成仏とは
成仏とは菩薩の修行をすることにより悟りを開いて仏になることですが、一般的には人が死んでしまった、死後の世界に行った、極楽浄土に行ったなどの意味合いで使われます。
無縁仏と成仏
事故や殺人、自殺などで元気な状態の人が突然の死を迎えたような方は、無念の思いをこの世に残しているためにあの世の世界にたどり着くことが出来ないとも言われ、無縁仏になりやすいとも言われています。
生きたいという強い思いや、悔しいという強い怨念が残ってしまった場合には、死を正しく悟らせると共に、思いを和らげるための供養は有効です。
無縁仏になるという事は成仏できないと捉えられ、この場合の成仏は、あの世の世界に無事にたどり着くことが出来ないで彷徨っているという意味です。
葬儀で僧侶が行う引導作法とは亡き人をあの世の世界に正しく引っ張り導くという意味で、御本尊様の力と僧侶が行う作法の両方で仏の世界へと導くのです。
故人は成仏出来ましたか?
亡き人の穏やかな死に顔を見て成仏したと思う人が多いのは事実です。
もし最期の死に顔が苦しみに満ちた苦痛の表情をしていたら、最後のお別れに来た人はとても心苦しい思いをするでしょうし、成仏できただろうかと心配することでしょう。
それほど亡くなり方や最後の死に顔は私達に強烈な印象を与えるものです。
癌の末期症状になりますと、もはや治療ではなくて苦しみを軽減するための医療になってしまい、それでも亡くなる前には極限の苦しみを味わうことが多いのですが、苦しみながら亡くなった人の顔はやはり苦しみに満ちた顔のままで最期を迎えるもので、こういった場合には死に化粧師または納棺師という仕事の人が亡き人の顔を和らげて穏やかな表情に仕上げるのです。
私達は誰でももし最期の瞬間を迎えるのであれば、苦しみなく穏やかでありたいと思うものです。
高齢者の方がお参りするぽっくり寺に人気があるのはやはり、誰にも迷惑を掛けることなく穏やかに旅立ちたいという思いの証なのです。
即身成仏とは
真言宗の開祖である弘法大師空海は、生きたままで仏になることが出来る「即身成仏」を説いています。
この場合の仏とは大日如来のことで、大宇宙の根源となる仏のことです。
私達の体と心はそれだけで小さな宇宙を形成しているのですが、大宇宙とつながるための機能を持っていて、修行してつながる機能を研ぎ澄ますことにより大宇宙の根本原理である大日如来と一体化することが出来るのです。
生きたままでの生身の体を持って仏になることを即身成仏と言い、この場合の仏とは大宇宙そのものであり、真理、原理でもあるのです。
仏になることは簡単なことではありませんが、それでも生きたままで仏になることが出来ると説いたことで、私達に無限の可能性を示してくれたのです。
成仏のために
成仏ということが死後もしくは修行の結果としてということであれば、良き成仏を迎えるためにはやはり、日頃の行いと修行の賜物であるという事が言えそうです。
少なくとも最後の瞬間は誰にでも訪れるものですから、その時には苦しむことなく穏やかな気持ちでいたいものです。
最期を穏やかにと思ったら日頃の過ごし方で決まってきますので、少なくとも当たり前のことですが
- 食事を頂く時は作ってくれた人すべてに感謝
- 家族に感謝
- 周囲に感謝
- 医療に感謝
- 感謝の気持ちは「ありがとう」で伝える
- 怒らない
- 不満を言わない
- 人に施す
こういったことを続けていくだけで穏やかな最期につながってきます。
可能であれば小欲知足、少ない欲で足ることを実践すれば完成度が高くなってきます。
悟りを得た仏になることを目指すのなら修行するしかありません…修行とは
しかし修行とは魂の浄化と向上を目指すものであり、私達が人としての完成度を高めるためにも、そして善い生き方をするためにも必要なことです。
仏に少しでも近づけるように頑張ってみて下さい、修行は本来は楽しく出来るものであり、自分の心の中を観察出来て、新たな発見があり、人生が豊かになるはずです。