千羽鶴とは

千羽鶴

千羽鶴とは色の付いた折り紙で折り鶴を折って千羽作り、糸などで束ねたものです。

祈りながら作る「願掛け」の方法で、病気平癒や平和などを願って作られます。

病気平癒の場合には病室に下げて成就したら寺社に奉納し、平和祈願の場合には施設に奉納します。

寺社や施設に奉納出来ない時にはお焚き上げを利用します。

千の数の意味

千羽鶴は「千」という数字が最初に付いていますが、「百」でも「万」でもありません、何故「千」なのでしょうか。

千羽鶴の千の意味は、たくさんということなので、数え切れないという意味にも通じていて、数え切れないぐらいたんさんの鶴というのが千羽鶴なのです。

実際に千羽鶴を折ってみますと、千羽折ることは中々大変なのですが、頑張れば叶う目標なので、当初の目標を千にしておいて、それが出来上がったら次の千を目標にするのです。

目標が達成したら次の目標があるということが大切で、結局終わりが無いのですが、終わりが無いということが日々の行であり、続けるということが目標達成のために必要なことなのです。

そして数としての「千」は願い事をするのに特別な意味があり、比叡山延暦寺で行われる「千日回峰行」は千日間山野を念仏しながら歩き回る行であり、「千」は願い事が達成する不思議な数字なのです。

千羽鶴の鶴の意味

中国では鶴は仙界に住む鳥であり、吉祥と長寿の象徴とされ、七福神の中でも福禄寿は鶴を従えていることから、縁起の良い鳥です。

日本では昔から「鶴は千年亀は万年」と言われるように、鶴は長生きの象徴であり、昔から重宝されてきました。

縁起の良い鶴の折り紙を折れば願い事が叶うということは至極当然の成り行きであり、大衆の中に広まっていったものと思われます。

千羽鶴を折る時の心得

千羽鶴を折る時には部屋を掃除してテーブルを綺麗に片付け、外の光を取り入れるか電気を点けて部屋を明るくしてから紙などの必要な材料をテーブルの上に置き、合掌または一礼してから始めます。

般若心経をご存知の方でしたら唱えながら、または守り本尊様のご真言などを唱えながら、お経をご存知でない方は〇〇さんの病気が治りますようにと念じつつ、一つ一つ丁寧に心を込めて折ってみてください。

急いでたくさん作ることが良いことではなくて、ゆっくりでも心を込めて作ることが大切でございます。

何のために折るのか

千羽鶴は「願掛け」と言いまして、願いを叶えるために折るのであって、それは

  • 大切な人の病気が必ず治りますように
  • 手術が成功しますように
  • 平和の象徴として、世の中が平和でありますように
  • 目標が達成しますように
  • 夢が叶いますように
  • 亡くなった方の供養のため
  • 水子の供養のため

などですが、鶴を折っている時に一つ一つに祈り、願いを込めることが大切なことで、その一つ一つの祈り願いの集大成が千羽鶴になるのですから、祈り願いに集中して作れば良いのですが、これもまた精神修養で、ほとんどが悩み苦しみながら、雑念が入りながら折ることになるのですが、それでも出来上がった千羽鶴は自分にしか出来ない世界にたった一つの千羽鶴になるのです。

祈りながら作るという意味では「写経」にも通じるところがあります。

千羽鶴の奉納

折った千羽鶴は病院の病室に持って行ったり、平和記念公園、寺院、神社などに奉納しますが、大量にあればかさばると言う理由やお焚き上げをする場所が無いなどの理由で、寺院や神社で千羽鶴の奉納を受け付けている所は少ないですので、奉納を希望される場合には予め問合せしましょう。

広島平和記念公園に奉納される千羽鶴は有名で、1年間に奉納される千羽鶴は10トンにもなるそうです。

まれに水子さんの供養のために千羽鶴を折って寺院に奉納することもあります。

千羽鶴の処分

千羽鶴は祈りながら折ることによって、出来上がったものはある程度の思いや念の籠った物になりますので、ある程度の目的が達成出来たら燃えるゴミとして処分しますが、ゴミとしての処分に抵抗を感じる場合にはお焚き上げ供養の利用も効果的です。

またご自宅の庭などで広いスペースがあるのでしたら般若心経などを読経した上で焚き上げても構いません。

願いが叶ったら

千羽鶴はほとんどの場合、お見舞いとして差し上げるか神社、寺院、施設などに奉納いたしますが、寺院や神社に奉納して願いが叶った場合にはお礼参りするのが礼儀です。

病気が治ったり手術が成功した場合には作ってくださった方にお礼を申し上げると共に、記念として取っておいても構いませんが、取っておくにしても1年をメドにして、寺院や神社に奉納させて頂くか、お焚き上げ供養するのが丁寧な方法です。

願いが叶わなかったら

いくらがんばっても、必死で祈っても願いが叶わないということはあるもので、結果としては努力が足りなかったからとか、誰が悪かったということもありません。

ただそうなってしまったというだけのことで、祈ったことや願った事は無駄ではなかったはずでございます、もし亡くなった方がおられたとしても、祈ってくれた、願ってくれた方の気持ちというものは、最高の贈り物でございます、どれだけ気持ち的に救われたことでしょう。

願いが叶わなかった千羽鶴は役に立たなかった訳ではありません、その気持ちは最後には天にお届けして差し上げましたら、さぞや喜んでくださいます。

私達は祈る気持ちによって救われたり、安らいだりすることが出来るのであり、祈って下さる方には感謝しなければいけません。

大切な人が事故や病気で亡くなったという事実が今でも信じられない方や、何かしてあげようと思っていたのに、何も出来なかったという後悔の念が残る人、無気力で何も出来ないという方は是非無料の相談をご利用くださいませ。

相談専用ダイヤル 043-228-1480 年中無休

やすらか庵問い合わせ(メール)エンター


お焚き上げの質疑応答エンター