この世の地獄

この世の地獄

この世の地獄とは、この世の中にある火山などの地獄によく似た場所のこと、或いは争いごとや天変地異などの悲惨な結果として、まるで地獄に居るような環境になっていることを喩えてまるで「この世の地獄」言います。

地獄とは怒りと恨み、憎しみに満ちた世界で、自分だけ這い上がろうとし、自分だけ助かれば後はどうでもよい、自分を邪魔する者は殺しても構わないという世界です。

地獄とは

地獄の構造、仕組み

地獄は悪事を働いた者が堕ちて罪滅ぼしをする所であり、悪事の罰として苦しみを受け続ける世界で、地獄の役人としての獄卒が住人達に責め苦の罰を加えます。

仏教では衆生が住むとされる場所は、須弥山の下部にある鉄囲山に囲まれた四つの州の一つである贍部洲(せんぶしゅう)ですが、その地下には地獄があって、重大な罪を犯した者が死後に輪廻転生する所であり、重大な罪を犯した者が行く世界とされます。

仏教の世界では死後に行ってはいけない低い世界として「三悪趣」と言われる地獄、餓鬼畜生で、その中でも地獄は最下位の世界になります。

地獄は罪の重さに応じて段階構造になっていて、上から順に等活(とうかつ)地獄、黒縄(こくじょう)地獄、衆合(しゅうごう)地獄、叫喚(きょうかん)地獄、大叫喚(だいきょうかん)地獄、焦熱(しょうねつ)地獄、大焦熱(だいしょうねつ)地獄、阿鼻(あび)地獄がありますが、最下部の阿鼻(あび)地獄は例えようもないぐらいの苦しみの世界です。

地獄の醜さとは

地獄の世界は苦しみの連続の世界であるが故に、その苦しみから逃れようと誰もが自分の事しか考えないので、人を蹴落としても自分だけ助かれば良いという者ばかりの世界なのです。

熱い所があれば他者を踏み台にしてまで逃れようとするし、獄卒からの責め苦に対しては他者を盾にして自分を守ろうとします。

その結果として、自分が受けている地獄の責め苦の他に、他者から受ける苦しみが加わり、獄卒の責め立てる声、そして住人達の泣き叫びわめく声ばかりが響く、まさに阿鼻叫喚の世界です。

地獄の世界の醜さは何と言っても地獄に堕ちた住人同士が互いに傷つけ合うことであり、六道の世界でも天の世界に行けば、互いを称賛し、尊敬し合うことと比べたら地獄の世界では全く安らぐという瞬間が無いのです。

戦争は地獄の世界を作り出す

戦争

戦争は国と国とが戦うもので、領土や人種、人権、経済、エネルギー問題などが発端になりますが、いざ始まってみますと国を護るため、自分達を護るためと言う大義名分の元に「人が人を殺し合う」ことに他なりません。

戦争は人を殺したり人の物を盗むことを正当化しますので善悪の理論が全く通用しなくなります。

生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされる戦場では、敵を殺さなければ自分が殺されるだけであり、生き残るためは敵を殺すしか他に方法が無いのです。

しかし戦場はこの世の物とは思えない程無残な景色で、家や街を破壊され、火とに包まれた灼熱の大地で焼け焦げた死体が散乱し、まだ息のある者でも血を流して苦しみながら死んでいく様子はまるで地獄の世界なのです。

戦争はこの世を地獄に変えてしまいます。

平和だった街並みを地獄の世界に変えてしまうのです。

この世を地獄にしないために

どんど焼き

この写真はやすらか庵で行われたお焚き上げ供養の火がまだ夜まで燃えている時の写真で、地獄の火ではありません、地獄の火と比べて柔らかい感じがするものです。

地獄は悪事を働いた者が堕ちて罪滅ぼしをする所、苦しみしかない世界なので、堕ちない方が良いに決まっているのですが、それでも地獄の世界が存在し続けるのは、この世に悪事を働く人が居続けるからなのです。

地獄の世界が私達の世界から遥か下の世界に見えない存在としてあるにも関わらず、地獄の釜の蓋が開いて人間の世界まで地獄になってしまうのは、私達の心の中にある地獄と実際の地獄が重なることがあるということなのです。

この世が地獄になるのは

  • 自分さえ良ければ他人の命などどうでもよい
  • 自分の願望を満たすことを邪魔する者は消えてもらう
  • やられたらやり返す
  • やられる前に邪魔者は消す

こういった自己満足の考えを持つ人や国が戦争の引き金になり、地獄の世界を作り出すのです。

動物の世界では弱肉強食の原則のもとに強きが弱きを人を殺すための武器を作るのは私達人間だけであり、より強力な武器を持ちさえすれば力関係で皆が自分に従うといった

旧来の考え方での戦争はもう限界に近付きつつあります。

我が国では過去の戦争で広島、長崎でこの世の地獄を経験しましたが、それから既に80年近くの歳月が過ぎた現在では当時とは比較にならない程強力な兵器が世界中に向けられているのですから、本当に使われるようなことがあれば世界中が地獄になってしまうのです。

私達はある程度の文明を築いて栄えたら滅びてしまう運命を背負っているのかもしれません。

私達が持つ欲望は文明を作り出し、天の快適さを現出しますが、その反面戦争を作り出し、阿鼻叫喚の地獄をも現出してしまうのです。

自業自得の原則から言えば悪業の結果は自らが受けることになりますので、悪いことをしたらすぐに罰を受ければ悪事を働く人は少なくなるはずですが、悪業の結果が何時返ってくるか分からないので、この世では悪事ばかり働く人が裕福で幸せそうに暮らしていたりするのを見る度に、善良な正直者は幸せになれないのではないかとさえ思えるのです。

しかし自業自得の大原則は宇宙の法則でもあり、絶対的な法則ですから悪事を働く人のことは天に裁かれるはずですから気にせずに、只ひたすらに自らが正しい行いをすれば良いだけなのです。

今起こっている戦争は自由主義と独裁主義との闘いであり、自由を勝ち取るための戦争でもありますが、この世の地獄が出現してしまっていることは大変に心苦しいことであります。

ニュースや報道を見ていますと私達も完全に巻き込まれていることが分かります。

世界的な戦争が始まっているのです。

この世を地獄にしない方法に絶対的な方法はありませんが、それでも一人一人が平和を願う事、そしてその輪を広げていくことしかないのです。

人を攻撃する心ではなくて、人に対して思いやりのある心を持ちましょう。

苦しんでいる人達の救済として差し上げましょう。

平和を愛する心を持ちましょう。

強大な武力を持つ国が幸せになる訳ではありません。

人を殺すための武器を作るのではなくて、人を幸せにする物を作りましょう。

この世を地獄にしてはいけません、鬼神が喜ぶだけです。

鬼神は人が死んだり不幸になったりすることを最高に喜びます。

この世が鬼神に支配されないようにしましょう。