目次
三悪趣とは
三悪趣とは仏教に於いて、生前中に悪行を為した人間が行くと言われている三つの転生先で、地獄道、餓鬼道、畜生道の低い世界のこと。
地獄道とは
仏教では衆生が住むとされる場所は、須弥山の下部にある鉄囲山に囲まれた四つの州の一つである贍部洲(せんぶしゅう)ですが、その地下には地獄があって、重大な罪を犯した者が死後に転生する所であり、重大な罪を犯した者が行く世界とされます。
地獄の世界は生前中に犯した罪の重さに応じて段階構造になっていて、上から順に等活(とうかつ)地獄、黒縄(こくじょう)地獄、衆合(しゅうごう)地獄、叫喚(きょうかん)地獄、大叫喚(だいきょうかん)地獄、焦熱(しょうねつ)地獄、大焦熱(だいしょうねつ)地獄、阿鼻(あび)地獄があり、受ける苦しみは10倍ずつ増えていきますが、最下部の阿鼻(あび)地獄は例えようもないぐらいの苦しみの世界です。
餓鬼道とは
餓鬼とは衆生が生まれ変わりする輪廻転生の六道の内、下から2番目の世界で、最下部の地獄の上にある世界のことで、仏教では行ってはいけない世界の三悪趣(地獄、餓鬼、畜生)に含まれます。
仏教に於いて三毒と言われ、克服すべき最も大きな煩悩は「貪瞋痴」であると言われ、「貪」は貪りの心、「瞋」は怒りの心、「痴」は無智の心ですが
- 「貪」は貪りの心…餓鬼界につながる
- 「瞋」は怒りの心…地獄界につながる
- 「痴」は無智の心…畜生界につながる
餓鬼に生まれ変わる要因としては、生前中に貪りの心をむき出しにして、自分一人だけが満足したり、必要以上の物を欲しがったり、人の物を盗ったり、人に対して施さなかったという貪りの結果として餓鬼道に堕ちるのです。
餓鬼は常に空腹で我慢できずに自分だけが食べようとして争いをして、他に対して施すようなことを決してしないので、仏道の実践が出来ずに悪事を積み重ねるだけとなってしまうのです。
畜生道とは
畜生とは鳥・獣・虫・魚などの全ての人間以外の動物のことです。
輪廻転生の六道の世界では地獄、餓鬼に次いで下から三番目の世界になります。
地獄、餓鬼の世界は私達の目には見えない世界ですが、動物の世界は私達の目に見える世界にあります。
動物の世界は仏教に於いて三毒と言われ、克服すべき最も大きな煩悩である「貪(貪りの心)瞋(怒りの心)痴(無智の心)」の内、「痴」の無智の心が強い者が行く世界だとされます。
何も考えることなくボーっと過ごし、仏教を学ぶことなく、徳も積まなかった人ということになります。
悪業の結果として行く世界の中では最も良い世界ですが、自然の中の動物は常に他から襲われるという恐怖に怯えている世界であり、仏道の修行などは到底出来ない世界なのです。
三悪趣に堕ちないための方法
仏教に於ける三悪趣とは仏道から遠ざかってしまう道であり、苦しみの連続から抜け出すことが出来なくなってしまいますので、堕ちていかない方法を説いているのです。
貪瞋痴を克服すること
私達の心の中には煩悩と言うものがあって、私達の心を乱したり誘惑したりで、心の中は大きく波打ち、静まることが中々ありませんが、仏教に於いて三毒と言われ、克服すべき最も大きな煩悩は「貪瞋痴」であると言われ、「貪」は貪りの心、「瞋」は怒りの心、「痴」は無智の心です。
貪らないこと
貪りの心は
- もっと欲しい
- まだ欲しい
- 全部欲しい
- 自分だけの物にしたい
- 人にはあげたくない
- 人の持っているものが欲しい
などの心で、満足できない心、人に施すことを忘れた心です。
貪りの心は餓鬼の世界に通じてしまいます。
仏の心は貪りのない心で、自分の利益など考えずに相手に施す心です。
怒らないこと
怒りの心は
- 自分が正しい
- 相手が悪い
- 懲らしめてやる
- ひどい目にあわせたい
- 謝って欲しい
などの心で、冷静さを失った心、暴力的な心です。
怒りの心は地獄の世界に通じてしまいます。
仏の心は怒らない心で、優しい慈悲に満ちた心です。
智慧を持つこと
無智の心は
- この先どうなっても構わない
- 今が良ければそれで良い
- 自分には何の役目もない
- 親が勝手に生んだだけ
- 人がどうなろうと自分には関係ない
- 仏法など学んでも無駄
などの心で、使命感や責任感の全く無い心です。
無智の心は動物の世界に通じています。
仏の心は智慧を磨く心で、常に正しい判断が出来る心です。