現世とは
現世とは三世と呼ばれる前世・現世・来世の一つで前世とも言い、今私達が生きている現実の世界のこと。
目に見える世界
私達が認識しているこの世の世界は私達の身体に備わっている目・口・鼻・耳・皮膚の五感で感じている世界で、誰もが大体同じ世界を感じていますが、人以外の虫や動物では私達が見ている世界とは違う世界を感じているのです。
物の見え方の違いは目の構造の違いによるところが大きいですが、光のエネルギーが様々な長さの波長で出来ていて、私達は特定の波長を目で捉えて脳で色として認識しているのであって、その波長のことを可視光線と言うのです。
可視光線はおよそ380nm~780bm(ナノメートル)の波長であり、可視光線よりも波長が短くなると紫外線、エックス線やガンマ線、宇宙線があり、可視光線よりも波長が長くなると赤外線、レーダー、FM、短波などがありますが、私達の目には可視光線以外の波長を感じることは出来ません。
但し可視光線以外の波長を感じる能力のある人がたまに居ますが、感覚的に敏感なことが多く、精神的に不安定になりがちです。
さういう意味では可視光線だけを感じることが出来るという私達人間が持つ目の色彩感覚は、多くの人が共に美しい物や景色に感動し合うという至福感を共有出来る素晴らしい機能なのです。
更に私達には頭の中で想像した世界や未知の世界を色や形のあるものとして作り出すことが出来るという素晴らしい能力も備えているのですから、五感をうまく使いこなせば無限の可能性を秘めているのです。
目に見えない世界
地峡上に飛び交っている光の波長は可視光線を除いて目に見えることはありませんが、広大な宇宙の中では可視光線よりもむしろ膨大な数のエネルギーの波長が飛び交っていて、その中には神々のエネルギーや言葉や真言マントラなども含まれています。
私達の身体にはそういったエネルギーを受けて取り入れるための器官が具わっていて、意識して動かさないと働かないようになっていますが、何もしないで眠ったままの状態でも普段の生活に何の支障もありません。
目に見えない神々の世界とつながるには真言を唱える事が基本で、その真言も数多く唱えていると、唱えている真言の波長と神々とのエネルギーが合一した瞬間が訪れるのです。
私達はこの地球上のほんの一部分で生活していますが、無限の広がりと無数の星が存在する大宇宙から見たらゴマ粒よりも小さく、私達が実際に目で見ている世界にしても、目には見えない世界の方が遥かに広くて大きいことを知る必要があります。
真実の世界
仏法ではこの世の世界で起こることは全て幻であると説きます。
私達が実際に目で見て、何人もの人が同じ境地を現実として共有しているのに、何故幻なのでしょうか。
それは今多くの人が見ている景色であっても、時間の経過と共に変化して移り変わり、何時かは必ず無くなってしまうからです。
長い目で見れば、時間の経過と共に消えていものは全て幻なのです。
仏教では永遠を見ているからこそ、刹那の瞬間の幻に惑わされてはいけないと説くのです。
子々孫々、永代に亘って続きますようにと丈夫な石で作ったお墓であっても千年どころか百年も続かずに墓じまいで消えていくか、草木に覆われた挙句の果てに撤去され無縁仏になるのです。
釈迦の悟りの一つに「諸行無常」がありますが、この世の中の物は常に移り変わり、永遠に続くものは何もないというのが真実なのです。
但し幻の世界ならこの世で散々悪い事をしても消えてしまうから良いではないか、と考えてはいけません。
幻の世界の中でも真実があるということを知ることが大切なのです。
この世の中の物が永遠に続かないからこそ永遠に続くものを知ることです。
どうせ消えてしまうような多くの物質に囲まれての生活が豊かさでなく、真の意味での豊かさは心が豊かになることであり、その豊かさとは自分を豊かにすることでなく、他を豊かにすることなのです。
私達の魂は過去世から現世そして来世へと永遠の旅を続けているのかもしれません。
永遠の旅の中で様々な幻の世界に降り立ち、それが幻だということに気が付かないままに悩み苦しみ、そして幻に執着して抜け出せなくなっているのです。