八正道とは
八正道とは仏教で悟りを得て涅槃に至るまでの八つの修行法で、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことで、八聖道、八支正道、八聖道支とも言います。
釈迦の教え
八正道は釈迦が悟りを得た後の最初の説法であり、初転法輪(しょてんぽうりん)の中で説かれたものです。
釈迦の説いた内容は
「比丘たちよ、聖なる八正道とは何か」
「それはすなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である」
正見
正見とは物事を正しくありのままに見るということで、私達が物事を見る時にどうしても自分の価値観や固定観念などが入った目で見てしまいます。
時には差別や偏見であったり自惚れの心で物事を見た結果として正しい判断が出来なかったり、人と対立したり、争いの原因になることもあるのです。
そういった感情を持つことで正しい判断が出来なければ悟りに近づくことが出来ません。
正見を実践するためには一切の価値観や固定観念を捨て去り、物事のありのままの姿、真実の姿を見る努力が必要です。
私達の世界は目に見える世界と目には見えない世界もあり、目に見えない世界も含めて正しく見るということが大切で、特に目に見えない世界のことで騙される人が多いのです。
「300年前の御先祖が不幸な死に方をしてその恨みが残っている」このようなことで騙す人も居れば騙される人も居ますが、正しい目で見れば分かるはずです。
正思惟
正思惟とは正しい考え方を持つことで、自己中心的な考え方や誤った考え方ではなくて、正しい仏法の考え方を身に付けることです。
貪瞋痴(とんじんち)の三毒は正しい考え方を邪魔します
「貪」は貪(むさぼ)りの心で人よりもたくさん欲しい、人の物でも欲しいという気持ちのことで、欲しいという気持ちに支配されて人を傷つけても気が付かない程になってしまいます。
「瞋」は怒(いか)りの心で、絶対に許せない、仕返しをしてやるという気持ちのことで、怒りの気持ちに支配されて、他人に対して攻撃的になってしまい、小さなことでは喧嘩に、大きいことでは戦争になってしまいます。
「痴」は無智のこと、真実を知らない心、真実を知ろうとしない心で、いい加減な情報や嘘、デマなどの情報に振り回されて正しい判断が出来ない状態のことです。
正思惟を実践するためには仏教を学ぶことです。
正語
正語とは正しい言葉を使うことです。
正しい言葉を使うためには
こういった言葉を使わないようにします。
正業
正業とは正しい行いの事で、五戒の中で最初の三つ「不殺生」「不偸盗」「不邪淫」に該当する悪業を行わないことです
こういった行為を行わないようにします。
正命
正命とは道徳に反するような職業や仕事をすることなく、正しい仕事をして規則的な生活することです。
正しくない行いをしないということはもちろんのこと、正しくない仕事をしない、手伝わない、関わらないということも大切な事で、世の中には犯罪を仕事とする職業や泥棒や強盗などの仕事に手を染めている人も居るのは何時の時代も同じことなのです。
正精進
正精進とは正しい道に向かって正しい努力をすることです。
道を踏み外した場合には二度と踏み外さないように誓います。
正念
正念とは正しい信念を持つことで、雑念を払った安定した心の状態を保つこと。
正定
正定とは座禅、瞑想などで精神を統一して心を安定させること。
心の動揺をはらって、安定した迷いのない境地を完成させること。
「正念」と「正定」が実現して始めて「正見」が得られるのです。