地主神とは
地主神とは我が国に古来より信仰されているそれぞれの土地を守護する神のこと。
空海と狩場明神
時は806年、弘法大師空海が留学僧として遣唐使の船に乗って唐に渡り、当時の都長安にある青龍寺の恵果阿闍梨から密教の教えを全て受けて日本に帰るために明州の浜に居た時のことです。
「日本で密教を広めるのにふさわしい地を示したまえ」との祈りを込めて東に向かって三鈷杵を投げたら紫の雲に乗って飛んで行ったそうです。
この三鈷杵を投げて10年後に日本の地で、高野(狩場明神)、丹生都比売(にうつひめ)の両明神に導かれて、この三鈷杵を発見したのが高野山の地であり、松の木に掛かっていたことから「三鈷の松」と言われるようになり、三枚葉の松になったそうです。松の木に掛かっていた三鈷杵は「飛行三鈷杵」(ひぎょうさんこしょ)と称されて現在でも金剛峯寺に重要文化財として厳重に保管されているのです。
空海は宇智郡の山中で白と黒の二頭の猟犬を従えた狩人(狩場明神)に会って高野山麓の天野の地に至りました。
そして次に丹生明神を紹介されその導きで、高野の霊地を得たとされています。
この両明神は高野山の地主神であり、狩場明神も本来は狩猟を生業とする古より祀られていた神であると言われています。
高野山では伽藍の中に明神社が祀られていて、高野山で修行をする者は必ず修行の一環として立ち寄って読経することになっている程大切にされている御社なのです。
仏教だから神様は拝まないということではありません、密教では曼荼羅の思想があって、様々な神仏がそれぞれの場所で有効に機能することによってこの宇宙が成り立っていると説くのです。
神と仏
私達日本人の宗教観は自然の中に神仏が宿るというアニミズムの思想を古来より持ち続け、自然の中に神が存在することを感じ取り、更にはあらゆるものに神が宿るという山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)という思想にたどり着き、自然の産物は神々から分けて頂くもので、感謝の気持ちを込めて恭しく祀ることによって神々からの守護も得られるのです。
そして死者は死後に一定期間経過すれば家の神になると信じられ、家の神を祀ることによって家が守られるのです。
仏教では仏と言えば釈迦や阿弥陀のように悟りを開いた方のことですが、死者のこともホトケと言い、亡くなったことを成仏ということからも死者は神にも仏にもなるのです。
絶体絶命のピンチの時に祈る言葉として「神様、仏様、御先祖様…」とは昔からよく言われるのですが、私達は神や仏、御先祖まで特に区別することなく、身近に守ってくれる存在として感じ取っているのです。
地主神とのお付き合い
土地を買ってこれから家を建てるという時に、地主神に対して土地の使用のお伺いを立てるのが地鎮祭であり、神主や僧侶を呼んで儀式を行い、工事の安全や居住の安全、家門の繁栄などを願うのです。
神棚には伊勢神宮の御札である神宮大麻(じんぐうたいま)、氏神(うじがみ)様の御札、崇敬する神社の御札を祀るようにします。
氏神とは、同じ地域に住む人々が信仰する神道の神様のことで、その氏神を信仰する人々のことを氏子と言い、元は同じ氏族の信仰する神であり、氏族は血のつながりのある共同体として今の時代でも地方に残っています。
土地を守る神には
- 産土大神(うぶすなのおおかみ)
- 大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)
- 埴山姫大神(はにやまひめのおおかみ)
- 氏神(うじがみ)…その土地の神
などが居られますので、私達の身近には多くの神が居られるのです。