目次
別れとは
別れとは男女が離れたり、転勤、引っ越し、死別など、付き合いのあった者同士が離れてしまい、会わなくなること。
別れの種類
別れと言っても様々な種類の別れがあり、二度と会わない別れもあれば、いつかまた会うような別れもあり、その種類としては
- 恋愛中の男女の別れ
- 離婚
- 転勤
- 引越
- 死別
などで憎しみあって別れることもあれば、お互いに惜しみながら別れることもあるのです。
会うは別れの始まり
昔から「会うは別れの始まり」と言われていて、出会いがあれば必ず別れが付いてくるものと見做されていますが、たとえ親子、兄弟、夫婦であっても、何時までも一緒に居るということはあり得ない訳で、何時かは必ず別れる時が来るのです。
人と人との出会いは御縁とも言われて運命的なものであり、出会いというものはとても嬉しいことで幸せなことなのですが、別れというものはどうしても悲しいものであり、誰もが出会いと別れを繰り返しながら泣いたり笑ったりの人生を歩んでいくのです。
仏教が説く「別れ」
釈迦は私達の苦しみの原因として四苦八苦があり、四苦とは
八苦になりますと四苦に対して更に
があります。
この中で「愛別離苦」とは愛する者と別れる苦しみのことですが、愛する人とずっと寄り添いたいという願望が引き裂かれることは、心に深い傷を負い、立ち直ることが出来ない程の苦しみになってしまいます。
釈迦は人生の中で必ず襲ってくる愛別離苦に対して、避けることが出来ない苦しみであり、この苦しみから逃れるには悟りを得るしかないと説くのです。
死別
釈迦が説く苦しみの中でも最大の苦しみが「死苦」であり、死ぬ瞬間の苦しみはもちろんのこと、まだ生きていたいという欲望が断ち切られる苦しみ、愛する人と別れなければいけない苦しみ、死後の世界に向かう不安の苦しみなどがあります。
息が出来なくなる苦しみは大きく、誰でもそうですが、どれだけの時間息を止めることが出来るか試してみても、だんだんと苦しくなってきて、3分も持たずに次の息をしてしまいます。
息が止まることは大いに苦しいことなのですが、臨終を迎える人は失神してしまい苦しみを感じることなく死後の世界に向かいます。
人は必ず死んで肉体は焼かれて骨になり、遺品は捨てられたりお金に変えられてしまいます。
遺品整理の時に家族に見られてはいけない物があったら早めに処分するかお焚き上げに出しましょう。
後継者が居ないなどでご先祖様のお墓が無縁仏になることが分かっていたら、墓じまいして樹木葬や散骨供養などで綺麗にしておきましょう。
別れの辛さを克服するために
別れというものは避けることが出来ないけれど、出来ることなら別れることなく、そして万一別れることになっても悲しみをどうやって克服したら良いのか分からなくなります。
特に死別の場合には亡くなった人は二度と戻ってきませんので、場合によっては毎日泣いて暮らすということになってしまうのです。
しかし残された者としてはどうやって生きていったらよいのか分からず、一人ぼっちで寂しくても誰も声を掛けてもくれず、何も出来ない状態になってしまうのです。
無くなった人と会うには
私達は体と心があって、普段は心というものが見えない状態でお付き合いしているのですが、亡くなった人は体が無くなるだけのことで、心は在り続けますので、死後は心と心のお付き合いになるのです。
心つまり魂は私達が持っている二つの眼では見ることが出来ませんが、神仏やご先祖の世界とつながる第三の眼で観ることが出来るのです。
しかし第三の眼はある程度の悟りを開いた人でしか開きませんので、私達凡人には無理な話ですが、只ひたすらに祈ることを続けていけば思いと願いの力で亡き人とつながることが出来るようになります。
無心になって祈れば、必ず思いは届くのです。
本当は生きている間に心と心のお付き合いが出来ていなければいけないのですが、何時の時でも遅いということはありません、思い立った時に始めるのです。
供養するのは生きている人しか居ない
亡き人の供養をしてあげる人は生きている人しか居ませんので、しっかり供養して差し上げましょう。
供養は乾いた心を癒し、安らかな気持ちにさせてくれます。
供養は法事だけではありません、普段の勤行、祈りも大切な供養なのです。