精進料理とは
精進料理とは仏教の思想に基づいて生き物に対する殺生の苦しみの無い素材と煩悩の刺激の少ない素材を利用して作られた料理のこと。
精進料理の由来
インドの初期仏教では三種の浄肉であれば食べても良いとされ、三種の浄肉は見聞疑の三肉とも言われ
- 殺された現場を見なかった動物の肉
- 僧侶のために殺されたと聞いていない動物の肉
- 殺されたことを見たり聞いたりの疑いのない動物の肉
これらの肉ならば食べても良いとされていました。
肉食を禁じたのは仏教が中国に伝来後の6世紀になって、仏教に傾倒した梁武帝が不殺生の戒律を厳格に守り、僧侶の肉食を禁止したのが最初だと言われています。
不殺生について
仏教では僧侶が守るべき規律の最初にある戒で、不殺生とは生き物を殺さないことであり、反した場合には最も重い罪の波羅夷(はらい)罪になり、出家者は僧団を追放されます。また在家信者が守るべき最も重要な戒です。
釈迦の時代の教団は忠実に戒を守っていて、雨の良く降る季節である雨季には虫がたくさん出てくるのでなるべく外出を避け、「安居会」(あんごえ)という室内での聞法会を主とした修行を続け、乾季になって説法に出かける時には虫を殺さないように摺り足で歩き、水を飲むのにも虫が入らないようにと布で濾してから飲むと言う徹底ぶりでした。
殺生はまだ生きたいと願う相手を殺すことであり、「死」という最大の苦しみが伴うので、家畜としての動物も最後には命乞いして涙を流すそうですから、肉食ということは随分とむごいことをしているという自覚が必要なのです。
輪廻転生
輪廻転生とは六道と言われる地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界の中で生まれ変わり死に変わりを繰り返すことで、私達人間は生前中の行いによって死後の行く先が決まるとされ、畜生(動物界)に生まれることもあるので、自分にとって身近な人の生まれ変わりであるかもしれない動物は食べてはいけないという考えです。
もし自分の身近な人が死後に牛に生まれ変わっていたとしたら、その肉は到底食べることが出来ないと思います。
肉食
動物には大きく分けて肉食動物と菜食動物、そして肉食と菜食の両方の性質を持つ雑食動物が居ますが、私達人間は地球上の生き物としては肉食と菜食両方の性質を持つ雑食動物になります。
人類は太古の昔から狩猟や採集と言った方法で食料を得て生命を繋いできたことから肉食に対しては宗教上の理由が無い限り摂取してきたことは自然なことであり、但し原始宗教やアニミズムに見られるような生命の再生を願い、自然のバランスを壊さない程度に利用してきたのです。
生命の由来からしても肉食は自然なことであるが故に仏教でも敢えて否定しないという考え方もあるのです。
しかし食べられる側にとっての「死」という最大限の苦しみがあるのですから、ある意味苦しみを見たり聞いたりすることなく食べることが出来るのは幸せなことなのかもしれません。
五辛
精進料理の特徴は肉や魚を使わないことと、野菜や穀物を使うことの他に、五辛と言って刺激のある野菜を使わないことにあります。
五辛とは
- ニンニク
- ニラ
- ネギ
- 玉ねぎ
- らっきょう
のことで、強い臭いがしたり刺激があったり、強精作用があるものは、煩悩を刺激して修行の邪魔になるからです。
精進料理で心穏やかに
菜食主義の人は野菜と穀物がメインの食事で暴飲暴食することなく、メタボにもなることもなく、病気になりにくい体質の人が多いことが特徴で、精進料理も同じく殺生の無い料理ですから、日常的に食べるようになりますと、心穏やかに過ごすことが出来るようになります。
肉食の基本は食うか食われるかの環境にあって食う側の立場になることで生き延びることですから、どうしても攻撃的な性格になってしまいますが、菜食の場合には相手を攻撃する必要が無いのでとても穏やかな性格になるのです。
精進料理は何よりも食べてみますとおいしいのですから、我が国にもこのように不殺生の思想を持った素晴らしく美味しい料理があるということは世界に誇れることなのです。
食べ物を頂けるということはとても有難い事で、普段何気なく頂く食事にしても、作る人、加工する人、運ぶ人、売る人などの多くの人の努力があることを想えば只ひたすらに感謝の気持ちがこみあげてくることを感じるはずで御座います。
高野山でも宿坊寺院では必ず精進料理が出ますから、お寺の雰囲気を味わいながら、修行僧になったつもりで美味しく頂けば、とても良い思い出になること間違いありません。