叱るとは

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叱るとは相手のことを思って強い口調で注意したりアドバイスすること。

叱ると怒るの違い

叱ると怒る

「怒る」とは自分のイライラの感情を相手にぶつけることで、「叱る」とは相手のことを思って注意するというのが一般的な解釈ですが、神仏の世界では相手のことを思って怒る毘沙門天や不動明王も居ますし、人間世界では間違った考え方や自分のエゴで相手を叱るということも現実にありますので、必ずしも「叱る」と「怒る」の明確な違いは無いと思います。

母親が子を叱る

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夫婦で子供と一緒に居て、子供がいたずらをしたような時には、どちらかと言いますと父親よりも母親の方が子供を叱ることになりますが、これは日常的に子供と一緒に居る時間が父親よりも長い事や、子供の世話をする割合が母親の方が圧倒的に多いことによります。

犬や猫などの動物にしても餌を与える人の言う事を聞くようになりますので、そういう意味では母親は子に対して母乳を与えることから始まって、食事の世話をしていますので、子が懐くようになった結果として母親への依存度が高く、母親が子を叱ることが多いのです。

子供に対しては叱ってばかりいますと萎縮してしまい、何も出来ない子になったり、反発心から全く言う事を聞かない子になったりするもので、本当に相手のことを思うのであれば危険だと思うことのみ理由を説明して叱り、むしろ褒めるということを増やした方が伸びていくのです。

叱られるのは嫌だけれど、褒められたら嬉しい、もっと褒められたい、ただそれだけのことですが、叱ると褒めるを上手に組み合わせれば良いのです。

プライドの高い人

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誰でもある程度の年齢を重ねて高齢になってきますと、誰からも叱られることが無くなってきます。

特に指導者的な立場の人なら、もし誰かに言動を注意されたりしても全く受け入れなかったり、自分に対して注するなんて何様だと、逆上することもあります。

プライドの高い人は他人から助言されたり叱られることを好みませんが、神仏から言われることに対しては素直に聞く人が多いのも事実です。

神仏に逆らうと怖いことを経験的に知っているのです。

神仏に叱られた

神仏に叱られた

昔から神仏に叱られたとか、バチが当たったなどと言われるのは、悪い事をした人に天が成敗することで、天罰とも言います。

昔から「誰も見ていなくてもお天道さまが見ている」と言われたもので、誰も見ていないからと言って悪事を働くのではなく、常に神仏や天に見られているのだから、叱られることの無い様に清く正しい行いをしなさいよという戒めなのです。

毘沙門天と「叱る」

毘沙門天と叱る

毘沙門天は鎧兜に身を包み足元には邪鬼を踏みつけて忿怒の形相で睨んでいますが、忿怒尊とは仏法を邪魔する諸悪に対しての怒りであって、それは私達が悪の道に走ろうとする時に叱る姿でもあるのです。

特に自分の利益しか考えない行動や、思いやりのない行動に対しては厳しく叱られます。

相手の幸せを願う利他行の実践を説いて居られるのです。

毘沙門天の叱りはまさに私達の幸せを願っての叱りですから、毘沙門天から叱られる人はとても幸せなことで、それだけ自分の事を思ってもらっているということなのです。

神仏と言っても如来などは悟りの境地が高く、説く法も高尚なので、私達の世界とは距離が離れている分、個別に叱るようなことがありませんが、たとえば大日如来化身と言われている不動明王は私達人間の世界に近い領域に居られますので、仏法に背くような人に対して叱ることがあるのです。

毘沙門天は私達の世界のすぐ傍に居られる神であり、妃の吉祥天、子の善膩師童子と共に家族の姿を取ることで私達人間世界の幸せを説いて居られるのです。