愚痴とは

愚痴のイラスト

愚痴とは、言っても仕方のない不平不満をくどくどと言い続けること。

愚痴をこぼす

愚痴をこぼすイラスト

こぼすとは液体や粒状のものを容器からあふれ出ること、或いは誤ってひっくり返すことです。

愚痴は抑えきれずに出てくるものですから、一杯に入った愚痴があふれ出る様子のことを「愚痴をこぼす」と言うのです。

愚痴とは抑えきれずに勝手に出てくるものですが、自分一人で言うのではなくて、誰かに聞いてもらうことによって共感してもらいたい、慰めて欲しいのです。

愚痴というものは言っても仕方のないものであっても、親身になって聞いてくれる人に対して言うものであり、愚痴を聞いてくれる人は良く出来た人なのです。

しかしお互いに愚痴の言い合いになったら大変に時間の無駄なのですが、お互いに愚痴が遠慮なしに言える関係は本当に親しい関係なのかもしれません。

仏教の愚痴

釈迦の説く愚痴のイラスト

 

仏教用語としての愚痴は「不平不満をくどくどと言い続けること」ではなくて「仏の智慧に暗いこと、物事の真実や道理を知らないこと」です。

私達が普段使っている愚痴の意味とは随分違うようですが、不平不満をくどくど言うことは「仏の智慧に暗く、物事の真実や道理を知らない」からだと言えばその通りです。

仏教では仏の智慧を学びながら物事の真実や道理を極めていますので、言っても仕方のないような不平不満をくどくど言う時間があるのなら、その時間を修行に使いなさいということなのです。

私達の行いには、体でする行いと口を使った言葉による行い、更には心で思う行いがあり、仏教では身口意業(しんくいごう)と言い、三業(さんごう)とも言います。

愚痴は口業になり、正しい法を説くのも口ですが、昔から「口は災いの元」と言われるように悪く使えば災いをも散らすのも口です。

愚痴は時には必要

僧侶の説明のイラスト

釈迦の仏法は愚痴を言うような暇があるのなら修行にいそしみなさいと説きますが、それは出家者のことであり、在家の者でしたら時々は構いませんが、ほどほどに。

在家者の愚痴

在家者の愚痴のイラスト

ママ友同士のファミレスでのママ会、時間を忘れてずっと喋っていて楽しそうで、内容が愚痴ばかりでも、それでも共感する部分があって私もそうだ、私もそうだと結構大盛り上がりですから、愚痴は良い意味でコミュニケーションの材料になっています。

こういう場では苦しい話や辛い話を真剣にするよりは、適当な愚痴を言って盛り上がっている方が楽しいものです。

最近のテレビ番組はゲストを呼んでのトーク番組がやたらと増え、これは製作費が安くて簡単に番組が作れるという制作側の意図が見えてしまいますが、普段は聞けない芸能人の家庭や職場、交友関係の愚痴を聞いて楽しむこともまた娯楽なのです。

在家者にとっての愚痴は無駄な時間かもしれませんが、愚痴によって相手を攻撃するものでなければコミュニケーションにもストレス解消にもなるのですから、上手く使えば良いのです。

愚痴をこぼしている時に親身になって意見を述べてくれる人は大切にしましょう。

自分と少しでも違う意見を聞くということは正しい智慧を身に付けるために必要な事であり、人とのコミュニケーションの中で常に何が正しいのかということを確認して行けばよいのです。

出家者の愚痴

出家者の愚痴のイラスト

出家者は愚痴などこぼしている場合では無く、仏法を広める、衆生救済など、やらなければいけないことがたくさんあるのです。

在家者の悩み・苦しみを取り除くことは出家者の大切な仕事でありますので、在家者からの相談に於いて愚痴ばかり言うような人に対しても聞くべきは聞き、それに対する正しいものの見方、考え方を説かなければいけません。

出家者にとっては愚痴を無くすことが大切であり、常に仏の智慧を習得し、物事の真実や道理を正しく身に付けることが修行なのです。