三日坊主とは
三日坊主とは何をするにしいも飽きっぽくて長続きしない人のことを言い、仏教用語です。
三日坊主の由来
悟りを目指して仏門に入り、いざ修行を始めてみたところ、修行の厳しさに耐え切れず、娑婆の世界が恋しくなって、入門しても三日で辞めてしまう坊主のことです。
仏教の修行は朝早くから日没後まで掃除などの雑務をはじめ、読経や座禅瞑想などを毎日休みなしで規則正しい生活を送ることから、娯楽の時間が全くありませんので、遊ぶことが好きな人や怠惰な生活を続けてきた人にとっては苦痛の日々になってしまいます。
お酒も飲めませんし、肉や魚も食べることが出来なくなるのです。
仏道では俗世間での娯楽は煩悩と見做されるのですから、歌ったり踊ったりも禁止の厳しい世界なのです。
熱しやすく冷めやすい人
何か新しいことを見つけた時にすぐに飛びついて熱中するけれど、長続きせずに飽きてしまったという経験は誰にでもあるもので、こういう性格の人は「熱しやすく冷めやすい人」と言われます。
三日坊主のことなのですが、何をやっても三日坊主になってしまう人のタイプとして
- 継続することが苦手
- 忍耐力が無い
- すぐにくじける
- 諦めが早い
- 計画性がない
このような人が新しいことを始めてもすぐに諦めてしまうのは、意外と軽いノリで始めてみたものの、止めてしまっても悩んだり後悔したりしないことで立ち直りが早ければ、それもまた長所になるのです。
仏教では悟りを「諦め」であると説きますが、この場合の諦めは、煩悩などの執着に対する諦めであり、執着を無くすことであって、決して物事を投げ出して止めてしまうことではありません。
何をやっても長続きしない人
何かに刺激を受けたり、ふと閃いたりしていろんなことを始めてはみたものの、どれも結局は長続きしなかったということはありませんか?
「これしかない」と人生を掛けて取り組んだけれど、途中でくじけてしまって何も出来なくなってしまったということはありませんか?
自分の将来を描いて専門学校や大学まで行ったのに、やっぱり違うと思って辞めたいと思っていませんか?
せっかく理想の企業に就職したのに、思っていた世界ではなかったと思っていませんか?
転職や開業などで人生の再スタートをしたのにうまくいかなくて、絶望感を味をっていませんか?
何をやってもうまくいかない時には、現実の厳しさに打ちひしがれて、生きているのさえ嫌になってしまうものです。
長続きしないという事は悪い事ではありません、自分に合わないことはすぐに諦めて別の道を探した方が良い結果につながることもあるのです。
ここで大切なことは、失敗を恐れないということと、過去の経験を生かすということです。
たとえ短い期間であっても学んだり経験したりしたことは必ず次のことに繋がると信じることです。
順風満帆の人生を歩んでいる人なんて、そんなにたくさん居る訳ありませんが、苦労を知らない成功者は騙されたり落ちぶれるのも早く、成功する過程の中で地獄の苦しみを味わった人は良き成功者として多くの人に慕われるようになります。
物事が上手くいく秘訣
物事が上手くいっている人は大きな車輪に喩えれば、良い方向にぐるぐると廻り続けている状態です。
逆に物事が上手くいかない人は車輪が止まっているか、逆に回っているかのどちらかです。
人生の車輪が逆に回っている場合には、良くないことばかり続きますので、すぐに止めなければいけません。
車輪が逆に回る理由としては
- 考え方が根本的に間違っている
- 感謝の気持ちが無い
- 失敗を人や物のせいにする
- 善悪の区別が分からない
- 不平不満が多い
- 絶対に自分が正しいと思っている
- 間違っても謝らない
全て仏法に反することであり、このような状態では没落の人生になってしまいます。
これらのことを改善すれば逆回転の人生の車輪はやがて止まってくれます。
次に人生の車輪を動かすためには更に大きな力が必要であり、そのためには
- ありがとうの感謝の気持ちを声に出して言う
- 善なる行いを意識して行う
- 悪なる行いをしないようにする
- 自分の間違いを素直に認める
- 間違いに気付いたらごめんなさいと素直に言う
- 多くの人の協力で世の中が成り立っている事実を正しく観る
このようなことで確実に人生の車輪が良い方向に回り始めます。
信仰心が必要
新しい事を始める時には神仏にお参りしたりお願いすることで目に見えない力を頂くことが出来て、意外とうまく行ったりするものです。
私達のこの世の世界は目に見える物だけで出来ている訳ではなく、むしろ目に見えない世界の方が広くて大きいのですから、そういう世界に居られる神仏の力をお借りすれば、自然と私達の世界の事もうまく動き出すのです。
やすらか庵でお祀りされている毘沙門天は忿怒の表情ですが、その怒りの本質は
- 正しいことを行う事
- 途中で諦めない事
- 最後までやり遂げる事
を私達に説いているのです。
神仏は毎日手を合わせたりお勤めすることで私達にいろんなことを教えて下さるようになると共に、私達のことを守護して下さるようになります。
毘沙門天は私達の世界に非常に近い所で活躍されていますので、とても身近な神なのです。
信仰については…毘沙門天信仰
お勤めについては…毘沙門天王功徳経-訳と解説、勤行の仕方
信仰と言いますのは御縁があってのことですから、御縁のある神仏に対して信仰すれば良いと思います。
神仏の御縁を感じることがない場合には、自分で決めても構いません。
神仏の御縁にしても三日坊主になることなく、続けていくことが大切で、続けていけばいくほど必ず人生が豊かにっなてきます。