善無畏三蔵とは
善無畏三蔵は不空三蔵より真言の法を授かった僧で、東インドで王子の身として生まれましたが出家してナーランダ寺で真言密教の奥義を授けられ伝持の第五祖になります。
善無畏三蔵の経歴
東インドの地で王子として生まれ王位を継いだ善無畏三蔵は、王城の内紛があり出家して僧になりました。
ナーランダ寺に入り真言密教の奥義を授けられた後、諸国で教えを広め、80歳になってから中央アジアを経由して開元四年(716)に唐の長安に入ることが出来ました。
長安の地では玄宗皇帝の深い信任を受けて真言密教の根本経典である「大日経」を翻訳しました。
最後に帰国を望みましたが許されず、中国の地で没しました。
大日経とは
大日経とは大毘盧遮那(だいびるしゃな)成仏神変加持経(じょうぶっしんぺんかじきょう)と言い、真言宗では「金剛頂経」と並び「両部の大経」の一つです。
7世紀の半ば頃に西インドで成立したと言われ、724年に善無畏が漢訳し、弟子の一行が筆記しました。
全7巻36品から成り、密教の根本経典です。
虚空蔵求聞持法
弘法大師空海が若い頃に虚空蔵求聞持法を修法したきっかけは、善無畏三蔵の漢訳本を読んだことがきっかけです。
弘法大師が行ったこの時の修行は、後の活躍に大きな影響を及ぼしています。
善無畏三蔵の姿
善無畏三蔵は八祖として描かれる時には右手の人差し指を上に立てています。
三蔵とは
三蔵とは仏教に於ける経蔵、律蔵、論蔵の経典のことであり、これらの経典を知り尽くした者のことを三蔵または三蔵法師と呼びます。
善無畏三蔵は法をインド陸路で長安に伝え、更に翻訳に励みました。
大日如来から直弟子の金剛薩埵に示された真言の法は神々の世界から人間の世界に降りてきて、真言宗の伝持の八祖の中でも龍猛菩薩が最初に法を受け、次に法を受けた龍智菩薩から金剛智三蔵、不空三蔵、そして善無畏三蔵へと伝わったのです。