精進波羅蜜とは
精進波羅蜜とは菩薩が如来になるための六つの修行である六波羅蜜の一つで、ひたすら勤め励んで修行を成就させようとする努力のこと。
精進について
精進とは仏教用語で、ひたむきな努力の姿を表し、いろいろな場面で使われます
- 雑念を取り去って仏道修行に励むこと
- 一つのことに集中すること
- 肉を使わない野菜の料理
- 一定期間身を清めて行動を慎むこと
精進の由来
我が国では神道の影響を受けて古来より出産や死、血などを穢れとする概念があり、穢れに対しては衣服や食事、娯楽などを制限し、身を清めて過ごす習慣がありました。
こういった穢れの概念が仏教の思想と繋がることで、肉食をやめて菜食の食事にしたり、酒を断ち、五葷(ごくん)と呼ばれる煩悩を刺激して強壮性で臭いの強い野菜のニラ、ネギなどを避けた料理のことを精進料理と言うようになったようです。
しかしながら仏道は入門してから仏を目指す修行には多くの段階があり、ひたむきな努力が必要なことから、修行に於ける精進は忘れてはならないことなのです。
精進の目的
精進はひたむきな努力ですが、只頑張ろうと思って頑張れるものではなくて、何かの目的があるからこそ頑張れるのです。
その目的が何かと言えば、一言でいえば「より良く生きるため」です。
私達が普通に生活するのに教科書や参考書のような特別な物は必要ありませんが、何か困ったことが起こった時に「何をしたら良いのだろうか」ということで調べ物を始めるのです。
例えば身内の者に不幸が続くような時に「不幸の原因は何だろうか」ということ、そして「何をすれば良くなるのだろうか」ということです。
たとえ不幸の原因が分からなくても、何をすれば良いのかだけでも分かれば努力することが出来ます。
努力というものは、より良く生きるために行うからこそ必死になれるのです。
受験勉強でも然り、目標が高ければ高いほど必死の覚悟の努力が必要なのです。
仏道はより良く生きるための智慧の集積であり、私達の魂を高い世界へと引き上げてくれます。
精進波羅蜜の勧め
精進する姿は清らかなものであり、皆が競って精進すればより良い世の中になるのです。
正しい精進
阿修羅の世界では頭脳明晰な阿修羅達が多く居て、私達人間の数千倍努力していても、最大の欠点であるプライドが邪魔をして、自分の方が正しい、自分の方が優れていると戦争が絶えないことで、私達人間の世界よりも低い世界にあるのです。
自分の方が正しいことを緻密な理論で組み立てて、たゆまぬ努力を続けていても、その努力はある意味間違った精進なのです。
私達はこのことを良く理解した上で、正しい精進をしなければいけません。
私達の魂は低いレベルに居れば喧嘩や争いが絶えませんが、高いレベルに居ることが出来れば常に安楽の境地で過ごすことが出来るのです。
仏の精進
六波羅蜜とは菩薩が如来になるための修行ですから、私達にとっては難しいものですが、真の意味での精進とは自分が良くなるためではなくて、他の利益のためなのです。
精進波羅蜜は家族の中で実践することが一番身近なことです。
ご主人のために、奥さんのために、そして子供の幸せのために頑張るということ、それは身内ではありますけれど立派な菩薩行なのです。