リアルファーとは
リアルファーとは本物の動物の毛皮のことで、本物の動物の毛皮から出来たマフラーや手袋、コートなどの製品のことも指します。
殺生について
私達が普段食べている牛、豚、鶏などの動物のお肉の裏には殺生があります。
殺生とは生き物を殺すことで、殺生された生き物は多大な苦痛を受けるために、仏教では大変に重たい罪になり、世界中には宗教上の殺生をしてはいけないという理由で肉や魚を食べないベジタリアン、或いはビーガンと呼ばれる人達が多数存在し、インドでは約13億の人口の約3割が菜食主義です。
人や動物は死ぬ瞬間に苦しみを伴うので、故意に殺すことは苦しみを与えることになります。
仏教では輪廻転生の生まれ変わりの行く先が動物界にも及ぶことから、動物も誰かの生まれ変わりとするのなら殺生してはならないと考えるのが自然です。
今から30年も前のことですが、私が高野山大学の仏跡巡りツアーに参加した時の事、エア・インディアの機内食には菜食主義の人用と肉を食べる人用の二つのメニューがあって選べるようになっていて、ベジタリアンの人が世の中に普通に存在するのだと驚いた記憶があります。
動物の利用について
動物は食肉としての他に様々な製品になって私達の生活を豊かにしてくれていて、動物に関する製品としては毛皮、帽子、手袋、ジャンパーなどの衣料品から椅子、ソファーなどの家具、ハンドバック、カバン、ベルト、印鑑などの雑貨小物に至るまで実に様々な物が使われていて、希少な動物は高価で取引されることから、乱獲によって絶滅した動物もたくさんいるのです。
リアルファー反対運動をしている団体も数多くあり、実際に作られている現場での惨い映像を見てもう買えなくなってしまった方もたくさんおられると思います。
中には生きたまま皮を剥ぐのは惨いという告発の真偽で感情論の議論をしているサイトもありますが、リアルファーの善し悪しという観点からは何か肝心なものが抜けているような気がいたします。
アニミズムの思想
遥か昔に狩猟をしていた私達の祖先は、食べる獲物は最低限必要なだけ食料として頂いて何もかも無駄にすることなく利用し、そしてまたその亡くなった生き物が再びこの世に再生して来ることを祈ることによって魂を鎮め、自然を崇めてきたのです。
感謝の気持ちで命を頂き、亡くなった命の代りに自分が生きることが「いただきます」の本来の意味なのです。
私達の祖先たちは自然の中に神々が宿るというアニミズムの思想を大切にしてきました。
そこからは山川草木悉皆成仏、山でも川でも草や木でも全て仏になることが出来るという自然の中の大きな原則を見出すことが出来たのです。
毛皮の作られれ方
毛皮は実際は工場のような施設で作られていて殺生してから毛皮にしますが、お肉として使われた残りを使うのではなくて、毛皮だけのために飼育されていて毛皮を採ったら捨てられるという行為が、人間は動物よりも優れているから当然という理由で行われているのは、自分勝手な行為なのかもしれません。
私達がお金を払えば毛皮を買えるのは、製品の価値を買っていることと、もう一つは殺生の現場を見なくて済むということ、そして自ら殺生しなく済むという価値を買っているのです。
毛皮を作ることを自分でしないといけないとしたら、恐らく作りたいと思う人は少ないと思います。
お金を出すことで惨い現場を見なくて済み、贅沢に着飾ることが出来ることは経済社会の利点でもあるのです。
しかし自ら動物を殺生することと、殺生されたものを買うことは共に同じ殺生でありますので、なるべく必要の無い殺生は避けた方がよいのです。
供養の方法
無くても済む、或いは代用品で構わないのでしたら動物の殺生に関わる製品は使わないことであり、今持っている物が気持ち的に使えないというならお焚き上げ供養に出して頂きましたら動物の魂を供養の上で焚き上げして天にお還しさせて頂きます。
製品になる過程で受けた苦しみを供養するのがお焚き上げ供養です。
やすらか庵のお焚き上げは全国対応ですから、全国どこからでも郵送や宅配便を使って利用することが出来ます。
怖い、惨い、ダメとあまり感情的にならなくても、人や動物に対して感謝の気持ち、そして優しい気持ちで接していれば自然と人や動物に好かれるようになってくるものでございます。
五戒とは
仏経では在家の五戒と言いまして、在家の方が守るべき五つの戒として
- 不殺生戒(ふせっしょうかい)…生き物を故意に殺してはならない
- 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)…他人のものを盗んではいけない
- 不邪婬戒(ふじゃいんかい)…不道徳な性行為を行ってはならない
- 不妄語戒(ふもうごかい)…嘘をついてはいけない
- 不飲酒戒(ふおんじゅかい)…酒類を飲んではならない
がありますが、その中でも殺生が最も重い罪として最初に説かれているのです。
もっと詳しく…五戒とは
命を慈しむ
仏は衆生の悩み苦しみを取り除くために修行し、法を説いて居られます。
仏の心は慈悲の心であり、命をあわれみ、慈しむ心なのです。
仏の慈悲の心で
命を奪うという事は相手に対して大いなる苦しみを与えてしまう事、そして奪った命は決して戻らない事、周りの者を悲しませることです。
仏としての慈悲はありとあらゆる生き物に対しての優しさの心です、命を育てる、命を大切にする心であって、決して命を奪う心では無いのです。
これからは仏の心で考えましょう、仏の優しさを持ちましょう、そして最後に仏に対して感謝し、命やご縁に対して感謝致しましょう。
供養することが大切です…動物の毛皮などは供養した上でお焚き上げ
動物製品、剥製などは…これはお焚き上げしても良いですか、動物製品、剥製など