三業とは
私達の行いには、体でする行いと口を使った言葉による行い、更には心で思う行いがあり、仏教では身口意業(しんくいごう)と言い、三業(さんごう)とも言います。
身業
身業とは体による行いのことです。
私達は体の手や足を使って物を運んだり動いたりして生活しています。
仕事やスポーツ、旅行に行く時などのいろんな場面で、手や足などの体全体を使って行動しているのです。
仏教では私達が体を使う行いの中でも「悪い行い」はしてはいけませんよと説き、十善戒と言う戒律の中では
この三つを、してはいけない「悪い行い」だと説きます。
口業
口業とは口から発する言葉のことです。
私達の口から発する言葉は綺麗な言葉にも汚い言葉にもなり、相手を癒すことも出来ますし相手を傷つけることもできるのです。
親が子に対して「あなたなんて生まれてこなければよかったのに」、夫が妻に対して「役立たず、出ていけ」などのような言葉は意外と相手を深く傷つけているということを気が付いていない人も居るのです。
言葉の中でも「ありがとう」の言葉は言う本人も言われる相手も気持ちの良い言葉で、この言葉をきっかけに本当に信頼できる人と出会えることもあるのです。
仏教では私達が口を使う行いの中でも「悪い行い」はしてはいけませんよと説き、十善戒と言う戒律の中では
この四つを、してはいけない「悪い行い」だと説きます。
意業
意業とは心で思うことです。
心で思うだけなら、直接に相手に影響を及ぼすことはありません。
たとえば「あいつ、死んでしまえ」と思ったところで、その相手がすぐに死んでしまうようなことはありませんし「お金持ちになりたい」と思ったところで、すぐにお金持ちになることが出来る訳ではありません。
しかし私達が心で思えば何時かは形になって現れて、その思いが強ければ強いほど現れやすいのです。
絶対に合格するという執念を持った人は、何時かはその夢が叶うもので、自分の生活の中で一番強い思いである「合格」という目標を常に掲げ、それに向かって努力することで執念が「合格」という形になるのです。
祈りや願いもそうで、たとえば「子供の病気が治って欲しい」という心が強ければ強いほど神仏やご先祖様が動いて下さって、力を頂くことが出来て、結果として願いが叶うのです。
仏教では私達が心を使う行いの中でも「悪い行い」はしてはいけませんよと説き、十善戒と言う戒律の中では
この三つを、してはいけない「悪い行い」だと説きます。
三業と三密
三密とは身口意(しんくい)、つまり身体の行いと口で唱える事と心で想うことの三つの秘密の教えのことで、真言密教は身口意の三密行をすることにより、仏に近づいていくのです。
「三密」とは密教用語で身密、口密、意密のことであり、宇宙の生命現象はすべて身(身体)、口(言葉)、意(心)という三つのはたらきで成り立っていると説いています。
真言密教では手に仏の象徴である印を結び(身密)、口に仏の言葉である真言を唱え(口密)、心を仏の境地に置くこと(意密)によって、大日如来と一体になることを目指しています。