ国の国王シュッドーダナを父とし、隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘マーヤーを母として生まれた釈迦は、王子としての身でありながら、何時大国に滅ぼされるかも分からないという不安と背中合わせの日常が、真の安楽の境地ではないということを悟り、王子の身分を捨てて、絶対不変の安楽の境地を求めて求道の旅に出たのです。
誰が見ても正しい
真理とは誰が見ても正しいことであり、利害関係など全く関係の無い事実のことです。
私達は間違っていると思いながらも仕事としてしなければいけないことがあります。
悪いと思いながらも止められないこともあるのです。
仏教では「悪いことはしない、正しい事をする」ことを説いています。
何時の時代であっても善いことをしなさい、悪いことはしてはいけません、というとてもシンプルな教えなのです。
善いことをするのに見返りを期待してはいけません。
悪いことをしている人を見て見ぬふりをするのはいけません。
しかし私達の心の中には欲望というものがあって、自分の欲望を満たそうという本能が優先するあまり、少々の悪いことをしても人が見ていなければ構わないじゃないか、私だけではなくて皆が同じようにやっている悪事だけど、これは世渡りというものだ、などの理屈をつけて悪事を重ねているのです。
実際問題誰が見ても正しい事だけをしようとしたら、仲間外れにされて誰も相手にしてくれなくなってしまいます。
しかし真理を実践するかどうかは一人一人が決める事であり、その結果の先に真理の世界が見えてくるのであれば、私達は正しいことを意識的に続けていくことで自らの心が穏やかになり、結果として正しい人達が周囲に集まってくるのです。