色即是空とは
色即是空とは仏教の基本的な考え方で、大乗仏教の根幹をなす経典である「般若心経」にも出てくる言葉で、この世にある全ての形あるものは常に変化して実体が無く、幻のようなものであるということ。
色とは
五蘊とは人間の身体と心を構成する色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の要素のことです。
五蘊の中の「色」とはこの世に存在する全ての物質のことですが、私達の「身体」のことを表しすことが多く、私達の身体もこの世の中の物質に含まれています。
この世の中の物質で永遠に同じ形を保ち続ける物は無く、地球も宇宙も常に変化し続けていますので、決まった形が無いのです。
私達が今の瞬間に見ている地球や宇宙、そして今自分が居る環境は、変わりゆく形の中のほんの一瞬を見ているだけなのです。
ある意味色はプリズムであり波長でもありますので、この世の物質は全て波長で出来ているとも言えます。
私達はそれぞれの物質が出している波長を目で感じたり耳で感じたりしているのですし、波長は常に出来ては消えを繰り返しながら新しい形を生み出しています。
虹の色は分解すれば七色になりますが、合わされば透明になることはまさに色即是空なのです。
空とは
空(くう)とは実体の無いもので変わりゆくもの、一定の形の無いもののことで、読んで時の如く空(そら)のようなもので、時々刻々と移り変わり、掴もうとしても掴むことが出来ず何も無い状態のことです。
私達は目で見て耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、皮膚で感じる五感によって物を識別し、同じものに対しては周囲に居る多くの人と同じ感覚を共有できることから、皆が同じ世界を見ていると思っています。
たとえば信号が赤の時には止まり、青になったら進む、信号を見たら誰もが同じ判断をすることが当たり前であり、規則を破ったら罰せられます。
コンサートに行けば一人の歌手の歌に何万人もの人が曲に合わせて手を振ったり体を動かしたりで同じ動きをしますので、同じ気持ちを共有しているのです。
しかしながらたとえば私達の世界につながっている裏側の世界から見てみますと、そもそも赤色で止まり、青色で進むという仕組み自体が本来は必要の無いものであったり、心に安らぎを感じる温かい音や光の波長自体が全く違っていたりするのです。
私達の肉体
仏教では私達の肉体も空であると説き、破壊と再生を繰り返す大宇宙の物質の一つに過ぎません。
幻のように消え去っていく肉体に執着していると肝心なものを見失ってしまうのです。
肉体は大自然からの借り物ですから大切にしなければいけませんが、執着してはいけないのです。
私達の世界に於ける美容、整形、化粧、服飾、装身具などは肉体を少しでも良く見せたいという執着の表れなので、仏教的には滅びゆく幻のような肉体にこだわる時間があるのなら修行しなさいということを説いているのです。
しかし仏教的には無駄なことであっても煩悩の中で生きている在家の衆生にとっては大切な楽しみなのであって、生き甲斐にもなることですから楽しめば良いのですが、空の事実を知った上で人生を楽しめば良いのです。
戒律を受けて戒名を名乗り、出家した僧侶の持物は三衣一鉢だけ認められて、自分の持物が一切認められることなく、おしゃれや化粧をしてはいけない理由は、滅びゆく幻のような肉体を飾るような時間が無駄であり、限られた生きている時間を精一杯使って悟りへの修行をしないと、後で後悔するからなのです。
果てしなく長い旅の間に私達の魂は人間の身体をまとうことがあるのですが、六道の輪廻転生の中でも人間世界が最も仏道の修行にふさわしい環境を備えていますので、せっかく人間として生まれたのなら、その立場を精一杯利用して魂を浄化させることをしないと、低い世界に堕ちてしまったら中々這い上がることが難しいのです。
真実の世界とは
私達は幻の世界の中で幻の肉体に執着して人を傷付けたり戦争を起こしたりして地獄の世界を作り出してしまっています。
幻の世界がどのような世界になるのかは、私達の心の持ち方次第なのです。
私達が仏の心や天の世界の心を持てばこの世の世界に仏の世界や天の世界が現れます。
仏の世界や天の世界は空を知った者だけが現出する世界ですから、真実の世界なのです。