四弘誓願とは
四弘誓願とは仏教徒として悟りを実現するために立てる誓いのことであり、如来になるために修行している全ての菩薩に共通する願いです。
四弘誓願の内容
四弘誓願は次の四つの誓いによって成り立ちます。
- 衆生無辺誓願度…この世に生を享(う)けたものは数限りなくいるが、一人残らず救うことを誓う
- 煩悩無量誓願断…煩悩は無数にあるが、その全てを断ち切ることを誓う
- 法門無尽誓願知…仏の教えは果てしなく深く広いが、その全てを知ることを誓う
- 無上仏道誓願成…この上ない悟りに必ず到達することを誓う
衆生無辺誓願度について
この世に生を享(う)けたものは数限りなくいるが、一人残らず救うことを誓うのか「衆生無辺誓願度」で、「度」は如来の世界に「渡す」という意味です。
衆生とはサンスクリット語でサットバ(sattva)を訳した仏教語で、「命ある者」「心を持つ者」の意味があり、輪廻転生で生まれ変わる六道の住人を指します。
この世に生きる全ての命だけでも無限に近いほどの生命があるのに、私達人間も含めた六道の世界である地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界の全ての命を救うことは不可能に思える誓いですが、菩薩はこの誓いを実現するまでは自分は仏にならないという誓いです。
煩悩無量誓願断について
煩悩は無数にあるが、その全てを断ち切ることを誓うことで「断」は全ての煩悩を断つということです。
全ての衆生を救うことよりも全ての煩悩を消滅することの方が実現しやすいと思いがちですが、人として生まれてきたからには、毎日煩悩が湧き続けていますので、一つ一つの煩悩を全て消滅することもまた難しいのです。
俗世間で生きる在家の人にとって煩悩は生きる楽しみでもあり、人としての幸せの秘訣でもありますが、煩悩の湧き出るに任せた行動は動物と同じであり、場合によっては他人を傷つけたり苦しめるようなことにつながってしまいます。
法門無尽誓願知について
仏の教えは果てしなく深く広いが、その全てを知ることを誓うことで「知」は仏の智慧を全て知るということです。
仏の教えは大宇宙のように広くて深い教えですから、私達凡人が容易に理解出来るものではありませんが、理解できないからと最初から諦めるのではなく、少しでも理解するように努力することが大切です。
仏の教えは私達が幸せになるための教えであり、平和を説く教えですから、学びそして実践することによって仏の教えが私達の生活に生かされるのです。
無上仏道誓願成について
この上ない悟りに必ず到達することを誓うことで「成」は成し遂げるという意味です。
この上ない悟りに到達するチャンスは誰にでも与えられているけれど、道のりがあまりにも遠すぎて、そして人間であることを捨てる覚悟で臨んでも到達できないのが悟りです。
しかし私達の魂が果てしない旅の途中で今ここに人として生きるチャンスを与えてもらっていることを思い、そしてもうこのようなチャンスが二度と無いかもしれないことを思えば、私達の生きている時間は短いのだから、出来るだけのことをしないと後悔することになるのです。
私達の人生は自分の人生なのだから、自分の好きなように生きていけば良いのですが、果たして何のための人生なんだろうと真剣に考えた時に、それは与えられた命の最後の瞬間に何が起ころうとも「これで良かったのだ」と思える人生にしたいものです。
私達が死ぬ瞬間に「助けてくれ」と言っても誰も助けてくれないけれど、自らの誓いを立てて修行に励む菩薩たちにとって、少しでも菩薩に近付こうとし、自ら誓いを立てて努力してきた人を見捨てる訳がありません。
「南無阿弥陀仏」もしかり、「助けて下さい」とすがる人を決して見捨てることはしないのが仏ですから、とにかく仏に近付こうと努力し、修行が満足に出来なくとも仏にしがみついて離れない気持ちでいれば、必ず救われるのです。