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諦めるとは
諦めるとは望んだり願ったりしていることを途中で止める、断念するなどの意味で使われますが、仏教的には執着を捨てるという意味です。
一般的な諦めるの意味
私達が普段使っている「諦める」は、
- 志望校のレベルが高すぎるので諦めた
- 欲しかった物が手に入らないので諦める
- ダイエットを続けるのが辛いので諦めた
などで、いずれも目標が高すぎたり、続けることが辛いなどの理由で諦めるのですが、告白しようと思っていた好意を抱いた女性に既に彼氏がいることが分かったので告白することを諦めた、のように思いを断念するようなこともあります。
願ったり望んだりしていたことを断念する訳ですから、敗北感や挫折感のために食事が出来なくなったり、人と会いたくない、部屋に閉じこもって落ち込む、精神的な病になるなどの症状が出ます。
一度は落ち込んでも、口惜しさをバネにして新たな挑戦をすれば案外うまくいくものですが、中々それが出来ないのです。
仏教での諦め
釈迦は人間世界が苦しみに満ちていると捉え、その苦しみから逃れる方法として四諦八正道を説きました。
八正道とは八つの正しい道であり、四諦を悟るために実践する方法です。
私達はどうしても欲望があって執着があるから真理を素直に受け入れることが出来ませんが、欲望を捨て去れば真理を素直に受け入れることが出来ますので、その状態が諦めなのです。
諦めなさいとは、執着を捨てて真実を正しく見なさいということなのです。
四諦とは
四諦(したい)とは釈迦の悟りの内容で、仏教が説く基本的な真理の苦諦、集諦、滅諦、道諦のこと。
苦諦
その苦しみは四苦八苦であると説きました。
集諦
「集諦」とは苦しみの原因を「集める」ということです。
苦の原因は煩悩・妄執であり、更には求めて飽かない愛執であるという真実。
苦しみの原因として十二縁起を説きます。
滅諦
「滅諦」とは苦しみの原因を「滅する」ということです。
苦の原因を消滅させるには欲望、執着を断つという真実。
欲望が無くなった状態が苦しみの無い状態だと説きます。
道諦
「道諦」とは苦しみの原因を集めて滅するための「道を示す」ということです。
悟りに至る実践として八正道という真実を説きます。
八正道とは
八正道とは仏教で悟りを得て涅槃に至るまでの八つの修行法で、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことで、八聖道、八支正道、八聖道支とも言います。
正見
正見とは物事を正しくありのままに見るということで、自分の価値観や固定観念から離れた正しい物の見方のこと。
正思惟
正思惟とは正しい考え方を持つことで、自己中心的な考え方や誤った考え方ではなくて、正しい仏法の考え方を身に付けることです。
正語
正語とは正しい言葉を使うことです。
正業
正業とは正しい行いの事で、五戒の中で最初の三つ「不殺生」「不偸盗」「不邪淫」に該当する悪業を行わないことです
正命
正命とは道徳に反するような職業や仕事をすることなく、正しい仕事をして規則的な生活することです。
正精進
正精進とは正しい道に向かって正しい努力をすることです。
道を踏み外した場合には二度と踏み外さないように誓います。
正念
正念とは正しい信念を持つことで、雑念を払った安定した心の状態を保つこと。
正定
正定とは座禅、瞑想などで精神を統一して心を安定させること。
心の動揺をはらって、安定した迷いのない境地を完成させること。
諦めのすすめ
私達には欲望というものがあるからこそ、人との競争の中で嫌な思いをすることばかりですが、少しでも豊かになりたい、幸せになりたいと努力するのです。
自分のために、子供のために、家族のためにと高い目標を掲げ、くじけるようなことがあっても我慢を重ね、どんなことが起ころうとも決して諦めずに努力を続けることによって、我が国では敗戦後の貧困から今の時代の豊かさを実現していますが、その努力の姿は私達日本人の美徳になっているのです。
しかしその美徳の裏側では、本当は諦めてしまえば楽になるものを、諦めきれない自分が居て、そのプレッシャーに耐え切れずに病気になってしまったり、自らの命を落とす人達が増えているのです。
命を落とすぐらいなら諦めてしまって生きる道を選べばよいのに…とは誰しも思うものですが、当の本人にとってはそういう道が見えなくなってしまって居るのです。
しかし今の自分の置かれた状況を諦めてしまえば、案外楽になり、苦しみから解放されるのですから、所詮恥をかいたところで、人からざまあみろと思われたところで、いざ離れてしまえば誰だって忘れてしまうようなことにこだわっているだけなのです。
諦めるためには「こだわらない」ことです。
プライドなどは真実の世界では全く通用しないことであり、生じては消えるを繰り返す妄想の世界での出来事に過ぎません。
諦めてスッキリすることとして
- 負けてばかりの競馬から「負けたお金を取り返そう」という執着心を諦める
- フラれた相手のことを諦める
- 会社での足の引っ張り合いのバカげた競争を諦める
- ライバルとの競争を諦める
特にライバルとの競争を諦めたら、ライバルは優越心に浸ることになり、自分は敗北心で悔しい思いをするものですが、諦めるとはそういう戦いの土俵から去ることで、相手から何を言われようとも気にしないことなのです。
諦めるとは悟りでもありますので、今の自分が居る状況を正しく観て、何の役にも立たないバカバカしい競争から抜け出して改めて自分が居た世界を観てみたら、バカバカしいことに時間を使っている人達が哀れに観えてしまい、こんな世界にこだわらなくて良かったと思うことでしょう。