六文銭とは
六文銭とは冥銭(めいせん)と言われる死後の世界のためのお金のことで、副葬品として死者の棺に入れられて、三途の川の渡し賃、或いは六地蔵に渡すお金とも言われています。
六文銭の由来
私達の先祖は古墳時代から死後の世界は地下にあって、そこで暮らすためにはお金や装飾品などが必要であると考え、古墳の石室や石棺の中には死後の世界で不自由しないようにと装飾品と共にお金も入れられていました。
副葬品としてのお金は身分の差などにより様々で、決まった金額というものはありませんでしたが、それが六文になったのは仏教の影響であり、死後の世界の三途の川の渡し賃であると言われています。
三途の川の渡し賃として
三途の川とは三本の道がある川という意味で、一説には三本の道とは亡き人の生前の行いによって三通りあって
- 善人…金銀七宝で作られた橋を渡る
- 軽い罪人…山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡る
- 重罪人…強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る
とされています。
このような三途の川にも何時の時代からか渡し船が現れて、お金さえあれば誰でも渡してくれるということになり、その渡し賃が六文だったのです。
「地獄の沙汰も金次第」と言われて閻魔大王でさえお金を渡せば罪を軽くしてくれるという考え方は仏教に反する考え方で、お金を渡せば善人、悪人に関係なくあの世に渡してもらえるなんてずるい考え方ですが、お金が無くて船に乗せてもらえなかったら気の毒だからという気持ちと、困ったときにはいつでも使って下さいという餞別の気持ちもあるのではないでしょうか。
三途の川の渡し賃を持っていない者には懸衣翁・奪衣婆という老夫婦の係員がいて、六文銭を持たない人が来たら衣服をはぎ取って渡し賃にするそうです
衣服は取られたにしても三途の川の渡し賃になるそうですから、服さえ着てればとりあえず渡してもらえそうです。
六地蔵に渡すお金として
六地蔵とは六体の地蔵菩薩のことで、墓の入り口や村の辻などによくお祀りされていますが、人間が生まれ変わりするとされる六道の地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の世界の入り口にそれぞれ六体のお地蔵様が居て、特に悪い世界である三悪趣に堕ちないように救ってくれる役割を果たしているそうです。
六地蔵は死者を守ってくれる役目ですから、六地蔵に一文ずつ渡せば六文ということになります。
六文銭の価値
今の時代には「文」(もん)と呼ばれる単位のお金はありませんが、江戸時代の貨幣のことで、一文とは今の時代の価値に換算すれば200円程度ですから、乗り物に乗る料金としては公共機関並みの安さです。
現代の六文銭
現代社会では六文と言うお金の単位はありませんが、それでも葬儀の中に六文銭の習慣が残っています。
紙の六文銭
仏教徒としての死出の旅立ちの姿である「死に装束」には死者の首から掛ける頭陀袋があり、その中には紙で印刷された六文銭が入れてあります。
たとえ紙で印刷された貨幣であれ、現在の貨幣にすれば良いものを、古い貨幣である六文銭を使うのは、「冥土の国の乗り物に乗るための切符」という意味合いであり、流通している貨幣という感覚ではないからです。
仏教と六文銭
六文銭は仏教の考えから出てきたと言われていますが、釈迦の仏教では死後の世界の内容は説かれませんでしたし、死者にお金を持たせないとあの世に行けないとも説かれていません。
そもそも死後の世界には地位や名誉、金銭など何も持っていくことが出来ないからこそ現世で修行するのですから六文銭というものは古くからある土着の信仰で、死者が死後の世界に不自由しないようにとの習慣が仏教に結び付いたものと思われます。
今の時代でも葬儀の出棺前には亡き人が入れられた棺桶の中には、いろんな物が副葬品として入れられますが、死後の世界に何も持っていくことが出来ないと分かっていても、気持ちだけでも持って行って欲しいという事の表れなのです。