欣求浄土とは
欣求浄土とは極楽浄土に生まれ変わることを心の底から願い求めるという仏教用語です。
末法の世の中
末法とは釈迦の入滅後1500年もしくは2000年過ぎたら釈迦の説いた教えを実践する者と悟りに入る者が居なくなる時期のことで、その考えを末法思想と言います。
三時とは正法・像法・末法の三つの時代のことで、釈迦が入滅後に仏法の行われ方がどのように変化していくかを時系列的に表したものです。
- 正法…教・行・証が得られている千年間
- 像法…教・行はあるが、証が得られない千年間
- 末法…教はあるが、行・証が廃れてしまう一万年
いずれの時代にも釈迦の説いた正しい教えである「教」だけはあるけれど、末法になれば実践する人も悟りを得る人も居なくなってしまうので、まさに「世も末」の時代になり、その末法は平安時代から既に始まっているとされています。
当時は飢饉や伝染病が人々を次々と襲ってきて、政治的にも争いが絶えず、荒廃しきった世の中で次々と人々が原因不明の病気で死んでいくのですから、誰一人として救われる者が居なくなるという恐怖感に人々が支配されていた中で法然は只ひたすらに念仏を称える「専修念仏」が極楽浄土への往生の決め手になると確信して教義の中心とし、誰にでも実践出来ることから、その運動を広めることに生涯を捧げたことにより、浄土宗が広がっていくのです。
今もまだ末法です
世の中というものは本当に平和な時代は少ないもので、いつの世も戦争や伝染病の流行、盗賊の出没、洪水や日照りなどの異常気象に苦しんできたのです。
但し今の時代は医療の発達と食の向上のおかげて平均寿命が延びたことは昔と違うところですが、その反面癌や糖尿病などの現代ならではの病に苦しむ人が多いのです。
新型コロナにしても未だに終息の様子が無く、多くの人が命を落とし、今なお後遺症に苦しんでいる人が居ることを思いますと、現代ならではの未知の伝染病の恐怖は続いているのです。
物質的、経済的に豊かになった今の世の中でもすぐ傍に死の恐怖が迫り、身近な所に犯罪の恐怖が迫っていることを思いますと、今の世の中は完全に末法なのです。
末法を生きる
私達が生きていて、世の中が年々良くなっていると思えるでしょうか、それとも世の中は年々悪くなっっているでしょうか。
おそらく生活のレベルが良くなっていると感じる人は居るでしょうけれど、世の中は年々悪くなっていると感じている人が多いのではないでしょうか。
少なくともこれから先、希望が持てるかどうか、明るい未来があるかどうかに掛かっているのですが、夢や希望が持てないと感じている人が多いのではないでしょうか。
実際今の世の中、私達が戦争に巻き込まれるかもしれないという危機感が現実味を増し、静かな住宅地にも凶悪犯罪者の足音が聞こえてくるようになりました。
物価が上がり続けて日々の生活がどんどん苦しくなっています。
しかし世の中が悪くなってしまって世の中に対して怒りの感情を持ったところで、自らの心まで怒りの感情で満たされてしまいますと、怒りの心は相手を攻撃する心となり、魂のレベルが落ちてしまいます。
世の中の状況が阿修羅や餓鬼、地獄、動物の状況だからと自らもその中に入って大騒ぎしていますと、下の世界へどんどん落ちるばかりです。
世の中の状況が悪いからと、それに釣られて怒りの感情を持ったり、愚痴を言うのは止めにして、少なくとも自分の心だけは平和であるように、そして自分の家族だけでも穏やかで和やか、そしてお互いに癒されるような心を持てば良いのです。
末法は今に始まったことではありませんので、世の中の混乱はまだまだ続きます。
今のあなたは混乱した世の中の
- 見物人になっていませんか?
- 野次馬になっていませんか?
- 火事場泥棒のようなことをしていませんか?
自分の不幸を世の中や他人のせいにしていませんか?
人生は短く、あっという間に終わってしまいます。
私達に与えられた時間は有意義に使わないとすぐに終わります。
今こそ自分自身がしっかりとした心を持ち、世の中の混乱に振り回されないようにしなければいけない時なのです。