比丘、比丘尼とは
比丘とは仏教に於いて出家して仏教教団の一員となり、具足戒を守る男性の修行者のことで、女性の修行者は比丘尼と言います。
釈迦の時代の比丘
難行苦行の果てに悟りを得た釈迦が共に苦行を実践した5人の沙門を訪ねて法を説き、やがて悟りを得て五比丘になったことが仏教教団の始まりです。
次にワーラーナシーの長者ヤシャスやカピラヴァストゥのプルナらに法を説き、教団の教主であるウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパの3人に法を説いて高弟の三迦葉になったことで釈迦の教団は大規模なものになりました。
その後はマガダ国の王ビンビサーラも帰依して竹林精舎を寄贈し、やがてシャーリプトラ、マウドゥガリヤーヤナ、倶絺羅、マハー・カッサパなども次々に改宗して教団は膨れ上がり、戒律などの規律も制定されるようになったのです。
釈迦在世当時の比丘は修行しながら釈迦の法を聞くという形であり、釈迦が説いた法は弟子達に伝えられてやがて多くの経典となり、今の時代にまで伝わっているのです。
釈迦の時代の比丘尼
阿難は釈迦の在世中に釈迦の養母である摩訶波闍波提(まか・はじゃはだい=マハー・プラジャパティー)達が釈迦に対して出家したいとの申し出に対し、認めようとしなかった釈迦を説得して尼僧((比丘尼)が出来たことは彼の偉大なる業績です。
当時女性の出家者というものが存在しなかったのは、集団の中に女性が加わることによって恋愛の感情が生じたり、修行に集中できないなどの問題や、社会的に女性の身分が低かったことなどの理由によるものですが、阿難は男女に関係なく一人でも多くの衆生が救済されることが真実の教えにとって必要なことであるとの思いを釈迦に伝えたのです。
比丘比丘尼の持物
釈迦の時代には出家した修行者である比丘(びく)は修行に専念するべきということで、俗世間の欲望を捨てると共に、自分の物を所有したいという所有欲でさえ捨て去るために一切の所有を認めませんでしたが、唯一修行のために必要な物として「三衣一鉢」のみ所有することを許されました。
比丘が山野で修行する時の衣である安陀会(あんだえ)、鬱多羅僧(うったらそう)、僧伽梨(そうぎゃり)と一つの鉢が三衣一鉢です。
比丘比丘尼の托鉢
釈迦の説いた仏教は多くの出家者と在家の信者を生み出して、出家者は修行をして法を説き、在家者は出家者を支えるという役割が自然と出来上がりました。
やがて出家者の集団の規律を維持していくために戒律が出来て罰則も設けられ、最も重い罪を犯せば即刻僧団追放とっなたのです。
出家者は経済活動を行うことなく仏道の修行のみに専念していましたので、その生活を支えるために托鉢に出かけて家々を回り、布施された食料などを平等に分けていたのです。
比丘比丘尼の目的とは
比丘比丘尼の目的とは悟りを得ることであり、苦しみの世界である輪廻転生の世界から抜け出すことです。
更には如来になって悩み苦しむ衆生を救済することなのです。
仏教は悩み苦しみの世界の中で浮き沈みする衆生に対してその解決法を示し、更には永遠に安楽の場所を指し示し、その住人になることを勧めているのです。