目次
縁起とは
縁起とはこの世の全ての現象が、原因や条件によって結果として成立しているのであって、原因や条件が無ければ結果も現れないということ。
縁起の使い方
縁起には仏教的な原因と結果としての縁起の他に、吉凶の前触れや物事の起こりとしての使い方があります。
縁起が良い、悪い
結婚式の日に嵐になって土砂降りの雨が降ったら、二人の新しい門出に対して水を掛けるみたいで良くないこと、つまり「縁起が悪い」と思われがちですが、こういう時には逆に「雨降って地固まる」などの言葉で祝福し、或いは「幸せが降り込む」「天からの祝福」などの目出度い言葉に変えて、却って縁起が良いとするものです。
他には
などの迷信がたくさんあります。
何かしらの原因や条件があったが故に良い結果につながりそうなことは「縁起が良い」で、悪い結果につながりそうなことを「縁起が悪い」と言います。
物事の起こり
寺社や神仏の開基、由来、霊験などを著した書物のことを縁起と言います。
物事の起こりがあったからこそ現在の姿があるということ、或いは過去を振り返って現在の姿に反映させるために縁起が使われます。
因縁生起について
仏教では結果として起こったことに関しては必ず「因」と「縁」があって、「因」と「縁」が揃って初めて「結果」が生じることを因縁生起(いんねんしょうき)と言い、因縁果とも言われます。
「因」とは直接の原因のことで、「縁」とは原因と結びついて結果を起こすもので、間接的な条件のことです。
自業自得とは
自分の為した行いの結果は自分が受けることを自業自得と言い、仏教の基本的な法則です。
善いことを行えば善い結果となり、悪いことを行えば悪い結果となりますが、結果はすぐに出るものではなくて、何時出るか分からないのです。
自分が生きている時に出るかもしれませし、死んだ後に出るかもしれないのです。
友達に悪戯をして逃げようとしたら壁にぶつかって怪我をしたとしたら、「悪戯をした」という原因が「壁にぶつかる」という結果につながったように思えますが、壁にぶつかった原因は先ほどの悪戯ではなくて、遥か昔に行った悪事の結果として出ているのかもしれないのです。
この場合自業自得の「業」は自分の行いのことであり、「因」と「縁」の中では「因」となり、直接の原因になります。
縁で運命が変わる
結果を生み出す大きな要素として大きな要素となるのが「縁」です。
男女の出会いも御縁で「良い御縁を頂いた」ならば幸せ一杯の人生が開けてくるでしょうし、「悪い御縁だった」ならば早く忘れるしかありません。
進学がゴールであるならば良い先生に出会うことで良い大学に行けるでしょうし、結婚がゴールであるならば素晴らしい相手に出会うことで良い家庭を築くことが出来るでしょう。
この場合にも誰に出会うかが「御縁」であり、御縁によって自分の運命が大きく変わってしまうのです。
進学、就職と順風満帆で歩んできた人でも悪い御縁を掴んでしまい、結婚生活が破綻してしまうこともあるのですから、縁によって人生良くも悪くも成り得るのです。
縁は他人の関わりである
「因」が自分の為した行いであるならば「縁」は他人の関わりですから、どうにも出来ない部分です。
「縁」に二種類あるとしたら「良縁」と「悪縁」です。
物事をうまく進めていこうと思ったら「良縁」を掴むことが成功の秘訣です。
「悪縁」を掴んでしまったら何をやってもうまくいきません。
しかしどうやったら「良縁」を掴む事が出来るのでしょうか。
良縁の秘訣
良い御縁を掴むためにはまず、自分の行いが正しく、清らかな行いである必要があります。
何故ならば「悪くて汚い行いには悪い御縁が付いてくる」「正しくて清らかな行いには良い御縁が付いてくる」ことが仏教の基本的な原理だからです。
善い行いを続けていれば必ず良い御縁が付いてくるのが世の中の仕組みです。
善い行いのためには
などのいろいろな修行法がありますので、是非実践してみて下さい。
心と体が浄化されていけば必ずや良い御縁に結び付いてくるものです。