永遠とは

永遠とは何時までも変わることなくあり続けること、終わりのないことで、六道輪廻の世界の衆生は生まれ変わりの中で寿命があり終わりがあるが、悟りの仏の世界は安楽の世界であり寿命の無い永遠の世界です。
この世の永遠は商売道具

釈迦はこの世の全てのものは移り変わって行くもので、永遠というものが無いことを悟りました。
地球上での私達が住んでいる土地は不動産と言って土地は動かないものとしての価値あるものですが、実際は私達の住む日本列島は板のようなプレートに乗って常に動き続けていて陸のプレートとされ、その下に海のプレートがベルトコンベアーのように次々と沈み込む摩擦によって地震が起こっているのですから、私達が住む日本の大地は常に動き続けていることになり、実は不動産ではなくて動産であることが分かります。
また大きな宇宙から私達が立っている点を見てみますと、太陽の周りをいつも同じように回っていると思っていても実は大宇宙の中を銀河系ごと動き続けているのですから、一刻たりとも同じ場所には居ないのです。
このようにして私達は常に動き続ける地球号という乗り物に乗っているが故に同じ場所には二度と戻ってこないが故に不変のもの、変わらぬものを欲しがるのではないでしようか。
霊園の販売チラシで「永遠の安らぎ」を謳っていても、お墓そのものが永遠ではないことを知る必要があるのです。
妙法蓮華経如来寿量品(偈文)

妙法蓮華経如来寿量品(偈文)は妙法蓮華経如来寿量品の中から詩句の形をとった「偈」(げ)とされる部分を抜き出したもので法華経の中でも重要な部分とされ、さらにその中から抜粋した部分をご紹介します。
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
私が悟りを開いてから今日まで、本当はとても長い、無限の時間(久遠)が経っているのです。
私は常に法を説いて、億の無数倍という多くの衆生を教化して、仏道に入らせてきた。そのようにしてこれまで、計り知れない程の時間が経過した。
於阿僧祇劫 常在霊鷲山 及余諸住
衆生見劫尽 大火所焼時 我此土安隠
わたしが悟りを開いてから今までの無限の時間、ずっとわたしはこの霊鷲山、もしくは別の場所で法を説き続けています。
衆生がこの世の週末を迎え、世界がすべて焼き尽くされた時でも、私が居る仏の世界はずっと安穏です。
永遠の仏

法華経では約2500年前のインドの地に於いて釈迦が悟りを開いて仏になった後に入滅したのは仮の姿であって「迹仏」(しゃくぶつ)とされ、衆生に真実を目覚めさせるためであり、実は無始無終の永遠の時を経て衆生を導いていた「本仏」の存在が今もあり続けていると説かれるのです。
本体である仏がまさに永遠であり、全ての衆生を救済し終わるまで続くのですから、何時か終わりが来ることかもしれませんが、果てしない過去から続いていることを思えばまだ続くことでしょう。
永遠は私達人間の世界の事ではなくて仏の世界のことであり、大宇宙の根源を司る原動力なのかもしれません。






