目次
チベット死者の書とは
私達は何処から来て何処に向かうのでしょうか、死後の世界はどうなっているのでしょうか、その答えを出してくれる経典が「チベット死者の書」なのです。
仏教の教えに精通して瞑想修行に秀でている者であっても、死の瞬間から始まる想像を絶する体験が始まったら、あまりの壮大な世界に恐れおののき、日頃の修行成果も忘れて、本来なら解脱に至れるチャンスも逃し、人間界に転生する方法も忘れ、三悪趣と言われる低い世界に堕ちてしまうことがあるのです。
死者の書の由来
チベット密教の祖師であるパドマサンバヴァ(8世紀)が霊的な啓示を受けて書き出した「チベット死者の書」は正しくは「深遠なるみ教え、寂静尊と憤怒尊を瞑想することによるおのずからの解脱」と言い、弟子のイェシェツォギェルによってガムボタル山に埋蔵したとされる「埋蔵経」です。
埋蔵経とは末法の世になって仏法が滅びても、仏法が必要な時代になれば発掘されて世に広まるという経典のことです。
現在でも枕経として詠まれる
チベットで死者が出ると今でも死者の枕元で四十九日の間師僧であるラマによって毎日詠まれるチベット死者の書は、実用的な経典として使われており、死者を解脱に導く方法、或いは解脱できなくても良い生まれ変わりに導くための方法を説いています。
死者は家族の居る場から離された別室に安置され、ラマ僧に枕経の儀式の全てを任せます。
死者は死後に五感である視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を徐々に失くしてしまいますが、その中でも耳から聞く聴覚は死後も機能し続けるとされるので、死後に枕経を続けるのです。
亡き人は死後も人の声を聞いているということですが、自分からは声を出せないのです。
家族の泣き叫ぶ姿や声は亡き人の解脱を妨げますので、静かな部屋でラマ僧による儀式は厳粛に行われます。
我が国の枕経
我が国でも真言宗、曹洞宗などで枕経は行われますが、死者の書の作法ではなくて宗派に応じた独自の作法を行い、死者の傍に枕飾りを置いて死者に末期の水を口に含ませながら読経します。
枕飾りには末期の水を含ませるための椀や脱脂綿、シキミ、一膳飯、そして本尊となる不動明王を祀ります。
我が国での枕経は亡き人を解脱させるという要素よりもむしろ亡き人を最後に看取る儀式であり、あの世に旅立たせるための儀式という要素が強く表れています。
仏教では死という事に対しては執着してはいけないのですが、我が国固有の自然崇拝信仰と先祖崇拝信仰が仏教と融合した結果として僧侶が死者送りの祭祀を行うようになったのですから、呪術や祭祀の傾向が最も強い真言宗が枕経を行うことが多いのです。
チベット死者の書について
私達が生きているのは「生命の風」(ルン)と呼ばれる「意識」が体の中にあるか、外にあるかで決まり、私達の意識が体の中にあって生きている時を「生」、意識が外に出てしまった肉体を「死」、死んで次の生を受けるまでの間の意識の状態を「中有」(バルド)とし、「意識」は不滅であることを説きます。
解脱とは
解脱とは欲望の源である全ての煩悩から離脱して、輪廻転生の無い絶対的な安楽の世界で仏になることです。
釈迦は現世で修行の結果として解脱して仏になりましたが、仏教の最終的な目標は仏になることであり、解脱することです。
しかしながら解脱するには過去世での功徳の積み重ねと現世での高度な修行が必要なので、誰もが簡単に出来るようなことではありません。
しかしチベット死者の書では死者に対してまず最初に解脱するように説いています。
輪廻転生とは
輪廻転生とは地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の六つの世界である六道を生まれ変わり死に変わりを繰り返すことで、過去世での行いと現世を生きている時の行いの善悪の結果によって次の生まれ先が決まります。
チベット死者の書では仏教の目標としての解脱が叶わなかった場合に、次なる手段として輪廻転生での良い生まれ変わりが実現するよう説いています。
三つのバルド
チベット死者の書では死者が経験する三つのバルド(中有)を説き、次の順で現れます。
☆チカエ・バルド(死の瞬間のバルド)…生命の本性であるまばゆい光が現れる。
☆チョエニ・バルド(心の本体のバルド)…最初の七日に寂静尊が四十八体、次の七日に憤怒尊が五十二体現れる。
☆シパ・バルド(再生のバルド)…六道の薄明かりが現れ、良い世界への輪廻転生を目指す。
これらの三つのバルドを順に説明します。
チカエ・バルド(死の瞬間のバルド)
チカエ・バルドは死後に一番最初に現れるバルドです。
第一の光明
死者の死後、一日目から寂静尊が現れますが、高度な悟りを必要とするために生前中に悟りの出来た者しか解脱できませんので、八日目からは忿怒尊が現れて死者を恐怖のどん底に突き落とします。
体外へ吐く息が途絶えて体内にある息がまだ残っている時で、いわゆる「失神状態」と言われる時に、心の現出である光明の本体を悟ることが出来れば「生命の風」は中枢脈管を通って脳天のブラフマンの孔(頭頂部にある)を経路として体外に出ていき解脱します。
「脈管」とはサンスクリット語で「ナーディ」(nāḍī)と呼ばれ、流れを意味するnadからきていて、生命エネルギーのプラーナの通り道であり、私達の体の中には7万2千あると言われ、その中でも「スシュムナー」「イダ」「ピンガラ」の3つが重要です。
この時に「光明のお導き」が唱えられます、その内容は「ああ善い人○○よ、今こそ汝が道を求める時が到来した。汝の呼吸が途絶えるや否や、汝には以前師僧が授けたと同じ第一のバルドが現れるであろう…」
三日と半日の間「失神状態」が続きますので、この間「光明のお導き」が唱えられます。
この「生命の風」がブラフマンの孔から出ることが解脱であり、ここで解脱するのがチベット密教における最高の死ですが、修行を積んだ僧でも困難なことで一般人は期待出来ないので、生命の風はブラフマンの孔から出ることが出来ずにやがて逆流して次の段階に進みます。
第二の光明
外へ吐く息が途絶えて、一回の食事に要する時間(20~30分程度)を少し過ぎたくらいの時に、ブラフマンの孔から抜け出すことを失敗した「生命の風」は中央脈管から左右いずれかの脈管に逆流して鼻、口、性器などから外に流れ出した時に死者は意識が「明るい道に出たように明晰になり」第二の光明を経験します。
この段階での死者は自分の身に何が起こったのか未だに分からない状態であり、自分が生きているのか死んでいるのかが分からない、死の瞬間の中有(チカエ・バルド)と言います。
この状態で死者はやがて家族や親族が見えてきて、彼らの叫び声や呼び声が聞こえますが、自分の姿が見える人はおらず、声も届きません。
この状態であっても師僧の正しい導きと自ら本来持っている叡智が覚醒することがあれば解脱出来るのですが、うまくいかなければ次の段階であるチョエニ・バルド(心の本体のバルド)に進みます。
チョエニ・バルド(心の本体のバルド)
最初の七日に寂静尊が四十八体、次の七日に憤怒尊が五十二体現れます。
第三の光明
死者はやがて仏教で言うところの「意成身」(いじょうしん)を獲得し、自分の身体が建物や山、岩をも通り抜け、思った所に一瞬の内に到達できる能力を発揮するようになります。
この時期には音響と色彩と光明の三つの現出があって、死者は恐怖と畏怖と戦慄の三つの作用で失神してしまいます。
このような死後の世界に出てくる一切の物が「幻影」であることに気が付かなければいけません。
「現れて来る物が何であっても、自分自身の意識の投影したものであることを覚るべきである。これが中有の現出であることを見破らなければいけない」と説いているのです。
この時点でもまだ師僧の正しいお導きと迷いのない正しい判断が出来れば死者は解脱することが可能であり、出来なければ更に次の段階に進んでいくのです。
寂静尊の神群と憤怒尊の神群
宇宙の五つの方角を司る五仏が現出します
更に六道
- 地獄道
- 餓鬼道
- 畜生道
- 阿修羅道
- 人間道
- 天道
一日目
中央ティクレーダルワ(精滴弘播国)からヴァイローチャナ(大毘盧遮那如来)が女尊アーカーシャダートゥヴィーシュヴァリー(虚空界自在母)と接吻した姿で現れ、紺青色の眩しい光明(法界体性智)が心臓から飛び出して眼前に近づいてくると同時に天界の白色の薄明かりが出てくるが、白色の薄明かりに喜びを抱くことなく、紺青の強烈な光の方に敬慕の気持ちを寄せるべきです。
二日目
東方のアビラティ(妙喜国)という仏国土からアクショービア(阿閦仏)が紺青の身体でヴァジュラサットヴァ(金剛薩埵)の姿わとって象の座に坐して、女尊ブッダローチャナー(仏眼仏母)と接吻した姿で現れ、クシティガルバ(地蔵菩薩)とマイトレーヤ(弥勒菩薩)、更にラースヤー(舞菩薩)、プシュバー(華菩薩)の二菩薩の全部で六体の仏が現れます。
ヴァジュラサットヴァ(金剛薩埵)男女両尊の心臓からは白色に輝く眩しい光明(大円鏡智)と地獄の薄明かりが出てくるが、地獄の薄明かりに喜びを抱くことなく、白色の強烈な光の方に敬慕の気持ちを寄せるべきです。
三日目
南方のシュリーマット(極妙世界)という仏国土からラトナサムバヴァ(宝生仏)が黄色の身体をして馬の座に坐して、女尊マーマーキー(我母)と接吻した姿で現れ、その周囲にはアーカーシャガルバ(虚空蔵菩薩)、サマンタパドラ(普賢菩薩)の二菩薩とマーラー(鬘)、ドゥーパー(香)の二菩薩の全部で六体の仏が現れます。
ラトナサムバヴァ(宝生仏)男女両尊の心臓からは黄色に輝く眩しい光明(平等性智)と地獄の薄明かりが出てくるが、人間界の青色の薄明かりに喜びを抱くことなく、黄色の強烈な光の方に敬慕の気持ちを寄せるべきです。
四日目
西方の赤色のスクァーヴァティー(安楽国)という仏国土から赤色の身体をしたアミターバ(阿弥陀如来)が孔雀の座に坐して女尊パーンダラヴァーシニー(白衣母)と接吻した姿で現れ、その周囲にはアヴァローキテーシュヴァラ(観自在菩薩)とマンジュシュリー(文殊菩薩)の二菩薩とギーター(歌)、アーローカー(燈)の二菩薩の全部で六体の仏が現れます。
アミターバ(阿弥陀如来)男女両尊の心臓からは赤色に輝く眩しい光明(妙観察智)と地獄の薄明かりが出てくるが、餓鬼界の黄色の薄明かりに喜びを抱くことなく、赤色の強烈な光の方に敬慕の気持ちを寄せるべきです。
五日目
北方の緑色のカルマクータ(業積浄土)という仏国土から緑色の身体をしたアモーガシッディ(不空成就如来)がガルダ鳥の座に坐して女尊サマヤターラー(三摩耶多羅)と接吻した姿で現れ、その周囲にはヴァジュラパーニ(金剛手菩薩)とサルヴァニヴァラナヴィスカムビン(除蓋障菩薩)の二菩薩とガンダー(塗香)、ナイヴェーディヤー(食)の二菩薩の全部で六体の仏が現れます。
アモーガシッディ(不空成就如来)男女両尊の心臓からは緑色に輝く眩しい光明(成所作智)と阿修羅界の赤色の薄明かりが出てくるが、阿修羅界の赤色の薄明かりに喜びを抱くことなく、緑色の強烈な光の方に敬慕の気持ちを寄せるべきです。
六日目
五日目にまで出てきた五仏がそれぞれ女尊や従属する神々を伴って一斉に現れ、そして地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の六道の薄明かりも同時に現れます。
- 中央ティクレーダルワ(精滴弘播国)からヴァイローチャナ(大毘盧遮那如来)男女両尊
- 東方のアビラティ(妙喜国)という仏国土ヴァジュラサットヴァ(金剛薩埵)男女両尊と眷属神
- 南方のシュリーマット(極妙世界)という仏国土からラトナサムバヴァ(宝生仏)男女両尊と眷属神
- 西方のスクァーヴァティー(安楽国)という仏国土からアミターバ(阿弥陀如来)男女両尊と眷属神
- 北方のカルマクータ(業積浄土)という仏国土からアモーガシッディ(不空成就如来)男女両尊と眷属神
- 門衛の忿怒神ヴィジャヤ(毘者耶)
- ヤマーンタカ(閻曼徳迦)
- ハヤグリーヴァ・ラージャ(馬頭)
- アムリタクンダリン(甘露軍荼利)
- アンクシー(鉤)
- パーシャー(索)
- シュリンカラー(鎖)
- ガンター(鈴)
- インドラ(帝釈天)
- ヴェーマチトラ(毘摩質多羅仏)
- シャーキャシンハ(釈迦種師子仏)
- ドルヴァシンハ(堅固師子仏)
- ジュヴァーラムクァ(焔口仏)
- ダルマラージャ(閻魔法王仏)
- サマンタパドラ(普賢)
- サマンタバドリー(普賢母)
いずれも薄明かりの方に行ってはいけません。
七日目
虹と光に覆われた曼荼羅の中央に、パドマナタ(蓮華舞踏主)と呼ばれる五色の光の色をしているヴィディヤーダラ(持明者)が女尊のダーキニーを抱擁して半月刀と血に溢れた椀を持って舞踏しながら現れます。
この曼荼羅の周囲からは諸尊が舞踏をしながら現れます。
- 東方からブフーミスティタ(十地の位)ヴィディヤーダラ(持明者)と白色のダーキニー
- 南方からアーユルヴァシター(寿命が自在)ヴィディヤーダラ(持明者)と黄色のダーキニー
- 西方からマハームドラー(大印契)ヴィディヤーダラ(持明者)と赤色のダーキニー
- 北方からアナーボーガ(無功用自然)ヴィディヤーダラ(持明者)と緑色のダーキニー
- 墓地の八ダーキニー
- 四階級のダーキニー
- 三界のダーキニー
- 十の方向(十維)のダーキニー
- 二十四巡礼聖地のダーキニー
- シューラ(勇猛者)
- シューラー(勇猛母)
- ギン(下僕)
- ギンモ(卑女)
- ダルマパーラ(護法者)
彼らの全てが人骨製の装飾品を身に付けて頭蓋骨の太鼓と骨の笛、人の皮の旗などを持って頭が割れるような音で鳴り響き、サハジャ(自然生得)の叡智がまばゆいばかりの五色の光を放ちながらヴィディヤーダラ(持明者)の心臓から発して来ると同時に動物界の緑色の薄明かりが射してきますが、動物界の緑色の薄明かりに心を奪われることなく、五色の光に敬慕の念を抱くべきです。
この段階でもまだ師僧の正しいお導きと迷いのない正しい判断が出来れば死者は解脱することが可能であり、出来なければ更に次の段階に進んでいくのです。
八日目
七日目までに寂静尊が現れましたが、それでも解脱することが出来なかった人は、八日目からは血をすする忿怒尊が現れてきます。
「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。八日目には血をすする忿怒尊の群が現れるであろう…」
大吉祥ブッダーヘールカと呼ばれる忿怒尊は三つの顔、手は六本、四本の脚を持ち、ガルダ鳥に支えられた座に座っていて、女尊クローデェーシュヴァリーと抱擁しています。
しかしこれは自分自身の意識の表れ(意成身)であることを覚るべきで、実は自分自身の守り本尊である尊いヴァイローチャナ(大毘盧遮那如来)男女両尊が本体であることを覚れば解脱できます。
九日目
「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。九日目には血をすするヴァジュラ部の尊い御方であるヴァジュラヘールカと呼ばれる忿怒尊が現れるであろう…」
ヴァジュラヘールカと呼ばれる忿怒尊は三つの顔、手は六本、四本の脚を持ち、女尊ヴァジュラクローデェーシュヴァリーと抱擁しています。
しかしこれは自分自身の意識の表れ(意成身)であることを覚るべきで、実は自分自身の守り本尊である尊いヴァジュラサットヴァ(金剛薩埵)男女両尊が本体であることを覚れば解脱できます。
十日目
「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。十日目には血をすするラトナ部の尊い御方であるラトナヘールカと呼ばれる忿怒尊が現れるであろう…」
ラトナヘールカと呼ばれる忿怒尊は三つの顔、手は六本、四本の脚を持ち、女尊ラトナクローデェーシュヴァリーと抱擁しています。
しかしこれは自分自身の意識の表れ(意成身)であることを覚るべきで、実は自分自身の守り本尊である尊いラトナサムバヴァ(宝生)男女両尊が本体であることを覚れば解脱できます。
十一日目
「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。十一日目には血をすするパドマ部の尊い御方であるパドマヘールカと呼ばれる忿怒尊が現れるであろう…」
パドマヘールカと呼ばれる忿怒尊は三つの顔、手は六本、四本の脚を持ち、女尊パドマクローデェーシュヴァリーと抱擁しています。
しかしこれは自分自身の意識の表れ(意成身)であることを覚るべきで、実は自分自身の守り本尊である尊いアミターバ(無量光)男女両尊が本体であることを覚れば解脱できます。
十二日目
「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。十二日目には血をすするパドマ部の尊い御方であるカルマヘールカと呼ばれる忿怒尊が現れるであろう…」
カルマヘールカと呼ばれる忿怒尊は三つの顔、手は六本、四本の脚を持ち、女尊カルマクローデェーシュヴァリーと抱擁しています。
しかしこれは自分自身の意識の表れ(意成身)であることを覚るべきで、実は自分自身の守り本尊である尊いアモーガシッディ(不空成就)男女両尊が本体であることを覚れば解脱できます。
十三日目
「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。汝地震の脳の内からは八つの方角のガウリー八女神とさまざまな動物の頭を持った八つの地方のピシャーチーが発して、汝自身のもとに現れるであろう…」
八つの方角のガウリー八女神とは
- 東の方角からは白色のガウリー
- 南の方角からは黄色のチャウリー
- 西の方角からは赤色のプラモーハー
- 北の方角からは黒色のヴェータリー
- 南東の方角からは赤黄色のプッカシー
- 南西の方角からは暗緑色のガスマリー
- 北西の方角からは薄黄色のチャンダリー
- 北東の方角からは濃紺色のシュマシャーニー
血をすする五ヘールカ男尊を取り囲むこれら八つの方角のガウリー八女神を恐れてはならない。
八つの地方のピシャーチーとは
- 東の地方からは師子の頭をした暗褐色のシンハムクァー
- 南の地方からは虎の頭をした赤色のヴィヤーグラムクァー
- 西の地方からは狐の頭をした黒色のシュリガーラムクァー
- 北の地方からは狼の頭をした濃紺色のシュヴァーナムクァー
- 南東の地方からは鷲の頭をした黄白色のグリドラムクァー
- 南西の地方からは禿鷹の頭をした暗赤色のカンカムクァー
- 北西の地方からは鳥の頭をした黒色のカーカムクァー
- 北東の地方からはふくろうの頭をした濃紺色のウルーカムクァー
血をすする五ヘールカ男尊を取り囲むこれら八つの地方のピシャーチーを恐れてはならない。
十四日目
「ああ、善い人よ、門を守護する門衛の四人の女神も汝自身の脳の内から発して現れてきたものであると覚るべきである。」
門衛の四人の女神とは
- 東方から白色の馬の顔をしたアンクサー
- 南方から黄色の猪の顔をしたパーシャー
- 西方から赤色の師子の顔をしたシュリンカラー
- 北方から緑色の蛇の顔をしたガンター
「ああ、善い人よ、これら三十の怒りの容貌をしたヘールカ神群の外周りには、二十八のイーシュヴァリーがさまざまな動物の頭の形をし、さまざまな武器を持って汝自身の脳の内から発して汝自身に現れて見えるであろう…」
二十八のイーシュヴァリーとは
- 東方からヤクの頭をした暗褐色のラークシャシー
- 東方から蛇の頭をした赤黄色のブラフミー
- 東方から豹の頭をした暗緑色のマハーデーヴィー
- 東方からいたちの頭をした青色のローバー
- 東方から雪熊の頭をした赤色のクマーリー
- 東方から熊の頭をした白色のインドラー
- 南方から猪の頭をした黄色のヴァジュラー
- 南方からマカラ魚の頭をした赤色のシャーンター
- 南方からさそりの頭をした赤色のアムリター
- 南方から鷹の頭をした白色のチャンドラー
- 南方から狐の頭をした暗緑色のダンダー
- 南方から虎の頭をした暗黄色のラクシャー
- 西方から鷲の頭をした暗緑色のバクシニー
- 西方から馬の頭をした赤色のラティ
- 西方からガルダ鳥の頭をした白色のマハーパラー
- 西方から犬の頭をした赤色のラークシャシー
- 西方からカナカ鳥の頭をした赤色のカーマー
- 西方から鹿の頭をした暗緑色のヴァスラクシャー
- 北方から狼の頭をした青色のヴァーユデーヴィー
- 北方から野羊の頭をした赤色のナーリー
- 北方から猪の頭をした黒色のヴァーラヒー
- 北方から鳥の頭をした赤色のヴァジュラー
- 北方から象の頭をした暗緑色のマハーハスティー
- 北方から蛇の頭をした青色のヴァルナデーヴィー
マンダラの門を守る門衛の四人のヨーギニーは
- 東方からコーキラ鳥の頭をした白色のヴァジュラダーキニー
- 南方から山羊の頭をした黄色ののヴァジュラダーキニー
- 西方から師子の頭をした赤色ののヴァジュラダーキニー
- 北方から蛇の頭をした暗緑色ののヴァジュラダーキニー
「ああ、善い人よ、寂静尊とはダルマ・カーヤ(法身)が空の世界から現れてきたものと覚るべきである。忿怒尊とはサムボーガ・カーヤ(報身)が明りの世界から現れてきたものであると覚るべきである。」
シパ・バルド(再生のバルド)
「自身を清く保つことができず、瞑想にも慣れ親しんでいない人々は、ここで輪廻を終える事ができずに、さらに彷徨って再生への母胎に進んで行く。彼らに「胎の入り口を閉ざす方法」を授けることが重要となってくる…」
ここまで来て解脱できなかった人でも次の生まれ変わりの入り口を閉じれば、まだ仏になる可能性が残っています。
胎の入口を閉ざす第一の方法
「ああ、善い人よ、男女が情を交歓している幻影がこの時に現れるであろう。これを見た時に、その間に入り込んではいけない…これらの男女をラマ・ヤブユム(御仏男女両尊)として心に念じて礼拝し、心を込めて供養を捧げることなのである…そうすれば胎の入口は確実に閉ざされるであろう。」
胎の入口を閉ざす第二の方法
「もしもこれによっても防ぐことができずに、汝が胎に入ろうとするのであるなら、どの守り本尊でもよいから、適切なラマ・ヤブユム(御仏男女両尊)を心に念ずべきである」
これによって胎の入口は閉ざされるであろう。
胎の入口を閉ざす第三の方法
「ああ、私のようにこれほどまでに悪いカルマン(業)に影響を受けたものがほかにあるだろうか…今こそ愛着と敵意のどちらの気持ちも捨てよう」このように心を一点に集中して強く決意すべきである。するとひとりでに胎の入口は閉じてくる。
胎の入口を閉ざす第四の方法
「今こそこれらすべてが夢のようなものであると覚らなければならない…「絶対に実在ではなく、虚妄なものである」と精神集中を行って心に決めて動揺しない…そうすれば胎の入口は閉じてくる」
胎の入口を閉ざす第五の方法
「光明を心に念ずることによって胎の入口が閉ざされるべきである。この瞑想の仕方は次のようになされるべきである。「ああ、すべてのものは汝自身である。汝の心とは生起や消滅を離れたものである。空なるものである」…このように胎の入口が閉じるまでずっと瞑想を続けるべきである」
胎の選択
「今までのお導きによっても胎の入口を閉ざすことができなかった場合のために、胎の入口の選択に関する深遠なな教誡が今これから説かれるであろう…」
- 東のヴィーデーハ国(勝身洲)は雌雄のハンサ鳥によって飾られた湖が見えるが、入っていけない。
- 南のジャムブドヴィーバ国(贍部洲)は美しい立派な屋敷が見えてくるので、ここに入るがよい。
- 西のゴーダーニーヤ国(牛貨洲)は雌雄の馬によって飾られた湖が見えるが、入ってはいけない。
- 北のクル国(倶盧洲)は雌雄の牛にっよて飾られた湖が見えるが、入ってはいけない。
- 天人として生まれる場合は、宝石で出来ている美しい高層の寺が見えるが、ここには住んでもよい。
- 阿修羅に生まれる場合は美しい樹林、旋回している火の車輪が見えるが、入ってはいけない。
- 動物(畜生)に生まれる場合は霧の掛かった岩穴、洞穴、草庵が見えるが、入ってはいけない。
- 餓鬼に生まれる場合は朽ち木の屑、森の空き地、崩れかけた洞窟、黒く揺れ動く物が見えるが、入ってはいけない。
- 地獄に生まれる場合は悪い業に苦しむ者の歌声が聞こえるか、抵抗することができない場合である。
「ああ、善い人よ、汝が行きたくないと思っても、自分自身ではどうにもならない。背後からは汝の生前のカルマンを裁く死刑執行人に追い立てられる。行きたくないと言うことができないので、行くよりほかに仕方ない。前からは死刑執行人や首切り人が汝を引きずる。」
「暗闇と大旋風と音響と吹雪と激しい霰と暴風雨が荒れ狂い、逃げたいという思いが汝に起こるであろう。汝は困り果てて立派な屋敷とか岩窟とか土の窪みとか森の中とか蓮華の丸い花弁の奥とかに隠れこんで、外に出ることを怖がり、その場所にすっかり執着するようになろう…その結果、とてもつない悪い身体を取って再生することになるであろう。そしてさまざまな苦悩を味わうことになるであろう。」
「死刑執行人が現れて汝がどこかの胎に入らざるを得ない時には清浄な仏の世界に意識をポワ(転移)させるか、不浄な輪廻、再生の胎の入口に入るかを選択すべきである。」
意識のポワ(転移)
救いの仏に意識を集中し、そこでの誕生を願うのです。
- 西方スクァーヴァティー(安楽)国のアミターバ(無量寿)仏
- シュリーマット(極妙)国
- アビラティ(妙喜)国
- ガナヴィユーハ(密厳浄土)国
- アタカーヴァティー(柳葉隅)国
- ターラーパルヴァタ(多羅山)国
- パドマラクシュミ(蓮華光)国のパドマサムバヴァ(蓮華生)菩薩
- トゥシタ(兜率)天のマイトレーヤ(弥勒)菩薩
「汝が一心に気持ちを集中させるだけで、直ちにその仏の世界に汝は誕生することができるであろう」
再生の胎の選択
「いかなる幻影が現れようとも、それに対しての執着の気持ちを持ってはならない。市融着や求め願う心が先に立つことが内ようにして、良い胎の入口を選ぶべきである」
次のように想いをこらすべきである。
「ああ、私は生きとし行けるものすべての利益のために、仏の教えをもって統治する王(転輪聖王)として生まれよう。あるいは大きなサーラ樹にも似たバラモン(婆羅門)として生まれよう。あるいは修行を完成した人の子息として生まれよう。あるいは穢れの無い仏の教えの伝統(法脈)の家系に生まれよう。あるいは父母ともに信仰篤い家系に生まれよう。こうして生きとし生けるものすべての利益をはかることのできる、幸せと徳を備えた身体を自分に受けよう。そして、他を利する行為を行うのだ」
「ああ、善い人よ…恐れることなしに、頭を真っすぐに上に立てて行け。バルドゥであることを覚るべきである…今となっては人間界の青い薄明かりと天上界の白い薄明かりの中に住むことにしなければならない。宝石から出来ている立派な屋敷や楽園に住むことにして、地獄や餓鬼の世界への入胎をさけるべきである。」
参考:原典訳「チベット死者の書」川崎信定訳