会うは別れの始めとは

「会うは別れの始め」とは、出会いがあれば必ず別れがあるという法則を端的に表した諺で、出会った時から既に別れが始まっているということです。
愛別離苦

生きていれば楽しいこともたくさんあるけれど、楽しい時はすぐに過ぎ去ってしまい、必ず苦しい時がやってくるものです。
しかも苦しい時間は長く続き、次々と新たな苦しみが襲ってきます。
釈迦は私達の苦しみの原因として四苦八苦があり、四苦とは
八苦になりますと四苦に対して更に
があります。
この中で「愛別離苦」とは愛する者と別れる苦しみであり、愛する人と何時までも一緒に居たいと思っていても何時かは必ず死別という別れがやってくるのです。
出会いは苦しみ?

仏教では私達が生活している凡夫の世界は生きていること自体が苦しみの連続であるために、苦しみの無い安楽の仏の世界に到達する方法を説いているのですが、簡単な方法ではありません。
衆生の世界は全ての人が出家修行者ではなく、煩悩にまみれた凡夫が圧倒的に多い世の中で、特に男女の出会いは楽しみであり、人として生きていくには必要なことですから、遊びに行ったり友達付き合いすることで新たな出会いが生まれるのです。
出会った人が自分と気が合うような人であったり、魅力的な人でしたら、刺激的で楽しい日々が待っているのです。
バラ色の人生とはまさにこのことで、凡夫にとっては生きる楽しみであり、生き甲斐でもありますから、別れることなど考えなければ出会いというものは幸せに満たされている瞬間かもしれません。
出会いは人生を豊かにし、自分一人では出来なかったことが出来るという意味ではあらゆることの可能性が広がっていくのです。
別れの時が来たら

楽しくて有意義な出会いによって心が豊かになれば、別れの事など考える必要がありませんが、運命というものは時に惨い結果をたぐり寄せ、否応なしに別れの瞬間が訪れることがあります。
覚悟していた別れならまだしも覚悟していない別れは辛いもので、一人ぼっちになってしまいますと涙があふれるばかりで何も出来なくなってしまいます。
特に愛する人との死別という別れは残酷で、二人三脚で歩んできた人生が終わり、闇夜の灯りが消えた家の如く、目の前が真っ暗で話しをする相手もなく静まりかえって空虚な時間が過ぎていくだけです。
別れることが辛いから出会うことは止めにしようと思っていても、人は一人で居ることが寂しくて、人に囲まれている方が安心出来る生き物なのです。
別れの時が来たら思い切り手を振って別れるしかありません。
別れる人を引き留めることが出来ないのなら、どんなに辛くても苦しくても思い切り手を振ってお見送りするのです。
別れの時が来たら全力でお別れすることが後悔しない別れになるはずです。
別れというものは去っていく人と見送る人があって、どちらも辛い立場に違いありませんが、私達が人間社会で生きていく以上は苦しみのあることは避けようが無く、苦しみを乗り越えて楽につなげていくには、苦しみの正体を正しく知ることが大切です。
私達は次々と襲い掛かる苦しみに対して心を乱すばかりですが、その苦しみが実は幻だとしたら、幻に振り回されてしまうだけの人生で終わってしまうかもしれないのです。
出会いも別れも実は同じこと、私達の人生は果てしなく長い旅の中のほんの一瞬の事であり、その中では無限の出会いと別れを繰り返していることを思えば、今の別れは未来の出会いに繋がっているのでしょうし、今の出会いは遠い過去の別れから繋がっているのかもしれません。
出会いと別れ、一瞬一瞬を大切に。






