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真言宗の僧侶になるには
真言宗の僧侶になるには師僧が必要ですし、得度(とくど)→受戒(じゅかい)→四度加行(しどけぎょう)→伝法灌頂(でんぽうかんじょう)の順に体得していく必要があります。
得度とは
得度とは仏教に於いて僧侶となるための出家の儀式のことです。
白衣を着て髪を剃り、仏門に入る姿を整えてから仏の道に仕えることを誓います。
仏に使える身として障礙となる、おしゃれをしたい、着飾りたいなどの一切の欲望を捨てて仏門に入るのです。
寺院の住職は「阿闍梨」と言って弟子を取ることが出来、得度を授けることも出来ますので、寺院の住職から受けることも可能です。
受戒とは
受戒とは仏門に入って仏教に帰依する証として戒律を授かる儀式のことです。
戒とは仏教徒が守るべき道徳規範のことで、律とは出家修行者が守らなければならない規則のこと。
寺院の住職から受けることも出来ますし、集団得度の儀式を行っている所もあります。
高野山大師教会では一般の人でも菩薩十善戒を受けることが出来ます。
高野山大師教会での受戒
高野山大師教会では毎日
9:00・10:00・11:00・13:00・14:00・15:00・16:00
の時間で受戒式を行っており、誰でも菩薩十善戒を受けることが出来ます。
菩薩十善戒とは
- 不殺生(ふせっしょう)…生きものを殺さない
- 不偸盗(ふちゅうとう)…盗まない
- 不邪淫(ふじゃいん)…淫らな行いをしない
- 不妄語(ふもうご)…嘘をつかない
- 不綺語(ふきご)…お世辞などを言わない
- 不悪口(ふあっく)…悪口を言わない
- 不両舌(ふりょうぜつ)…二枚舌を使わない
- 不慳貪(ふけんどん)…むさぼらない
- 不瞋恚(ふしんに)…怒らない
- 不邪見(ふじゃけん)…間違ったものの見方をしない
これだけの戒を守ることを誓い、最後に有難い説法を聞きます。
最後に受戒の証である「菩薩戒牒」を頂きます。
諸堂共通内拝券を買っておけば根本大塔で使えます。
1枚2,000円で有効期限は2日間、下記施設にて利用可能です。
①金剛峰寺
②高野山霊宝館
③大師教会本部→「受戒」か「写経」のどちらかで利用できます。
④大塔
⑤金堂
⑥徳川家霊台
⑦奥の院
最後奥の院にて記念品の授与していただけます。
高野山観光協会の各案内所で購入可能
四度加行とは
四度加行とは密教僧の阿闍梨になるための修行で「十八道」「金剛界法」「胎蔵界法」「護摩法」の四つの段階から成り、修行の期間は現代では百日程度ですが、元々は二年程度の時間をかけて行うものでした。
加行を全て修めた者は伝法灌頂を受けることが出来て、法を授ける伝法者としての資格を持つことになります。
但し加行を受ける前に「常用経典」「声明」「法式」「布教」を修めておく必要があります。
高野山では次のような方法で加行を受けることが出来ます
- 高野山大学にて僧侶コースを選択して春季と冬季の休暇中に行われる加行を受ける
- 高野山専修学院にて1年間修行
- 女子は専修学院尼僧部にて修行
- 高野山内で修行道場である真別所にて修行
伝法灌頂とは
伝法灌頂は正式には「金胎両部伝法灌頂」と言い、得度、受戒、四度加行、伝法灌頂の三つの法を成満した者が授かることの出来る真言密教の最高の儀式で、これを成満することで真言密教の僧侶として僧階を取得することが出来ます。
僧侶の心得
僧侶というものは仏に仕える仕事ですから、社長に仕える会社員とは違って、型に捉われることなく自由奔放な人が多く、労働でお金を稼ぐということをしませんので、ある意味人生を卒業した人が出家して修行三昧の生活を送るのに最適の仕事なのです。
御縁が必要
僧侶になるには御縁が是非とも必要で、師僧と言われる指導者が必要になります。
仏法という大きな法の流れを受け継ぐ中の一人になる訳ですから、師僧から受け継いだ法を弟子に伝える任務を請け負うことになるのです。
自分一人だけで宣言したところで僧侶には成れません、弘法大師空海でも師の恵果阿闍梨から伝法灌頂を受けて、更にその流れを多くの人が受け継いで今の時代にまで伝わっているのです。
しかしながら一般の方には僧侶の人との御縁は少ないもので御座います。
僧侶は一人でも多くの人に仏法を伝えていく使命にありながら、全く布教活動していない、或いは金儲けに忙しい僧も数多く居ますが、とても真面目に活動している僧もたくさん居ますので、そういう僧と仲良くすることが御縁に繋がるのです。
旦那寺の僧に影響されて出家して僧侶になった人も数多く居られます。
僧侶というものは親が僧侶で子に後継ぎをさせようと思ったら甘やかし放題で、後継ぎの子が何も出来なくて寺を没落させたということもよくある話です。
僧侶は本来は妻帯が出来ませんでしたので、弟子が後を継ぐというのが本来の寺院であり、たくさんの弟子の中から優秀な弟子が後を継ぐのが本来の姿です。
自分本位でもダメ
仏教の経典や仏法、教相、事相などをよく勉強してやたら詳しい方で僧侶に成りたがっている方が時々居られますが、人のために役に立ちたいという気持ちが無ければ難しいと思います。
人様の役に立って、苦しみ悲しみを取り除いてこそ僧侶なのです。
また神仏に御縁があってどん底の人生から救われたので僧侶に成りたいという方は、僧侶に成らなくても人様を救える方法はいくらでもありますので、絶対に僧侶でないといけないと思うのは間違いです。
職業として望むことはおすすめしません
収入が安定していそうだからとか、楽そうだから、年齢制限が無いからなどの単純な理由で僧侶を希望するのはお勧めいたしません。
長年働いた会社の中ではどうしても人間関係が嫌だからと僧侶に成って、大きな寺院で役僧として働いたとしても、いざ僧侶の組織の中に入ってみたら人間関係は理想には程遠く、俗世間の人間関係よりも醜い人間関係に絶望することになってしまいます。
法事やお葬式を主体とした寺院の世界の中は極楽浄土の仏の世界ではありません。
お寺と言えども経済社会の中にあってお金は自由に使えますし、自分の所有も恋愛も結婚も認められているのですから、欲望にまみれた俗世間と何ら変わったことは無いのです。
もちろん神仏に仕えるのですから、心のゆとりは違いますが、僧侶というものは特に男ばかりの社会では、人間関係は何処にでもある普通の社会と変わりません。
職業としての僧侶のメリットは自分よりも目上の人からでも尊敬されることで、年配の方から「先生」などと言われたりしますと自分が偉くなったような錯覚に陥るのです。
自分が偉いのではなくて、僧侶は法を説き、仏道を実践しているからこそ尊敬されるのであって、法を説くことなく仏道を実践することなく煩悩まみれの僧侶は本来先生と呼ばれるような資格は無いのです。
信仰心が試されている
寺院の僧侶でありながら信仰心が全くないような方も居られて、勤行をしない人や、読経はするものの間違えたり、中身が全く理解できていない僧もたくさん居られます。
僧侶は人に仕えるのではなくて、神仏に仕えるという意味で世の中に於いて特殊な仕事であり、朝から晩まで一年中、ただひたすらにご本尊様にお仕えしていれば良いだけの仕事ですから、こんなに素晴らしい仕事は他には存在しないと思います。
おまけに自分の死後の世界にまで持ってける功徳をただひたすらに積めるのですから、人間として生まれて最高の目的が達成できるのです。
僧侶に成れるようなチャンスは滅多にありません。
僧侶になれば七代前までの先祖が救われると昔から言われますが、僧侶に成ったことで、七代前までの先祖が皆大喜びしてくれるのです。
心の底から人様のためにお役に立ちたい、という信仰心があるかどうか、全ての人に試されているのです。
私は56歳の女性です。
これまでにわたくしなりの色々な経験を積んで参りました。生死の狭間も子供の頃から体験しました。以前から生かされている、使命があり命があるのであれば自分にできる事があるはずと考えてきましたが答えが見つからず現在に至っておりました。
2023年になり天からのお言葉かと思うほどの思考が変わり、できる事ではなく自分のやりたいことをすれば良いと思うと、答えはすぐに出ました。これまで私が生きてこれたのは色々な出逢いの中で私に関わって下さった方々がいたからこそ生きているんだと、受けた恩は返す事こそが私の使命
、沢山の方へ今度は私が愛を伝え、人生を楽しんで欲しい、生きるとは苦しくもあるがその分喜びもある事を伝えていきたいと感じております。尼僧侶で伝えていく事が自分らしいと思いご指導頂きたくここへ伝えました。宜しくお願い致します。
使命を感じることは仏道の第一歩であり、仏道を進んでいくための原動力になります。使命を全うするために精進して参りましょう、応援させて頂きます。合掌。