報恩謝徳とは

弘法大師

報恩謝徳とは、徳や感謝の気持ち、受けた恩に対して報いること、自分のできる限りのことをしようという気持ちのことです。真言宗の開祖弘法大師空海は感謝すべき四つの恩を説きます。

恩を受けて生きている

私達は一人で生きている訳ではありません、いろんな人の恩を受けて生きているのであって、知らず知らずの内に父母や周囲近隣などの恩を受けているのです。

弘法大師空海は「教王経開題」の冒頭部で四恩の大切さを示しています。

「若し恵眼を以って之を観ずれば、一切衆生は皆是れ我が親なり。是の故に経に云く、一切の男子は是れ我が父なり、一切女人は是れ我が母なり、一切の衆生は皆是れ吾が二親師君なりと。所以に衆生の恩に 須すべからく報酬すべし。世間の父母は但だ一期の肉親を育み、国王の恩徳も凡身を助くるのみ」

全ての男性は私の父親であり、全ての女性は私の母親であり、全ての衆生は私の両親であり、師君であると説いているのです。

四恩とは

中国・唐の般若訳、全8巻の「大乗本生心地観経」では、私達が受けている恩として、父母の恩・衆生の恩・国王の恩・三宝の恩の四恩を説いていますが、弘法大師空海もこの四恩の大切さを説いています。

父母の恩

私達は父母が居なければこの世に生まれてきませんでしたが、この世に生まれるという事自体、とても貴重なことであり、餓鬼や畜生に生まれてくる魂もあるのですから、そういう生まれ方をすれば修行など出来る訳がなく、仏法に接することもありませんでした。

そういう意味では父母の恩というものはとても有難いことです。

私達がこの世に、しかも人間の世界に生まれてくるということは私達の魂の永遠の旅の中で、類まれな事であり、勝手に産んだのだからとか、産んでくれるように頼んでいない、などのようなことを思っていたら、せっかく頂いた人としての御縁を台無しにしてしまいます。

衆生の恩

衆生とは周りの社会を支えている人達のことで、そういう人達が居なければ私達は生きていくことが出来ません。

一人一人が何かしらの役割を持っていて、スーパーで買い物するにもお金さえあれば何でも買えると思っていても、物を作る人が居て、運んで来る人が居て、販売する人が居てと実に多くの人が関わっているのです。

私達が便利で快適な生活が出来るのは、社会を支えている周りの人達のおかげなのです。

国王の恩

私達は今この平和な日本に生まれて来たことを心の底から感謝しなければいけません。

世界中を見渡せば、戦争や紛争の絶えない国や、病気や貧困にあえぐ国、自由の全く無い国などがあり、自由で平和な国に生まれてくるなんて、類まれなことなのです。

私達が平和に暮らせるのも国王、国家のおかげなのです。

三宝の恩

三宝とは仏教に於ける三つの宝、仏法僧のことです。

仏とは

仏とは悟りを得た方のことです。

悟りを得るには長い輪廻転生の中で修業をし続けた者が、求道の精神を貫き通した結果としてやっと成れた仏なのです。

法とは

法とは仏が説く真理の教えであり、法に依って私達は正しい判断が出来るようになるのです。

法は文字や音声で人から人に伝わっていき、法に依って真理を体得することが出来ます。

僧とは

法を説いて回るのが僧の務めであり、より多くの人に正しい法を伝えていくのが仕事です。

仏とその仏が説く法と、そしてその方を伝える僧がいて初めて真実の法は広まっていくのです。真実の法は迷い多き私達に真の幸福を教えてくれるものであり、私達は仏法僧のご縁が無いと真の幸福には近づいていけないのです。

感謝の心

感謝の心とは私達が受けている恩に対して、感謝の言葉を述べたり、感謝の気持ちを表すことです。

私達が恩を受けているという実感が湧けば自然に「ありがとう」の言葉となり、相手に対して感謝の気持ちが手向けられるのです。

ありがとうは仏教用語である