挨拶とは
挨拶とは出会いや別れ、メールや手紙の文面、式典などの最初や最後に礼儀として述べる言葉や行動のこと。
家庭内の挨拶の言葉
家庭の中で家族に対しての挨拶は皆が快適に暮らすための大切なコミュニケーションになります。
家庭内の挨拶とは
- おはよう
- おやすみ
- いただきます
- ごちそうさま
- どうぞお先に
- ありがとう
- がんばってね
- いってらっしゃい
- おかえり
などで、他には大好き、愛してる、お元気ですね、暑いですね、寒いですね、などの言葉も挨拶の言葉となります。
挨拶をするとお互いの気持ちが和み、挨拶の後に日常的な会話がつながりやすいことから、相手に何か伝えたい時にはまず挨拶してお互いの気持ちを引き付けることはとても大切な事です。
挨拶が気軽に出来るということは、その後の会話も自然に出来るので、家庭内での関係が良好である秘訣です。
家庭内での挨拶の動作
家庭内での挨拶は家族の者同士が日常のコミュニケーションが取れていて、お互いに信頼している証ですが、挨拶の言葉に更に動作が加わることでお互いの親密度が深まります。
たとえば出掛ける時の「いってらっしゃい」の言葉とキス、ハグなどのことで、結婚したばかりの若い夫婦でしたらこの時間が長すぎて挨拶の範囲を超えてしまうのですが、会社に遅刻しない程度にしましょう。
新型コロナの騒動以降はたとえ家庭内に於いてもソーシャルディスタンスに気を付ける習慣が出来てしまっていますし、今の時代はセクハラ、パワハラなどで家庭内であっても訴えられることがありますので、触れ合いということに関して避ける心理が働き、ある意味家庭崩壊の原因になっているのかもしれません。
地域や学校、職場などでの挨拶
挨拶は人と人とのコミュニケーションを円滑にする効果があり、小学校の登下校時の見守り、防犯見回り、一人暮らし高齢者に対する定期的な声掛け、などは地域の安全と平和に多大なる貢献をしています。
近年では騒音や匂い、環境問題などに関する近隣トラブルが重大事件となってニュースで報道されていますが、歪んだ性格や人間性の問題が根底にあることが多く、事件を起こす人は挨拶しても無視する、近所付き合いが全く無いなどの特徴があります。
周囲近隣にはお付き合いしてとても気持ちの良い人が居るものですが、お付き合いして気持ちの良い人は
- 必ず自分の方から挨拶する
- 笑顔を絶やさない
- 相手の事を気にかける
- 相手の事を褒める
- 自分の事は謙遜する
仏教的には利他行の実践が出来る人の事です。
挨拶しても返事が無い時
こちらから挨拶しても相手の返事が無い時には、相手から無視されたことで怒りの心が湧いてきますが怒ってはいけません、気にしないことです。
人から挨拶された場合は挨拶を返すのが常識であり、礼儀としてそうするものだという固定観念がありますが、近年では家庭崩壊の家の中で全く会話が無いことは日常茶飯事、笑い声の聞こえない家には疫病神や貧乏神がやってきます。
厄病神は人の不幸が最大の喜びで、不幸になればなるほど嬉しくて仕方ありません。
厄病神が家の中に居座り続けますと、その家はどんどん不幸になっていくのです。
こういう時には利他行の実践が必要です。
利他行とは他を利する行のことで、自分の事は言わずに相手の利益のために行動するのです。
挨拶をして返事を期待するのは見返りを期待しているからであり、元々挨拶というものはこちらから進んでするものであり、場を和ませようとする配慮なのですから、返事が無くても気にしないことです。
神々は見返りを期待しない存在、何かをした見返りに何かをくれとは決して言わない存在です。
毘沙門天は妃の吉祥天と子の善膩師童子と共に家族の姿をした家族神で、自らの利益を言う事なく、相手の幸せを願い、全ての幸せを願っているからこそ良い関係で居ることが出来るのです。
自分にとって何か都合の悪いことが起きたとしても気にしない事が大切で、そんな小さなことよりも一人でも多くの人が幸せになって欲しいと願い、不幸の人が幸せになることが最大の喜びなのです。