祟りとは
祟りとは神仏や怨霊などが人に対して災いを与えることです。
祟りの由来
我が国には太古の昔より自然災害や飢饉、疫病の流行などは怨霊の祟りであると信じられていて、奈良時代から平安時代にかけては豪族や貴族の権力争いに巻き込まれた結果として、突然死や事故死などが続くことは全て怨霊の祟りだとして恐れられたのです。
菅原道真と言えば太宰府天満宮に祀られた学問の神として有名ですが、平安時代の貴族であり宇多天皇に重用されて右大臣まで上り詰めたものの、謀反を計画したとして大宰府に左遷されて現地で没した後に怨霊になったと言われています。
御霊信仰
祟りというものは鬼神のようなもので荒れ狂って手が付けられなくなり、祟りが人に降りかかれば災難や事故が起こったり、人が死ぬようなこともあるので、平安時代には祟りを鎮めるための方法として宮中で御霊会(ごりょうえ)が行われるようになったのです。
平安時代は弘法大師空海などの怨霊調伏の修法を行うことが出来る真言宗の僧侶が宮中で重用され、活躍した時代でもあったのです。
菅原道真の怨霊を鎮めるために墓所の上に建てられたのが太宰府天満宮で、他に藤原広嗣、井上内親王、他戸親王、早良親王などが怨霊になったと言われますが、復位させたり、諡号・官位を贈ったりして祀りあげれば鎮護の神になると言われたのが御霊信仰(ごりょうしんこう)です。
動物の祟り
動物の例が祟るということも昔から言われています
猫の祟り
猫を殺すと七代祟ると言われ、猫を殺した人ならまだしも、7代に亘って子孫に祟り続けられるのですから、それほど執念深い魔性の動物だということなのです。
野犬は噛まれたり狂犬病などの病気を人に移すことがあることから最近ではほとんど見かけませんが、外の世界で野良猫として生きている猫の数は多く、地域ネコなどと言われて案外地域に馴染んでいます。
猫が執念深いのは数多くの化け猫としての伝承があることで妖怪としてとらえられていることや、私達の身近な所に住んでいて、家の周辺に住みつくことで人の傍に居て人の言動を見ていることによると思われます。
狐の祟り
稲荷神社で祀られている狐は稲荷神の使いの動物だと言われ、好物の油揚げが供えられていますが、狐は古くから魔性の動物として狐の嫁入り、狐火、狐憑きなどの様々な狐に関する現象が現れると言われています。
蛇の祟り
蛇は屋敷の屋根裏などに住んで守り神として崇められることがあり、蛇の抜け殻は昔から財布の御守りと言われることから、蛇を殺したりすると祟りがあると言われるようです。
特に白い蛇は守り神として神格化されることも有るので、害することは罰を受けることになるのです。
先祖の祟り
息子が急死したのは先祖の祀り方が悪い、お墓の墓相が悪い、墓参りをしていない、法事をしていないからだ。
ガンになったのは3代前の先祖の怒りに触れているからだ。
戦国時代に斬られた霊が憑いて祟っている。
井戸に落とされた女の人が悪さをしている…など
調子が悪い、身内が次々と亡くなるので変だと思って霊能者に見てもらったらこのようなことを言われたらどうしますか?
実は先祖というものはそんな悪いことはいたしません。
ほとんどがインチキ霊能者のお金儲けのための嘘なのです。
先祖というものは子孫の者に対して只ひたすらに幸せになることを願っています。
不幸の原因は大抵が自分に原因があることが多く、それに気付いていないだけのことであり、人や物のせいにしたり、御先祖のせいにすることで納得しているだけのことです。
祟りから逃れるには
困った時には昔から「神様仏様御先祖様」と言いますが、どれも私達の眼には見えない存在ではありますが、私達の幸せを願って居られる方々です。
しかし私達は簡単に幸せになれるのではなくて、苦しみを乗り越えた所にこそ幸せがあるのですから、神仏やご先祖様は敢えて私達に苦難を与えて下さることがあり、それを乗り越えて幸せになりなさいと願って居られるのです。
幸せというものは苦難を乗り越えた所にあるものです。
ですからインチキ霊能者に騙されてはいけません、お金をたくさんとられておしまいです。
そんなことよりもまだ毘沙門天に幸せにして下さいと願いましょう。
目に見えない世界の事で振り回されるよりは、目に見える世界のことを大切にしましょう。
自分で出来ることはたくさんあるはずです。
家族で居るならば
目に見えない世界の事は毎日仏壇、神棚、祭壇に手を合わせ、お勤めしましょう。
こういったことを続けていれば祟りなどは無縁の世界になってきます。