三十三回忌とは

三十三回忌のイラスト

三十三回忌とは故人が亡くなってから32年目に行う追善法要のことであり、弔い上げと言って故人のための最後の法要とすることが多くなってきました。

弔い上げとは

弔い上げの法事のイラスト

弔い上げとは、亡くなった人の回忌法要と言われる法要を重ねてきた中で、最後となる法要のことで、浄土に行った、或いは家の守り神になるとも言われて、尾頭付きの鯛を出して祝うような風習もあります。

法事は何回忌まで

回忌法要と言われる法要は丁寧に行う場合は百回忌までありますが、行うにしても故人のことを知っている人が居ないことや、近年の葬祭の簡略化の波を受けてどんどん短くなっています。

  • 初七日
  • 四十九日(または三十五日)
  • (百か日)
  • 1周忌
  • 3回忌
  • 7回忌
  • 13回忌
  • 17回忌
  • 二十三回忌
  • (二十五回忌)
  • 二十七回忌
  • 三十三回忌
  • (三十七回忌)
  • (四十三回忌)
  • (四十七回忌)
  • (五十回忌)
  • (百回忌)

となります。

初七日の法事は葬儀の時に同時に行われることが多いです。

二十五回忌をする時には二十三回忌と二十七回忌はしません。

法事を何時行えばよいか分かります…年忌法要早見表

十三仏との関係

十三仏の写真

十三仏の信仰は室町時代になってから始まった我が国独自の信仰で、十三の仏が亡き人に対して死後の世界を引導するというもので、今でも特に真言宗では法事の時に十三仏の掛け軸を掛けて十三仏の真言を唱える「お看経」(おかんき)をします。

十三仏が亡き人を三十三回忌まで案内する信仰は十王の死後の世界の裁判から来ていると言われていますが、その内容は

  • [十三仏]   [裁判官]         [法事]  [命日から]
  • 不動明王  秦広王(しんこうおう)   初七日 7日目、6日後
  • 釈迦如来  初江王(しょこうおう)   二七日 14日目、13日後
  • 文殊菩薩  宋帝王(そうていおう)   三七日 21日目、20日後
  • 普賢菩薩  五官王( ごかんおう)    四七日 28日目、27日後
  • 地蔵菩薩  閻魔王 (えんまおう)    五七日 35日目、34日後
  • 弥勒菩薩  変成王 (へんじょうおう)  六七日 42日目、41日後
  • 薬師如来  泰山王( たいざんおう)   七七日 49日目、48日後
  • 観音菩薩  平等王 (びょうどうおう)  百か日 100日目、99日後
  • 勢至菩薩  都市王 (としおう)     一周忌 2年目、1年後
  • 阿弥陀如来 五道転輪王(ごどうてんりん) 三回忌 3年目、2年後
  • 阿閦如来  蓮華王 (れんげおう)    七回忌 7年目、6年後
  • 大日如来  祇園王 (ぎおんおう)   十三回忌 13年目、12年後
  • 虚空蔵菩薩 法界王( ほうかいおう) 三十三回忌 33年目、32年後

最後の虚空蔵菩薩が三十三回忌になっていますので、三十三回忌で弔い上げをすることは十三仏の考え方によるものと思われます。

三十三年の意味

三十三年の意味

亡くなった人が死後の世界でどのようになっているのかという死後の世界観は宗教によっても違います。

浄土に行って帰ってくることが無いという考え方もあれば、生まれ変わるという考え方もあり、果たしてどうなっているのかは誰も分かりません。

絶対的な世界があるということではなくて、自分が信じている世界に行くというのがある意味正解なのかもしれません。

私達は死後の世界に必ず行くとしたら、その世界の時間は長いのですから、今生きている内に準備しておく必要があり、宗教というものは死後の世界を説く代わりに今生きている時に何を為すべきかと説いているのです。

私達にとっての三十三年は、一つの世代から次の世代に移り変わる時間であり、子供だった人でも三十三歳になれば結婚して子供が出来るような時間なのです。

亡くなった方にとっての三十三年間は、その方のための供養を行い、功徳を届け続けますが、三十三回忌の法事を最後に家の守り神という存在になって故人としての個性が無くなるのです。

昔から三十三回忌の法事は目出度いものとされ、家の守り神が増えたということで、鯛の尾頭付きを出して喜ぶものなのです。

三十三回忌をしなかったら

法事をしないイラスト

故人の三十三回忌を忘れていたり、しなかったらどうなるのでしょうか。

特に三十三回忌は弔い上げで最期の法事ですから、これをしなかったら家の守り神になることが出来ないのでしょうか。

答えとしては、三十三回忌をしなかったことで家の守り神になることが出来ないということはありません。

しかし先祖からの守護の力が増えることはありませんし、徳を積む機会が減ったことは事実ですから、それでも普通に生きていくことに関しては構わないと言えば構わないことなのです。

私達が生きていくのに困ることは目には見えない部分での悩みや苦しみですから、時には最新医療の力でもどうにもならないこともあり、そういった事が神仏やご先祖様の力で必ず治るのかと言えばそうではありませんが、実はこの大宇宙の世界では私達の存在はとても小さなものであり、実は私達の目には見えない世界の方が遥かに大きいことを知ってしまったら、自分の愚かさに気付くのです。

私達はどうしても自分の生活が優先で、神仏や先祖などの眼には見えない世界を後回しにしてしまいがちですが、自分の生活を優先したところで、実は何も得られてないことに気が付かなければいけません。