聖宝とは
聖宝は平安時代前期の真言宗の僧で、醍醐寺の開祖で真言宗小野流、当山派修験道の祖。
聖宝の経歴
天長9年(832)2月讃岐国塩飽諸島の本島で生まれ、真言宗開祖の空海の実弟である真雅の弟子となり出家し東大寺に入り三論宗などを学ながら修行の日々を送ります。
- 貞観11年(869)…興福寺維摩会の竪義を勤める
- 貞観16年(875)…山城国宇治郡の笠取山に醍醐寺を開創
- 元慶3年(879)…弘福寺別当任命
- 仁和3年(887)…朝廷から正式に伝法灌頂職位を授けられる
- 寛平2年(890)…貞観寺座主任命
- 寛平6年(894)…権律師、権法務、弘福寺検校任命
- 寛平7年(895)…東寺二長者任命
- 寛平8年(896)…東寺別当任命
- 寛平9年(897)…少僧都
- 延喜元年(901)…大僧都
- 延喜2年(903)…権僧正
- 延喜5年(905)…東大寺東南院院主任命
- 延喜6年(906)…僧正、東寺一長者任命
- 延喜7年(907)…醍醐寺が醍醐天皇御願寺となる
- 延喜9年(909)…7月6日、入滅。享年78
- 宝永4年(1707)…理源大師の諡号を賜る
聖宝の伝説
醍醐寺の開祖で真言宗小野流、当山派修験道の祖である聖宝は若い頃より霊山名窟などで修行を重ね、本来持ち合わせていた才能に加えて卓越した験力を身に付けていたことで知られています。
柴燈護摩の元祖
聖宝は四国や吉野、金峯山などの霊山名窟で修業を重ねて優れた霊力を持ち、聖宝によって始められた柴燈護摩は醍醐寺を始めとした真言宗当山派修験道の法流を継承する寺院で行われていることが多いようです。
柴燈護摩に「柴」の字が使われる所以は山伏が山中の修行中に行う護摩が、真言密教の様々な荘厳具を用いることが出来ないので、簡単に集めることが出来る柴や薪を集めて壇を築くことによります。
東大寺東僧坊の鬼神
建立時から鬼神の住処になっていた東大寺東僧坊の南第二室は鬼神の祟りを恐れて誰も住まなかったが、聖宝はそこに住むと鬼神が現れて様々な怪異を為したが鬼神の方が根負けして去っていった。
金峯山の大蛇退治
役行者が修行したと言われる吉野の金峯山には、いつの間にか大蛇が住み込んで修行者が立ち入ることが出来なくなっていたが、聖宝が大蛇を退治してからは修行の場として復活しました。
瞬間移動
子供を背負ったまま讃岐の国から京都へと移動したり、早朝に京都の醍醐寺から吉野の蔵王堂に参拝して東大寺に入堂、更に醍醐寺に帰って正午の勤行を行っていた。