目次
心霊写真とは
心霊写真とは本来写るべきものが写っていなかったり、その時には見えなかったものが写っている写真の事で、光の加減などの偶然の産物がほとんどですが、霊的なものが写り込むこともあります。
人間の五感
私達が今生活している世界は、私達の五感である視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の働きによって認識されている世界の事で、私達の五感は誰でも共通した感覚なので、誰もが同じ世界を共有していることになります。
しかし聴覚が過敏な人は普通の人が聞こえないような音が聞こえたり、視覚が過敏な人は普通の人が見えないような光が見えたりするもので、私達の目の前の世界は誰もが必ずしも同じように感じているのではなくて、違う世界を感じている人も居るのです。
普段私達は肉眼ではこのような世界を見ていることになります
しかし実際にはこのような世界を見ている人もいるのです
或いは普通の人が持っていないような感覚を生まれつき持っている人は、普通の人とはかなり違った世界を見ているようなこともあります。
光は波、それとも粒子?
科学技術の進歩は素晴らしいもので、私達の生活を快適にそして豊かにしてくれています。
2003年5月に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」はアポロ群の小惑星 イトカワに到着して惑星のサンプルを採取し、2010年6月には約60億kmの旅を終えて地球に帰還しましたが、こういったことはまさに人類の英知の結晶であります。
しかしながらこれだけ科学技術が進歩しても未だに分かっていないことだらけで、例えば光というものが波なのか粒子なのかという疑問に対しては、どちらの性質も併せ持つという事は判明していますが、それ以上のことで未知の部分があまりにも多すぎるのです。
こういった未知の部分のいたずらが写真に写りこむようなことも多く、世間的に心霊写真と言われている物の中に相当数含まれています。
私達の周りの世界
私達の周りには私達の魂が生まれ変わり死に変わりする輪廻転生の六道の世界が繋がっていて、六道とは下から順に地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界の六つの世界の事で、私達の生前中の行いに応じていく世界が決まります。
六道の世界の内私達の目に見える世界は畜生(動物)世界と人間世界だけですが、六道の世界は繋がっていますので、地獄の世界や餓鬼の世界、阿修羅や天界までが私達の世界に投影されているのですが、普通には私達の五感ではそのような世界は感じることが出来ません。
心の眼が開けば
釈迦は難行苦行の修行の果てに悟りを得て解脱することが出来ましたが、悟りを得た時に私達凡人とは違う特徴を身に付けました。
それは眉間の所にある第三の眼が開いたことで、大宇宙の真実を見ることが出来るようになったのです。
心の眼が開けば私達の世界の周りに拡がる地獄や餓鬼の世界、天界などのあらゆる世界の真実の姿が見えるようになるのです。
釈迦の眼から見ればこの世界は私達が見えない世界まで見えているのです。
心霊写真の正体は
心霊写真に写った物の正体は何でしょうか、私達の目に見えない物の仕業なのでしょうか。
画像加工ソフトの性能が良くなったことで、最近では誰でも心霊写真を作り出すことが出来ますが、ここではそういう事例は除外します。
真実を写すことが写真ですから、光にしても風景にしてもありのままの姿を映しているのですから、覚えの無い物が写っていたとしても、その一瞬の真実の姿を映していた訳で、私達の気が付かなかった一瞬を切り取っているのかもしれません。
ほんの一瞬の出来事であっても、私達が目を閉じている間に起きた出来事は見ることが出来ないのです。
またカメラというものはレンズを通して見ていますので、光の悪戯が写っていることが多く、赤い光や虹のような光線、白い物体などの本土が光の悪戯によるものです。
しかし中にはそこに居るはずのない人の手や足、顔などが写り込んでいることもあります。
餓鬼による仕業
寺院でお盆に行われる行事の「施餓鬼供養」をご存知の方は多いと思いますが、施餓鬼とは私達の周りに居る餓鬼に食べ物や法を施す供養法です。
お盆に行うことが多いですが、日常的に施餓鬼を行っている寺院もあります。
餓鬼は人に食べ物を施さなかったり、自分だけが満足することしか考えていないような人が堕ちる世界で、常に飢えていて、目の前に食べ物があっても燃えたり腐ったりして食べることが出来ないのですが、それでも常に食べ物を欲しがって彷徨っているのです。
常に空腹ですのでお墓は膨れて体はやせ細り、餓鬼同士でも食べ物の奪い合いをする有様です。
そんな餓鬼に施すことにより、施しということを知り、仏法に触れて、魂として救済されるようにとの思いが込められているのが施餓鬼であり、施餓鬼はあらゆる魂が救われるようにとの菩薩行なのです。
心霊写真に写るのは大抵がこの餓鬼か餓鬼に類するものの仕業であり、姿形を変えたり、何かを利用したりするので餓鬼の姿で写真に写るようなことはありません。
疫病神などによる仕業
八百万の神々と言われるように、世の中には数多くの神々が存在し、それぞれの役割を担っていますが、その神々の中でも疫病神や貧乏神も死神と言われる神々に憑りつかれますと運気が下がり、何をやってもうまくいかないようになってきます。
こういった神々は人の不幸を喜びますので、憑りついた本人が苦しめば苦しむほど愉快でたまらないのです。
恨みや妬みなどの感情を強く持った人に憑りつく事が多いですが、悩み苦しみで下を向いて歩いている時に憑かれるようなこともあります。
人によってはこういった神々にたくさん憑かれていますので、写真に何か写るような時には要注意です。
使い古した物が神や妖怪になると言われている付喪神(つくもがみ)もそういう可能性があります。
心霊写真に気付いたら
自分の身体の周りに赤い光や虹のようなものがが写っているような場合は光の加減でそうなることがありますので、あまり気にする必要はありませんが、中には本当に心霊写真と言われる物もありますのでその時の対応について説明いたします。
本当の心霊写真とは
テレビや雑誌のネタ用の写真はどうにでも作ることが出来ますし、テレビ局には写真の加工などはプロの人がいくらでも居て心霊写真を作り出すくらいのことは朝飯前、安い番組制作費で高い視聴率を稼げるのであればとても良いテレビネタなのです。
もし自分が写っている写真に恐怖の内容が本当に写っていたのなら怖くて、人に見せて喜ぶようなものではありませんし、興味半分で見るものでもありません。
友達と一緒に撮った集合写真の中でも自分の肩に女の人の顔が写っている、全身の写真のはずなのに手が無い、足が無くて向こうの景色が写っている、そこに居ないはずの誰かの手が私の肩に乗っていたなどのことでお悩みでしたらお焚き上げ供養してもらうことをおすすめいたします。
やすらか庵のお焚き上げはお祓いもしますから安心です。
どうしても気になる方は写真を持って来て下さい、お清めお祓いをした方が良いこともあります。
ご相談に来られた方の中には息子さんの肩に女の人の顔が写っていて、それからしばらく後に雷に打たれて亡くなったそうで、もう少し早く来て頂いていたら流れが変わったかと思いますと大変に残念なことですが、世の中にはこういうこともありますので、取り返しのつかない事になる前に早めにお越しくださいませ。
自分で処分しても良いか
自分でお清めお祓いが出来る人はご自分でされたら良いと思いますが、ゴミ箱に捨てるような事は事態を悪くしてしまいますので要注意です。
例えば自分で燃やしたとしても、何か見えない物が自分に降りかかってくるのではないかという恐怖心が残ってしまったら、後悔しても、もう遅いということになってしまいます。
信頼出来る所にお任せしたということが安心感であり、真に信頼できる所というものは、あなたのことを命がけでお守りするという覚悟のある所です。状況に応じては、個別にお祓いをすることも可能でございますので、ご相談くださいませ。
スマホなどに写った心霊写真はプリントアウトしたものをお焚き上げ供養としてお送りくださいませ。紙の媒体に移すことが必要でございます。プリントアウトした時点でデータとしての写真は消去してくださいませ。
こういう時には…定型郵便サイズお焚き上げ供養500円