成就とは
成就とは出来上がること、成し遂げること、完成することで、仏教では智と徳を完全に備えた状態のこと。
仏教の成就
仏教での成就は智と徳を完全に備えた状態のことを言います。
インドの仏教僧である世親の書いた「倶舎論」によると「得」には「獲」と「成就」の二種類があって、
- 獲…まだ得ていないが、今まさに得ようとしている状態
- 成就…獲終わって維持継続している状態
であると説きます。
仏教での成就は「身に備えた状態」ですから、智慧を完成させて体得した状態なのです。
在家の成就
在家の者にとって仏の智慧を完全に身に付けることは非常に困難なことで、在家としての日常の生活がありますし、人間としての幸せもあるのですから、日常生活の中で出てくる様々な問題や課題を完成させることが成就であり、寺院や神社に行って「学業成就」や「心願成就」「結婚成就」などを願うのは、誰もが人として普通の幸せになりたいと思っていることの証なのです。
在家の者の幸せは仏教的には煩悩と言われるものばかりですが、完成させても完成させても次の新たな欲望が出てきて執着してしまい、真の意味での完成が無いことが大きな特徴です。
しかし一つ完成する毎に有意義に得られるものがあれば、その一つ一つの積み重ねが究極の完成に必ずつながっているのですから、決して完成させることは無駄なことではありません。
目標を持つこと
目標とは現在自分が居る場所から見た到達地点のことで、人は皆何かしらの目標を持ってそこに到達するように努力しています。
人生の節目には、成績を上げたい、合格したい、結婚したい、などの目標がありますし、日常の生活の中では欲しい物を得たい、仲良く暮らしたいなどの目標があります。
どんな目標であっても持つことだけは自由で、世界一の大金持ちになりたいなどの目標を持っていても構いませんし、夢を持つということ自体がその人にとって幸せなのかもしれません。
目標が遠ければ遠いほど、そして高ければ高いほど、そこに到達するのに時間がかかりますし、労力も費やすものですが、あまり高すぎる目標や到底出来ないような目標を設定しますと、何時までも到達することなく苦しみ続けるかもしれません。
しかし目標があるからこそ、成就しようと努力できるのですし、努力したということ自体が尊い経験となって活かされていくのです。
目標を常に意識すること
目標というものは常に意識していないと見失ってしまい、無駄な努力ばかりを積み重ね、自分がどの方向に向かっているのか分からなくなってしまいます。
目標を明確に定めて常に目標を意識し、自分が今何処に居るのかを常に正確に把握するようにしましょう。
目標を正しく観るためには自らの心の修行が大切です。
修行とは
修行とは仏道の悟りを目指して体と心を使って魂の浄化と向上を目指し、規則を守り仏道に励むことです。
私達は常に湧いてくる欲望にまみれた生活をしていますと、心の眼が曇って何も見えなくなってしまいます。
物事を正しく観るためには心の眼が曇っていては何も見えませんので、心の眼を綺麗にする必要があり、心の眼を磨いて綺麗にするのが仏教の修行なのです。
心の眼が綺麗であれば、正しいか間違っているかの正しい判断が常に出来るようになり、目標や自分の居る場所がよく分かれば、目標に向かって正しく進んでいくことが出来るのです。
誰にでも出来る修行として「勤行」と「写経」「瞑想」そして「寺院参拝」を紹介しています。
成就を喜ぶこと
目標が達成出来たら大いに喜ぶことです。
家族と共に素直に喜びましょう。
達成するまでに苦労したのなら、大いに喜ぶことでその苦労は吹き飛びます。
そしてその成就は自分一人だけの努力ではなくて、多くの人が関わっていることを感じ取り、その人達に感謝すると共に、御縁を下さった神仏や先祖に対してお礼を述べましょう。
そうすることで成就の度合いが深まり、自分一人だけで為しえたものではないことを知り、仏の智慧に近づくことが出来るのです。