修験道とは
修験道とは山に籠って厳しい修行をし、大自然や山の神からの力を得て悟りを得、衆生を済度する修行者のことで、修行している行者は山伏、修験者と言います。
修験道の歴史
修験道は飛鳥時代の役行者によって開創されたと言われています。
しかしながら山に籠って山の神の霊力を身に付けたり、神の依り代としての巨岩や巨木を祀って霊力を得る方法は遥か以前から吉備の神奈備(かんなび)などが有名で、土着の信仰として今でも根付いています。
役行者(えんのぎょうじゃ)
舒明天皇6年(634年)に大和国葛上郡茅原郷で生まれた役小角(えんのおづぬ)は幼少より仏教の修行に明け暮れて白雉元年(650)、16歳の時に山背国に志明院を創建して17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学びました。
その後は葛城山で山岳修行を行い、吉野、熊野などでも修行を続け、吉野の金峯山寺で蔵王権現を感得しました。
呪術に優れて鬼を自在に操り、その呪術は多くの言い伝えとなって残っています。
文武天皇3年(699)5月24日には人々を惑わしているという罪で伊豆大島に流罪となりましたが、そこでも毎晩海の上を歩いて富士山に参拝したなどの言い伝えが残っています。
現在の修験道は役行者が開祖だと言われていますが、その名前でも分かるように生涯行者であることを通したということが伝統的に守られて尊重されています。
修験道の発展
我が国では古代よりアニミズムの思想があって、大自然の中にはありとあらゆる八百万の神々が居て、自然の恵みに感謝して祈りを捧げ、山川草木悉皆成仏、全ての物が仏になるという思想を持っていたのです。
我が国では平安時代頃から、古来から続く土着の神々の信仰と仏教が習合して新たな信仰へと発展した経緯があり、仏教が土着の信仰を排除することなく取り入れたのは、初期の仏教がヒンドゥー教の神々を取り込んで守護神にしていったように、他を排除しない融合の思想があるからです。
更に密教では曼荼羅の思想に見られるように、ありとあらゆる神仏を曼荼羅世界の中に取り込んで機能性を持たせ、全体としての宇宙を形成していることから、あらゆるものを認めるという寛大さが神仏習合として発展したのではないでしょうか。
神仏習合は徐々に広まっていき、神社の境内には神宮寺、寺院の境内に守護神の社が建てられて、神職や僧職が神前で読経を行うなどした歴史の痕跡は今でも至る所に見られます。
修験道は鎌倉時代には更に発展を遂げて独自の立場を確立し、江戸時代の慶長18年(1613)には修験道法度を定めて、修験者は真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派のどちらかに属さねばならないこととして、両派を競わせました。
修験道の禁止
明治元年(1868)の神仏分離令に続き、明治5年(1872)には修験禁止令が出されて修験道は解体されてしまいます。
里山伏は還俗させられ、廃仏毀釈によって修験道の信仰に関わる物が破壊されてしまいます。
修験道の気合術は武術として伝承され、合気道にも生かされています。
廃仏毀釈の流れは仏教の衰退に繋がりましたが、この流れが過ぎ去ってからは再び復興して現代に至っています。
修験者の活躍
修験者は普段は俗世間の仕事をしながら山で修行をし、柴燈護摩やお焚き上げなどの寺院の行事に呼ばれて出仕する方が多く居られます。
霊山に籠って修行をして実際に霊力を身に付けた修験者の中には熱い護摩の火の中を裸足で歩いて渡る火渡りと言われる火生三昧耶法を実践して験力を示したり、沸かした湯の中で座禅する行者もいて、多くの信者さんを抱えてお加持や祈祷をして差し上げたりして人気があります。
不思議な力を持っている修験者は、現世利益を求める民衆に対して、僧侶でなくても分かりやすい仏法を説く貴重な存在です。
霊山とは
およそ高い山や火山性の山、巨岩のある山、伝説の残る山のほとんどが霊山として信仰され、山自体が御神体であったり信仰の対象になっていて、山伏の修行の場になっています。
全国の霊山
我が国の霊山には今でも修験道が息付いています。
- 青森県…恐山
- 山形県…出羽三山、月山、羽黒山(羽黒修験)、湯殿山、甑岳(古流修験本宗)、鳥海山
- 宮城県、山形県…蔵王山
- 栃木県…日光山(日光修験)
- 群馬県…迦葉山
- 埼玉県…三峰山
- 東京都…御嶽山、高尾山
- 神奈川県…大山、大雄山、箱根山
- 長野県…戸隠山、飯縄山、御嶽山(岐阜県)
- 石川県…白山
- 富山県…立山、石動山(石川県)
- 静岡県…富士山(村山修験)、秋葉山
- 愛知県…片山神社
- 滋賀県…伊吹山(岐阜県、伊吹修験)
- 大阪府…犬鳴山、金剛山
- 奈良県…金峰山・大峰山
- 和歌山県…熊野三山(熊野修験)
- 兵庫県…雪彦山、後山、諭鶴羽山
- 鳥取県…伯耆大山
- 愛媛県…石鎚山
- 徳島県…剣山
- 福岡県…英彦山、求菩提山
- 熊本県…阿蘇山