付喪神(つくもがみ)とは

付喪神

付喪神(つくもがみ)とは長い年月を経て使ったた道具や物などに宿る神や精霊(霊魂)のことで、九十九神(つくもがみ)とも書き、長い時間を表す百に一つ足らないことから、かなりの長い時間使い込んだ道具が神になるという信仰があったのです。

付喪神絵巻とは

付喪神記

付喪神絵巻とは室町時代に成立した絵巻物で、年末のすす払いに捨てられた道具たちが付喪神になって人間を襲い、悪事を尽くすが、密教の法力により調伏され、出家して真言宗を学び成仏するという物語です。

捨てられた古道具などの物にも魂が宿り、真言密教の教えで成仏することが出来ると説いており、やすらか庵ではお焚き上げによって物の供養をしていますが、この付喪神記には学ぶべき内容がたくさんあるということでご紹介させて頂きます。

付喪神記を読んでみる

国立国会図書館所蔵の「付喪神記」を現代語に訳しながら読んでみましょう。

すす払い

陰陽雑記という書物によると、器物は100年経つと精霊になって人の心を惑わすようになり、これを付喪神と呼ぶということです。そのため、世間では煤払いと称して立春の前に古道具を捨てる。100年に1年足りない付喪神の災難に遭わないためである。

捨てられた古道具

時は康保の頃、煤払いという事で洛中洛外の家々から、古道具が捨てられました。その古道具たちが一所に集まって話し合いをしています。
「われわれは長年家々の家具となって、一生懸命ご奉公してきたというのに、恩賞がないどころか、道ばたに捨てられて牛や馬に蹴られなくてはならないとは、何と恨めしいことだ。こうなったら妖怪になって仕返しをしてやろう。」何とも物騒な相談である。

付喪神の相談

数珠の一連入道が皆に対し「捨てられたことも因果と受け入れ、仇を恩で返すべきである」と主張するが、これを聞いた手棒の荒太郎は激怒し、一連入道の数珠の留め具が砕けるほど激しく打った。一連は息も絶え絶え弟子たちに助けられその場を去っていった。

一連入道

古道具らは、陰陽が入れ替わる節分の夜に造化の神に身を任せて妖物となった。その姿は男女老少の姿であったり魑魅悪鬼のようであったり狐狼野干の形をとったりとさまざまであった。彼らは舟岡山のうしろの長坂の奧に住んで、京白河に出ては人畜をおそって食物とした。被害にあった人々は嘆き悲しんだが、目に見えない妖怪の仕業のため対処のしようがなく、ただ神仏に頼るのみであった。

付喪神とは

一方妖怪らは舞を舞ったり酒宴を催したり、天上における快楽すらうらやましくないと豪語し日々楽しんでいた。

妖怪の宴会
妖怪たちは「造化神に形を与えられた自分達が神を祀らないのは心ない木石と同じだ。今からこの神を氏神と定めて祀ろう。子孫繁盛すること間違いなし」と話しあい、変化大明神と名付け、神主や八乙女や神楽男の役を定め、朝夕神事を行うことにした。妖怪とはいえ信心の厚いことである。

妖怪の神事
他の神社と同じように祭礼を行おうと神輿を製作し、四月五日の深夜、行列をなして一条通りを東へ進んでいった。ところがそこに、臨時の除目のため参内する関白殿下の行列がやってきて妖怪たちの行列と鉢合わせした。関白側の御伴の者はみな気絶してしまったが、関白は一切騒がずに車の内から妖怪らを睨みつけた。すると不思議な事に、御守から炎が吹き出し、妖怪たちに襲いかかった。妖怪たちは命からがら逃げて行った。

お守から炎

関白はこの騒ぎのせいで参内することができず、未明になって帝に奏上した。帝は大変驚いて占いをさせたところ、重大な事態であるという結果が出たため、神社に幣を奉り、寺院でもご祈祷を始めることになりました。
ところで関白の不思議なお守りの奇特の所以というのは、某の僧正の自筆の尊勝陀羅尼を供養してから進上したもので、関白はそれを肌身離さず持っていたのであった。帝はこのことを聞いて、今回の祈祷はすべてこの僧正に任せるよう仰せになった。僧正は再三辞退したものの帝の敕諚に背くわけにもいかず、清涼殿で如法尊勝大法を行うことになった。

護法童子

伴った僧はみな一門の秀才で瑜伽教(密教)の達者な者たちであった。六日目の夜、帝が聴聞の為に清涼殿においでになる際、御殿の上を御覧になると光明があり、その中には護法童子が七、八人、剣や宝捧を持って立っていた。そのまま北をさして飛び去っていった。護法童子は悪魔降伏のために現れたにちがいないと、帝は涙を流されて儀式の後、阿闍梨を呼び寄せて「今回の効果は僧正の練行のたまものである」と仰せになった。僧正は感動に涙をこぼし、御前から退出した。

宮中の祈祷

護法童子らは、妖怪たちの城へと飛んでいくと忽ちに退治してしまった。「以後殺生をやめ、仏法に帰依すれば命は助けてやろう。」と言われ、妖怪たちはその威光を畏れて従った。
妖怪たちは話し合った結果、「我々は多くの生き物を殺し、物事の道理を無視してきたせいで、報いを受けた。しかしありがたいことに懺悔の意を汲み取っていただき命は助けられた。この上は仏教に帰依して菩提の菓実を求めるべきである」と発心した。

妖怪の話し合い

仏の教えを受けようとした妖怪たちは、一連上人が道学共に諸宗に用いられた名匠であったことを思い出した。去年の冬に一連上人に恥辱を与てしまったが自分たちの懺悔の気持ちを感じ取って慈悲の心で許してくれると信じ、教えを請おうと一連上人の住処へと出発した。

一連上人を訪ねて

一連上人は、去年の冬から浮世を厭い、山奥に籠って修行の日々を送っていた。
戸を叩く音を聞き様子を見ると、異類異形の妖怪たちが立っていた。
「何者だ、天魔外道が私の道心を妨げに来たのか」「いいえ我々はかつて器物であった古道具で、今はこのような姿になったのです」妖怪たちは自分たちの現状や発心の理由を一連に語った。

一連上人

上人は「あなた方の行方を気にしていたところだ。会えただけでも嬉しいが、さらに発心されたとは嬉しいことだ」と喜んだ。かつて一連を打った手棒の妖怪は謝罪し、上人もこれを快く許した。

妖怪たち仏門に入る
妖怪たちは一連によって剃髪染衣の形なり(=出家した)、修行に励んだ。ある時、妖怪たちは上人に「仏教の諸派は元は同じ教えであっても成仏までに時間の差があり、これは教への浅深のせいと聞きました。同じことなら、深い教えに入り、速やかに悟りの境地に達したいのです」と言った。上人は「わたしはこれまで多くの宗派の教えを学んできた。そもそも仏教の教えには浅深の差はあれども同じ教えである。安易に是非を論じられるものではない。しかし、速やかに成仏するという点では真言密教の力が優れている。かつて弘法大師が即身頓悟の理を説いたとき諸宗の高僧はこれを疑い宮中で論議しが、誰もが弘法大師の弁に感嘆した。さらに時の帝の望み通りに即身成仏の現証を見せ、以後真言密教は大いに盛んになった。各々早くこの一門に入り悟りを開くのだ」と語り、これを聞いた妖怪たちは喜び真言の教えを学ぶようになった。

妖怪たちの修行

彼らは生まれ持った大きな器のため、真言の教えを余すところなく授けられた。上人は108歳のとき、「自分は教え授かり終わることができ、願いはかなった」と言い残すと即身成仏した。部屋は光に満ち、密厳界となった。これを見た妖怪たちは一層修行に励むようになった。

その後一人のものから提案があり「共に学ぶことは良いことだが、修行がおろそかになる可能性もある。経典にも深い山に入って仏道を求めよと説かれている。みなそれぞれに深山幽谷に入り、世間との縁を絶って、精進修行するべきだ」となった。名残を惜しみながらも別れて暮らすことになった。

妖怪たち深山で修業

それから修行の成果があり、それぞれ成仏することができた。

妖怪たち成仏

人  因徳本性王如来
仙  長寿大仙王如来
天  妙色自在王如来
金界 法界体性王如来

このように成仏の結果がことなるのは真言宗の特徴である。

古道具などの心のない物の成仏が可能だと説く教えは真言密教だけである。他の宗派はただ「草木非情」というが、我が宗では「草木非情、発心修行成仏」と説いている。心がないと言われる器物が成仏できるのだから、心ある我々人間が成仏できないということがあるだろうか。この器物の妖怪の成仏の話を聞いて、真言宗の教えが奥深いことを信じる。もしこの教えを知りたいと思うならば、真言の門を叩くのだ。

付喪神辞典(イラスト付)

付喪神

付喪神は物が神や妖怪になったことから、いろんな姿の付喪神が存在します。

唐笠小僧

昔の傘は木と竹と紙などの天然素材で出来ていましたので、破れたり壊れたりした時には修理して長く使っていたものでした。

唐笠のお化けは「からかさ小僧」「傘おばけ」「傘化け」「一本足」「からかさ一本足」「おばけかさ」などと呼ばれています。

唐笠お化け

大きな一つ目と下駄を履いた一本足、長い舌が特徴。目が二つ、足が二本のこともあり、日本の手はない時もあります。捨てられた番傘が化けたもので、特に悪いことはしないが、一本足で飛び回って人を驚かせる。

意外と良く知られているにも関わらず、伝承が少ない中で、新潟県笹神村ではカラカサバケモン(唐傘化け物)という妖怪が出たという伝承が伝わっています。

提灯お化け

提灯お化け

提灯お化けは一つ目と上下に割れた提灯から飛び出した長い舌が特徴で、「ちょうちん」「化け提灯」「お化け提灯」「提灯小僧」などとも呼ばれます。

提灯本体から顔、手、体、翼などが出ていることもあります。

提灯は竹で編んで和紙を張った筒の中にろうそくや灯火を入れて夜の道を歩く時に明かりとして使うもので、江戸時代に奉行所の者が犯人を捕まえる時に「御用」と書いた「御用提灯」を使うシーンは、時代劇でも見ることが出来ます。

折り畳み式の構造になっていて、畳んだ状態で火を入れて、使う時には伸ばした状態で使うので、長年の使用によって紙が破れたりしてきますが、破れても補修して使うものでした。

使用中に木の枝や草に絡まって破れることもあり、風の強い時には火が弱くなったり提灯が飛ばされたりして火事になるようなこともあったのです。

今の時代のLEDライトに比べたら明るさは比べ物にならない程暗いのですが、それでも夜に提灯を持って歩けばほんのりと明るくなり、目が慣れてくれば相応に前が見えてきます。

昔は月が出ている時には月明かりのみで夜道を歩き、提灯を使うようなことは相当に贅沢なことであったのです。

提灯を持った人達が列をなして夜に歩けば、「狐の嫁入り」のように神秘的な光景になり、物の怪が動いてるようにも見えるものです。

提灯お化けに「火の玉」が付き物なのは、火のお化けと言うことでの共通点からだと思います。

化け草履、化け古下駄

草鞋お化け 化け古下駄

下駄や草履は古くから使われた形跡があり、下駄は弥生時代の登呂遺跡から出土されていることから、田んぼや沼地での足の沈み込みを防ぐために使われたようです。

下駄も草履も木や藁などの自然物から出来ることから、生活の道具として作られて壊れるまで使われて、壊れたら捨てるということを繰り返してきましたので、消耗品と言う意味では古くなれば捨てられて当然なのですが、人に踏まれるような使われ方をした上にぼろぼろになって捨てられるのですから、何かを訴えるために妖怪になるということがあったのかもしれません。

百鬼夜行の草鞋

室町時代の「百鬼夜行絵巻」には、藁の手足を持つ藁草履の妖怪の馬に乗った姿が描かれています。

釜のお化け、文福茶釜

茶釜のお化け

釜は煮炊きをする上での必需品ですからとことん使えなくなるまで使うのですが、釜が捨ててあっても金属ですからすぐには自然に還らないので、何か化け物のように見えたりすることはあると思います。

文福茶釜は狸或いは狐が茶釜に化けたものですが、助けてもらった恩返しに芸を披露して繁盛させたりする伝承は様々な形になっていますが、日本中に伝わっています。

鳴釜神事

鳴釜

鳴釜神事は吉備で今でも行われている神事で、釜の上に米を入れた蒸篭(せいろ)を置き、蓋をして釜を焚いた時になる音の強弱や長短によって物事を占う神事です。

吉備国には温羅(うら)という名の鬼が居て悪事を働いていたことから、大和朝廷から派遣された吉備津彦命(きびつひこのみこと)に首をはねられたが、はねられた首は死んでもうなり声をあげ続け、犬に食わせて骸骨にしてもうなり続け、御釜殿の下に埋葬しても更にうなり続けたそうです。

これに困った吉備津彦命の枕元に、ある日温羅が夢に現れ、温羅の妻である阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かせれば、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、吉凶を告げようと答えたので、それ以来鳴釜の神事が始まったということです。

経凛々

経凛凛

経凛々(きょうりんりん)とは妖怪画集「百器徒然袋」の中に描かれた日本の妖怪の一つで、作者である石燕が創作したと言われる経文の妖怪です。

平安時代の僧守敏(しゅびん)が、弘法大師空海との法力比べで敗れ去ったという逸話から、不用となって捨てられた守敏の経文が経凛々になったのではないかと言われています。

僧守敏は真言密教にも通じていた優れた僧として823年(弘仁14年)には嵯峨天皇から空海には東寺、守敏には西寺が与えられたが、あらゆることに対立していたそうです。

824年(弘仁15年)の干ばつの時には、神泉苑での雨乞いの儀式に於いて空海と法力を競い、法力で敗れた守敏が空海に矢を放ったが、地蔵菩薩に阻まれたことから、羅城門跡の傍らに「矢取地蔵」が祀られているのです。

照魔鏡

照魔鏡とは

照魔鏡(しょうまきょう)とは妖怪の正体や妖術を暴き照らすと言われるのことで、降魔鏡(ごうまきょう)とも言われます。

中国の「事物原始」七国伝には姜太公(太公望)が照魔鏡で妖魔を照らしたとの記述があることから、鏡が不思議な魔力を持っていることが分かります。

三種の神器

鏡は我が国では天孫降臨の国生みの伝説以来、天皇に伝えられるものとして「三種の神器」と言われ、「剣と勾玉」と共に宝物とされてきました。

また鏡は神を祀る時の御神体としても利用されることから、古来より真実を映し出すものとして、大切に扱われてきました。

人頭杖とは-イラスト

閻魔大王の法廷にある「浄玻璃の鏡」(じょうはりのかがみ)も亡き人の生前中の真実の姿を映し出す鏡とされ、嘘をついてもバレるそうです。

雲外鏡

雲外鏡

雲外鏡(うんがいきょう)とは江戸時代の浮世絵師鳥山石燕の妖怪画集「百器徒然袋」に描かれている鏡の妖怪

雲外鏡のイラスト

鏡も百年の歳月が経てば付喪神となり、次のような能力を身に付けることが出来る

  • 鏡自身が動き出す
  • 妖怪に操られて動く
  • 妖怪の姿を写し出す
  • 妖怪が鏡の中で動き回る

白容裔(うねり)

白うねりのイラスト

白容裔(うねり)とは鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある妖怪のことで、使い古したぼろ布が竜になったものです。

白うねり
『百器徒然袋』より

白容裔(うねり)の「容裔」(ようえい)とは風でバタバタとなびく様子を表した言葉です。

近年に於ける妖怪書籍では古い雑巾や付近が変化して妖怪になったもので、体中の粘膜と悪臭を放つことによって人を気絶させるということになっているが、小説家である山田野理夫(1922-2012)の著書「東北怪談の旅」に収録されている「古ぞうきんの仇討ち」が引用されているとされます。

「古ぞうきんの仇討ち」によれば、嫁をもらわず子供は養子を貰うと言っていた岩手県の藩士に対して自分の子供を養子にするよう迫った下女の提案を断ったことに腹を立てた下女は、藩士を殺して逃げようとしたところ、家の古雑巾が下女の顔に飛びつき、窒息死させたという話です。

明治時代以前までは布というものはとても貴重品であり、時代によってはお金の代わりとして使われたこともありましたので、最初は服として使っていた布がボロボロになったら布巾や雑巾として、本当に使えなくなるまで使っていたのです。

糞掃衣のイラスト

僧侶の袈裟にしても糞掃衣(ふんぞうえ)と言ってゴミ捨て場や死体置き場にあった布を拾い集めて縫い合わせたものだったのです。

ボロボロになって捨てられた布や廃屋に残された布は当然臭いもするでしょうし、何処かに巻き付いてパタパタとたなびく様子は、如何にも妖怪を連想するものです。

山川草木悉皆成仏

山川草木悉皆成仏

山川草木悉皆成仏」とは「山も川も草も木も皆悉く仏に成る」という意味で、草木国土悉皆成仏、山川草木悉皆仏性などと言われ、山も川も草も木などの心を持っていない存在で、自らの意思で修行できない存在であっても仏に成れるという思想は、本来の仏教には無い思想です。

アニミズム(自然崇拝主義)とも言い、我が国では修験道という形で実践され、受け継がれています。

八百万の神々

八百万神のイラスト

地方の旧家に行きますと、台所にも居間にも風呂、トイレにも必ず神様が祀ってあり、外に行けば門や井戸、納屋や蔵にも神様が祀ってあり、多くの神が祀られていることに気が付きます。

昔から八百万の神と言われるように、私達の周りには実にたくさんの神々が居て、神々に囲まれた生活が当たり前の感覚になっているのです。

各地の妖怪伝説

妖怪伝説

また私達の身の回りで特に自然豊かな場所には昔から多くの妖怪伝説が伝えられ、河童や犬神、猫娘などの動物のような妖怪から、ぬりかべ、一反木綿などの物の怪の妖怪にいたるまで実に様々な妖怪の伝説が残されているのは、私達の身の回りに普通に出没していた証であります。

現代社会でも「ゲゲゲの鬼太郎」や「妖怪ウォッチ」などの作品が受け入れられて流行するのは、私達の先祖から受け継いできた感覚や信仰心、民族性が私達の心の中に残っているからなのです。

物でも仏になれる

やすらかの森散骨

我が国では物の怪や妖怪などの伝説がたくさん伝わっていて、豊かな自然の中ではありとあらゆる物達が動き出したり話をしたりする、そういう世界があるのです。

豊かな自然と深い関連があるのは、自然の中には神仏や先祖を始めとした餓鬼、地獄、畜生、修羅などの世界が入り込むための石や樹、洞窟などがたくさんあるからであり、本来の地球の姿としては綺麗に整備された街並みでは無くて、緑溢れる大自然なのです。

しかし失われていく自然の中にもまだ目に見えぬ世界は現存し、私達は誰でもその世界に通じるチャンネルは持ち合わせているのです。

自分の給料で買った物だから、古くなったら捨てて新しい物を買えば良いという考えも間違いではありませんが、物に対して感謝する気持ちだけは持っていて下さい。

ありがとうは仏教用語である

物に嫌われるようになりますと、何をやってもうまくいかないようになりますが、物に好かれる人は物事が全てうまくいくのです。

物であっても仏に成ることが出来て、人を救ったりすることも出来るのです。

物が不要になったら

やすらか庵のお焚き上げ供養

物が不要になったなら、消耗品は捨てることになりますが、一言「ありがとう」の言葉を掛けるのを忘れずに。

まだ使える物はリサイクルなど有効活用し、物としての寿命が尽きるまで使ってあげましょう。

心や魂が入っている物は、ありがとうの気持ちでお焚き上げに出せば、魂を抜いて天にお還ししてくれます。

お寺のお焚き上げ供養

物に魂が籠るから仏像、位牌に神仏や先祖が宿るのです。

我が国には山川草木悉皆成仏と言いまして、大自然のあらゆる物が仏に成るという信仰が太古の昔から根付いていたのです。

物を大切にする人は人に対しても優しく、物を粗末にする人は人に対しても裏切ったり捨てたりということを平気で行うのです。

私達は物に対しても人に対しても大切にする心を忘れてはいけないということを「付喪神」は教えてくれているのです。