不幸とは
不幸とは幸せではない状態のことです。
身内に不幸とは
身内に不幸がありまして…この場合の不幸とは亡くなったということです。
釈迦は私達の世界は苦しみに満ちた世界だと悟り、その苦しみは四苦八苦であると説きました。
四苦とは
八苦になりますと四苦に対して更に
があります。
苦しみの中でも最大の苦しみが「死苦」であり、不幸の代名詞として使われているのです。
私達に苦しみがある限り幸せになれないとしたら、不幸の原因は苦しみであると言えるのです。
不幸の原因
不幸の原因が苦しみであるとしたら四苦八苦は全て不幸の原因だということになります。
確かに病気になること、死ぬことは不幸ですし、愛する人と別れることや、求めた物が得られないことなども全て不幸の原因になるのです。
他には事故や災害、いじめや暴力なども不幸の原因になりますし、家庭内不和や離婚なども不幸の原因になります。
しかし私達が生きている限り避けることが出来ないこともあり、不幸が訪れたにしてもそれを乗り越えて幸せを掴んだ人もたくさん居るのですから、不幸と幸せが両方ある中で、何が違うのかがよく分かりません。
不幸な人とは
何をやってもうまくいかない、悉く失敗する、うまくいきかけたら何時も災難に遭う、会社が倒産した、身内の人が次々と亡くなる、家族がバラバラになってしまった、人から騙された、などのことで幸せになることが出来ない人は意外と多く、他人からは陰で「あの人は不幸な人だね」と言われています。
不幸な人の特徴は性格が暗く、否定的な考えを持ち、孤独を好みますが、以前は明るい性格の人であっても突然降りかかった不幸が原因で暗い性格に豹変することもあります。
幸せな人とは
何をやってもうまくいくし、会社や事業は繁栄し、多くの人の信頼と尊敬を受け、常に多くの人に囲まれて、人に対して優しく思いやりがあり、家庭に於いては家族が仲良く暮らし、常に明るく笑い声に溢れている人は幸せな人です。
幸せな人の性格は明るくて肯定的、積極的であり、人との和を好みます。
幸せな人は人から羨ましがられる存在であり、理想の人でもあります。
不幸を振りまく神とは
神様と言えば私達が困っている時に助けて下さるとばかり思っていたら大間違いで、神様の世界にも人を不幸にする神がいて、疫病神、貧乏神、死神と呼ばれています。
こういった神は人とが不幸になることを喜ぶ神なので、少しの不幸で嘆き悲しみ、どんどん落ち込んでいくような人が大好きで、そういう人に一度付いたら離れません。
不幸を人や物のせいにするような人も不幸の神の格好の餌食になってしまい、長い間不幸の神に支配されると、顔つきがまるで別人のようになってしまうのです。
不幸の神に憑りつかれてしまったら毘沙門天のような力の強い神に付いてもらうことで、悪い神は居心地が悪くなり自然と逃げていきます。
他に憑りつくような人は世の中にいくらでも居るからです。
人は生きている限り誰でも不幸を経験するもので、そういう時にはなるべく早く気持ちを切り替えて新しい一歩を歩み出すことが出来る人こそ幸せになることが出来る人なのです。
気持ちが塞ぎこんでしまって何も出来なくなる人は何時まで経っても不幸から抜け出すことが出来ません。
幸せというものが単独である訳ではありません。
必ず「幸せ」と「不幸」はセットになっていて、「幸せ」の材料は「不幸」から出来ているのです。
「不幸」を「幸せ」にすることが出来る人は「不幸」こそ「幸せ」になるチャンスであることを知っている人なのです。