廻向とは
廻向とは自分が行った善行や読経、布施などの功徳を他人に振り向けることにより多くの衆生の仏道成就を願うこと。
先祖供養の廻向
法事や先祖供養は亡き人の供養や成仏の為に行うものですが、追善供養と言われるように、読経や布施などの善行の功徳を亡き人に振り向けるための儀式です。
亡き人は死後の世界で仏道の修行をしながら魂の向上を目指すのですが、この世で生きていた証としての肉体を失っている以上、現世に戻ってきて功徳を積むことが出来ないので、遺族の者が集まって追善供養をしてその功徳を故人に振り向けることは故人に対するこの上ない贈り物になるのです。
故人は残された者達を天から守り、遺族は故人に功徳を届けるというお互いの関係が成り立っているのです。
善行の廻向
仏教に於ける善行は功徳になりますが、本来は自分自身のための功徳であり、仏教の基本である自業自得の原理からすれば自らの善なる行いの結果は自分が受けることになり、他人が受けるものではありません。
廻向の思想は大乗仏教ならではの考え方であり、小乗仏教がまずは自分が完璧な悟りを得ることを重視していて、一人乗りの船がたくさん彼岸にたどり着けばよいという考え方に対して、大乗仏教は多くの衆生を乗せた大きな船で彼岸にたどり着こうとする考えです。
菩薩が多くの衆生を救うための活動をしていることを思えば、自分が積んだ善行を多くの人に振り向けて、仏道を目指す人達を一人でも多く救おうとするのが廻向なのです。
勤行に於ける廻向
真言宗の勤行で一番最後に唱える部分を「廻向」と言い、次のように唱えます
廻向
願以此功徳 [がんにしくどく]
普及於一切 [ふぎゅうおいっさい]
我等与衆生 [がとうよしゅじょう]
皆共成仏道 [かいぐじょうぶつどう]
意味としては
「この勤行の功徳がこの世のありとあらゆる存在に広く行き渡り、私も含めたあらゆる衆生が皆仏道を成し遂げることが出来ますように」
となり、この世に存在するありとあらゆる生き物たちが皆で仏道を成就する願いが込められているのです。
廻向を一番最後に唱えるのは、勤行の締めくくりとしての願いとして、弘法大師が皆の幸せを願って今でも高野山の奥の院で座禅を組み祈り続けているように、自分の願いだけではなく、多くの人の幸せが実現しますようにと祈ることが真言宗の勤行であり、大日如来の願いでもあるのです。