裏切りとは
裏切りとは交わした約束や契約、同盟関係などを守らずに別の相手に寝返ったり、約束とは違う結果にされてしまうこと。
寝返ること
寝返るとは寝ている時に体の向きを変えることで、寝返りを打てば顔の向きが変わり、今まで向いていた方向とは違う方向を向くことから、今まで味方してくれた人のことを敵と思い、敵だった方を味方として顔を向けるという意味なのです。
しかしどうして私達は敵と味方に分かれる必要があるのでしょうか。
根本的な原因としては誰もが持っている欲望であって、たとえば会社では出世すれば給料も待遇も良くなりますので、出世しようと思えば人を味方に付けて利用したり、時には寝返って敵を味方にしたり、味方を敵にしたりの厳しい戦いの中を潜り抜けていくことになるのです。
信じていた人に裏切られた
この人なら大丈夫と信じてお互いの家に行って結納を済ませ、結婚式の準備をしていたのに彼氏が元カノとの関係を続けていることが分かった時の「裏切られた」という気持ちはもう地獄の底に真っ逆さまに落ちていくようなものです。
特に女性にとって、信じていた男性からの裏切りは、気持ち的に絶対に許せないものなのです。
こういったことは深い心の傷になって残り続けますし、人間不信になってしまい、何時までも立ち直ることが出来なくなってしまいます。
仏教に於ける裏切り
などに該当しますが、場合によっては全部の戒に該当することもあります。
裏切りは人と人との間で交わされた「約束」が守られなかったことに起因しますから、嘘をついたことで不妄語戒を破り、お金を返さなかったら不偸盗戒を破り、不倫したら不邪淫戒を破ることになるのです。
犯した罪に関しては自業自得、自分で責任を取らなければいけません。
仏の前では自分の身を守るために仕方の無かったという理由も通用しません。
裏切られた方へ
裏切られた方としては信じている人に崖から突き落とされたようなものですから、ショックで立ち直れないもので、痛い目に合わせないと気が済まないという怒りの感情に支配されるものですが、裏切った人を恨んでいても何の徳にもなりません。
裏切った人は罪を作りましたが裏切られた人は何の罪も無いのです。
人を信じるということはとても素晴らしいことで、誰とでも信じあう関係でいたいものですが、現実は厳しく欲の塊で、欲望を満たすために人を裏切ることに罪の意識さえなく、そのような中で本当に信じられる人って居るのかなとさえ思います。
しかし世の中捨てたものではありません、人を裏切らないような人は必ず居るのです。
神仏もそうです、裏切るような低いレベルのことは無縁の世界なのです。
もし裏切られたとしたら、こういう事は出来るだけ早く忘れてしまって、気分を変えることで良い方向に向かいます。
何時までも忘れずにくよくよしていたり、怒りの感情に支配され続けますと、知らないうちに心と体が鬼のようになってしまいます。
歳周りが悪かったら厄払いと言う方法もあります。
忘れるという事は気にしないと言うことですから、ある意味悟りになるのです。
ほんの少しの悟りでも心が穏やかに、そして楽になるのです。
- あんな奴と結婚しなくて良かった
- 神様が教えてくれたんだ
- もっと良い幸せを掴もう
このように気持ちを転換することで神様が本当に応援してくれるようになるのです。