不動明王と梅の花

高野山真言宗やすらか庵のお焚き上げ場の不動明王様の後ろには梅の花が咲き始め、いよいよ春の足音が迫って参りました。

不動明王は一般的に後ろに火焔を背負っていますが、不動の大地の神であるにも関わらず燃え盛る火焔を背負っておられるのは何故でしょうか。

それは私達が持っている煩悩を焼き尽くすためであると言われ、仏教の修行では煩悩は消すものとされますが、元々煩悩というものは燃え盛っているのであって、満足させても満足させてもまたメラメラと燃え盛って決して消えることの無い火が煩悩の正体なのです。

燃え盛る煩悩の火を消し去ったのが釈迦であり、釈迦の悟りの世界は穏やかで波一つ無い湖のような世界ですが、そこに到達することは常人では困難なことなのです。

欲望の象徴としての煩悩は人として生きる楽しみでもあり、美味しい物が食べたいとかお金持ちになりたい、素敵な家に住みたい、格好良い車に乗りたいなどの煩悩があるからこそ経済社会が発展するのであって、煩悩があるからこそ人として生きていくのが楽しいのかもしれません。

しかしながら煩悩のせいで人と人とが争いになったり傷つけ合ったりするのですから、煩悩の火は小さい内にはまだコントロールできますが、だんだん大きくなってきますと制御不能になるという恐ろしい一面を持っているのです。

不動明王は煩悩の炎を背にして自らも炎の中に有りながらも私達に対して仏法を説いているのです。

炎の後ろには白い梅の花が咲き出しました、煩悩の炎の中に有っても仏の心としての花でこの世を埋め尽くしなさいよ、ということでしょうか。