スマホ依存症とは

スマホ依存症のイラスト

スマホ依存症とは常にスマホの画面を見たり操作していないと不安になる病気の事で、夜眠れない、疲れが取れない、人と会いたくないなどの症状が出るようになり、スマホを長く使い続けることによって起こる手の震え、目の渇き、脱力感などの症状も含みます。

このような症状の方は要注意

僧侶の説明のイラスト

次のような症状が該当する方は要注意です

何回も同じ調べ物をする

スマホのイラスト

以前調べたことをすっかり忘れて全く同じことを何回も調べて、その都度納得するのですが、しばらく経つと忘れてまた調べているのはスマホ依存症の証です。

スマホばかり使っていると物忘れがひどくなります。

昭和の時代と言っても今から半世紀程前のこと、何か分からないことがあると図書館に行ってまずは百科事典で該当項目を調べてから次に専門書を閲覧していたもので、調べたい本があると図書館の事務員の方に聞けば大抵のことは教えてくれたので、本から知識を得るというスタイルが定着していて、図書館は大変に便利な施設として多くの人が利用していました。

私事ではありますが、家に居ても気が散って勉強しないので、図書館で勉強していたものです。

またどうしても百科事典が欲しくて当時20万円程度の高価な百科事典全35巻を勉強のためと無理を言って親に買ってもらった記憶がありますが、嬉しくて毎日何処かのページを見ていました。

百科事典に書いてある内容は大まかな知識についてなので、その先どうしても知りたいことがあれば図書館に行って専門書を探すという実にアナログ的な方法で得た知識は中々忘れないものです。

自分の身体を使って苦労して覚えたことは忘れにくいので、受験勉強は苦労して手間暇かけて勉強することで合格という目標に一歩一歩近づくのです。

しかし今の時代の何と便利なこと。

分からないことがあれば本の百科事典など見なくても、インターネットの世界ではウィキペディアや電子辞書などで調べればすぐに答えが出てきますので何処にも行かずに済みますし、ニュースなや天気予報、電車の運行状況、道路の渋滞情報などの最新の情報が無料で手に入りますし、生活情報やショッピング、病院、店舗などの情報、更には予約、購入、キャッシュレスでの支払い、顔認証などの機能があるのでスマホは手放せない存在なのです。

そういう便利なスマホで調べることにより何の苦労もなく答えが分かることは確かに素晴らしい事です。

しかしその反面、自分の頭を使わなくなり、調べた結果を忘れたにしてもまた調べれば良いという安易な気持ちが働くことにより、考える、覚えるということをしなくなるのです。

スマホを使って調べ物をしたら、忘れてはいけないことを紙に書くようなアナログ的な作業をすれば忘れにくくなります。

☆スマホで調べたことは脳に残りにくくすぐに忘れてしまいますが、以前に調べたことを忘れてしまい、何回も同じことを調べている人は病気です。

☆調べている途中で何を調べているか分からなって調べていること自体も忘れてしまう人も同じく病気です。

着信音が鳴ると条件反射でスマホを開く

スマホの受信イラスト

今の時代スマホにはラインの情報が頻繁に入り、着信音を設定していれば結構賑やかに音が鳴るようになりますが、すぐにチェックしたり既読にしないと気が済まない人は、スマホの音が鳴る度に何をしていても条件反射的にスマホを見る訳で、もう完全にスマホの呪縛に縛られた体が反応するのはまるで、餌の袋を開ける音がしただけでよだれが出る犬と同じかもしれません。

☆近くにある誰かのスマホの音にも反応するようになればもう立派な病気です。

☆寝ていてもスマホの押しが鳴ったような気がして目が覚めるのも病気です。

ファミレスで無言

スマホで無言のカップルのイラスト

ファミレスで無言の男女、時々居ますよね。

飛行機に乗る時にはスマホの電源を切るか機内モードにしなければいけませんが、飛行機が到着して空港ロビーでスマホを通常モードにした瞬間に怒涛の如くラインやお知らせなどが入ることがあります。

しばらくの間放っておくだけで大量のお知らせが溜まってしまうと、見るだけで大変な作業になってしまいますし、返事をしなければいけない用件があると余計に大変になってしまいます。

用件が溜まらないようにしようと思うのなら、用が無くても定期的にスマホをチェックするしかありません。

人は何の用が無くてもスマホを開くくせが付いているものです。

しかしながらたくさんの情報の中で本当に必要な情報なんて、ほとんど無いに等しいことに気が付かなければいけません。

人と会話をしている時に突然スマホを開いて画面ばかり見ていて、会話に対して返事はするものの、上の空という人がよく居ますが、相手の人は快く思わないものです。

恋人同士のデートの時に二人ともずっとスマホを操作していて何の会話も無いようなカップルをよく見かけます。

現代では家の中で近くに居ても家族観でラインのやりとりする時代ですが、昔のように家の中から笑い声が聞こえて来て、家族団らんの楽しい時を過ごす、素朴ではありますが温かい家族という理想からどんどん離れていくばかりです。

☆人と話をしていても無意識にスマホを開く人、スマホばかり見て相手と話が出来ない人は病気です。

歩きスマホ、走りスマホ

歩きスマホのイラスト

歩きスマホ、走りスマホは危険です。

自分の家から外に出て外の世界を歩いてみることはとても良い事で、光や空気を全身に感じながら外の自然を楽しむことで季節を感じたり新たな発見があったりなどの有意義な時間を過ごすことが出来ます。

私達の身体に備わっている目で見る、耳で聞く、鼻で嗅ぐ、舌で味わう、手で触れて感じるの五感は、大自然の中で何の束縛も無い自由な環境の下で最高の能力を発揮すると共に、自然に溶け込むことでリラックスするような仕組みになっています。

更には五感がリラックスした状態を維持することで五感以外の感覚が冴えてくるのです。

大自然に身を任せていますと、生きているという実感が湧き、生かされているということに感謝の念が湧いてきて、今自分が何を為すべきなのかということが分かってくるようになります。

小さなことで喧嘩したり腹を立てたりしている自分がバカバカしくなり、小さなことに執着している自分が恥ずかしくなります。

太陽は常に無償で私達に明るい光とエネルギーを与え続けているのに、決して見返りを要求することなく、仏としては大日如来です。

こういうことを感じている時にスマホ不要はもちろんのことで、理想としては財布やカバンなども不要なのです。

仏教では人間苦しみの原因が欲望であり、真の幸せの境地に至るためには執着から離れること、執着を捨てることを説きますが、私達の場合には物に対する執着がどうしても捨てることが出来ないのです。

スマホを持ってさえいれば鳥の名前や木の名前もすぐに調べることが出来ますが、果たして得られた知識が本当に自分の人生にとって有意義な智慧と成り得るでしょうか。

鳥の命の尊さを感じることの方が大切ではないでしょうか。

☆スマホが無いと散歩にも行けない人は病気です。

ながらスマホ

ながらスマホのイラスト

ながらスマホは時には取り返しのつかない悲劇を起こします。

悲劇が起こった後で後悔した所で過ぎ去った時間は決して元に戻りません。

どうしてもしなければいけない操作なのでしょうか。

それをしなければ生きていけないことでしょうか。

運転しながらのスマホ操作は交通ルール違反です。

自転車でのスマホ操作も違反になります。

高速道路を運転していますと次のような人を目にします

  • ながらスマホ
  • ハンドルに漫画を乗せて運転しながら読む
  • ハンドルに弁当を乗せて運転しながら食べる
  • 運転しながら探し物をしている

自分は大丈夫だと思っている人こそ危険なのです。

今すぐしないといけないことでしたら、今していることを安全に止めてスマホの操作をしても間に合うはずです。

ほとんどの用件が今すぐする必要など無いものです。

スマホなんてどうせ使っている人が死んでしまったら必要無い不燃ごみとして捨てられる物で、あの世に持っていける物ではありません、無くても幸せに生きていくことが出来ますし、無い方が幸せかもしれません。

☆ながらスマホは病気を通り越して犯罪になります。

身体に起こる症状

病気の時

スマホは使う頻度が少なければ全く問題ありませんが、使う頻度が多くなり、操作する時間が長くなければ次のような症状が出ることがあります。

夜眠れない

夜更かしのイラスト

スマホはパソコンよりも画面が小さく、画面を目に近付けて操作することになり、画面から出ているブルーライトの刺激が強いこと、画面を凝視するのでまばたきの回数が減ることなどの影響で涙の分泌が少なくなり、ドライアイになり易いことが知られています。

長時間画面を見続けることによって目が疲れ、頭痛や肩こり、血行不良などにつながることがあります。

疲れが取れない

ゲームのイラスト

ゲームはステージが上がる毎に新たなハラハラドキドキが待っていて、日常の感覚では味わえないような高揚感が得られるので夢中になってしまいます。

指を頻繁に動かす、まばたきせずに凝視する、緊張感を維持するなどのことを長時間続けていますと意外と疲れることに気が付くでしょう。

精神の緊張と弛緩は仏教の修行にもありますが、交互にバランスよく繰り返すことで無上の弛緩に近付きます。

ゲームでは緊張が長く続きますので疲れますし、その疲れは毎日蓄積していきます。

人と会いたくない

何をしても楽しくない

スマホは一人でするもので、ラインやメールで相手が居ても目の前に対面する訳ではありませんので孤独の作業です。

会社が嫌になる理由としても最も多いのが人間関係で、会社の中では競争社会ですから、自分を磨いて上がっていくことよりも、人を蹴落とすことの方が簡単なので、醜い足の引っ張り合いに巻き込まれますと、真面目な人ほど損をしてしまうのです。

またいじめやパワハラ、モラハラなどが原因で健康を害したり、時には自殺に至ることもあります。

嫌な人間関係の中から逃れるためにスマホの中に自分の世界を持つのかもしれませんし、スマホの中に自分の世界かがあれば人と会わずに済むのかもしれません。

スマホ依存症が重症化すると自分の部屋に閉じこもって出てこれなくなり、人と会いたくない症状の行きつく先は社会活動が何も出来なくなってしまいます。

スマホ依存症を治すには

尼僧のイラスト

スマホ依存症は何でもスマホに頼るようになることが続くことで起こり得る病気です。

スマホは御守りみたいなものですから、肌身離さず付けていて、特に最近ではAIが発達していることから、自分で物事を考えるということをしないようになり、AIの指示に従うようになります。

買い物にしてもAIが選んでくれたおすすめを迷うことなく買ってしまうので、何も考えずに飼い続け、終いには破産してしまいます。

スマホ依存症を治すにはスマホを持たなくすれば良いのですが、そこまで極端なことはしたくない人は使っている機能やラインなどを減らしましょう。

スマホは私達の生活を便利にしてくれましたが、私達の周辺には便利さ、安さ、快適さなどを謳ったサービスがどんどん作り出されていて、スマホ一つあれば快適に利用出来ることから、ついつい多くのアプリを入れてしまいますが、こういったものはなるべく少なくしましょう。

その上でスマホの利用時間を決めてスマホを身に付けることを止めれば利用頻度は減ってきます。

私はスマホの機能が少ないガラホという機種を使っていますが、ラインやおサイフ機能など無くても困ることがありませんし、電話の機能しか使いませんので外に出掛ける時以外は置いたままにして滅多に見ることはありません。

スマホは外に出かけた時に公衆電話を使わなくて済むというだけで大変に便利ですから、携帯電話の機能だけで充分なのです。

電車やバスの座席、病院の待合室などで座っている人が全員、下を向いて何かに取り憑かれたようにスマホを操作している姿は明らかに異様な光景だと思いますし、違和感を感じてしまいます。

小欲知足

たまにはスマホを止めて、もっと大切なことを考えてみませんか、何かを観察してみませんか、自然を感じてみませんか、きっと新しい発見があるはずです。

本当はスマホを操作しているのではなくて、スマホに操作されていることに気が付かなければいけません。

生きている時間は短いのだから、好きなことをして過ごすこともいいけれど、与えられた大切な使命があるとしたら、その使命に気付き、使命を遂行することの方が大切ではありませんか、二度とない人生だから、今この身体が人間であることは類稀なことだから、本当は遊んでいる場合ではないのです。