禅宗とは
禅宗とは釈迦が悟りを得る時に行った座禅修行をすることにより悟りを目指す宗派です。
禅定について
座禅とは座って心の中を無にする修行法ですが、仏教では究極の目標としての悟りに近づくための修行法として座禅瞑想があり、座禅することによって心の中が静まり返る、無になる状態のことを禅定と言います。
大乗仏教に於いては六波羅蜜と言って菩薩が仏になるために必要な六つの修行法として
が説かれますが、六波羅蜜の中でも禅定波羅蜜は釈迦が悟りを得るために行った最終的な修行法としての特別な意味合いがあり、特に悟りの前の瞑想修行に関しては、この世から悟りを得る人が出現することを嫌った鬼神や悪魔、さらには魑魅魍魎までが悟りを邪魔するために襲い掛かってきましたが、釈迦はそれらに屈することなく深い禅定に入って、やがて悟りを開きました。
達磨大師
達磨大師は南インドの国の第三王子として生まれ中国南方に渡海して嵩山少林寺で壁に向かって9年間座禅を続け、手足が無くなったという逸話から日本では起き上り小法師のダルマとして、転んでも必ず起き上がる「七転び八起き」の縁起物として珍重されています。
中国名を菩提達磨と言い、釈迦から数えて第28祖になり、禅宗の祖とされます。
日本の禅宗
禅宗は天台宗の最澄らによって既に日本に伝えられていましたが、広まることは無く、鎌倉時代になって急速に発展していきました。
臨済宗
中国で生まれて発展した臨済宗は唐時代の高僧である臨済義玄(りんざいぎげん)が開祖であり、栄西は二度にわたって宋に留学して臨済禅を学び1195年には我が国で初めての禅寺である聖福寺(しょうふくじ)を建立しました。
天台宗の良弁(ろうべん)らの反対にあって禅宗停止の処分を受けた栄西は拠点を鎌倉に移して北条政子や源頼家らの鎌倉幕府の庇護を受けて寿福寺、建仁寺など建立されて隆盛を極めていきます。
曹洞宗
曹洞宗の開祖は道元(どうげん)と瑩山(けいざん)の二人になります。
中国の宋で五年間留学した道元は鎌倉の建仁寺、そして京都の興聖寺(こうしょうじ)を拠点に曹洞宗の布教活動を行い、興聖寺が焼失したことから越前にて永平寺を開き「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)を著して弟子の指導を行いました。
道元の教えの特徴である「只管打座」(しかんだざ)は悟りも求めることなくただひたすらに座り続ける姿が仏であると説かれます。
道元の没後に登場した瑩山は永平寺で修行を積み加賀の大乗寺で悟りを開き、能登で永光寺(ようこうじ)と総持寺(そうじじ)を開山しました。
黄檗宗
中国の明時代の高僧である隠元(いんげん)が1654年に日本に伝えて広められた禅宗の一派。
臨済宗の黄檗山万福寺(まんぷくじ)で住職を務めていた隠元は63歳という高齢ながらも長崎に招かれて、興福寺(こうふくじ)、福済寺(ふくさいじ)、崇福寺(すうふくじ)の三つの寺を拠点に新しい禅宗を興し、多くの修行僧が集まったのです。
やがて江戸に入った隠元は1661年に徳川家綱の許可を得て京都の宇治に万福寺を開き、黄檗宗として認められ、全国に広がることになりました。