目次
人間界、人間道とは
人間道とは衆生が輪廻転生する六道の中で阿修羅より上で天界より下の世界に位置する私達人類が存在する世界のことです。
人間道の場所
仏教の世界観の中で私達の居る人間道の世界は、須弥山の下の鉄囲山に囲まれた海に浮かぶ四つの島の内の南側にある南閻浮州という所です。
四苦八苦
釈迦は人でありながら悟りを得て六道の輪廻転生の世界から解脱して仏になった方ですが、釈迦の修行の原点は、私達人間の世界が苦に満ちた世界であり、その苦から解放されるには解脱して仏になるしかないと悟ったからです。
とても苦労することを四苦八苦と言いますが、これは仏教用語であり、四苦の場合には「生、老、病、死」の四つの苦しみであり、八苦の場合には四苦に愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)五蘊盛苦(ごうんじょうく)が加わります。
生苦
仏教では私達が生きていることは苦しみであると説きますが、生きている限り老、病、死の苦しみが必ず襲ってくるからであり、いつ襲ってくるか分からないという不安を抱えながら生きていることは苦しみなのです。
更にはこの世に生まれてきたこと自体が既に苦しみの始まりなのであって、人として生まれてくることは苦悩を背負っていると捉えられるのです。
若い夫婦にとって子供が生まれてくることは幸せであり、喜びでもありますが、悟りを得た釈迦からは生苦という苦悩の姿が見えてしまうのです。
老苦
歳をとれば若い時に出来ていたようなことが出来なくなり、目が見えない、耳が聞こえない、体が思うように動かない、などの様々な老化現象が出て、その苦しみを老苦と言います。
地位や名誉、金銭財宝などのあら物を手に入れた中国の皇帝が最後に欲しがったものは「不老長寿」の妙薬で、「歳をとりたくない」ことと「死にたくない」ことを真剣に願ったのです。
中国の歴史書の「史記」によれば秦の始皇帝に対して「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と進言した徐福は始皇帝の命を受けて不老不死の妙薬を得るべく3千人の童男童女と百工(多くの技術者)を従え、財宝と財産、五穀の種を満載した船を出して東方に向けて出港したものの、待てど暮らせど、ついに中国に帰ってくることが無かったとされます。
日本には徐福がたどり着いたとされる伝承が多数残っています。
また歴史上の有名な人物が不老不死の妙薬だと信じて飲んでいた薬が実は猛毒の水銀であったりして却って短命になったという話も数多くあるのです。
科学が発展した現代に於いても歳を取らない薬や若返りする薬は存在しません。
病苦
人は生きている限り何らかの病気にかかるもので、中には病気にかかったことが無いと豪語するような人もたまにいますが、それでもほとんどの人が様々な病気を経験し、何処の病院に行っても多くの患者で溢れているのです。
病気になることは苦しいことで、それを病苦と言い、激しい苦痛が続く、体がだるい、しんどいなどの苦しみの症状に体が支配され、寝たきりになったり、動けなくなったりして自由が奪われてしまいます。
病気には体の病気と精神的な病気があって、近年ではストレスや、育った環境による精神的な病気が増えていることが特徴で、自分が病気であることに気が付いていないという方もたくさん居られます。
死苦
死苦とは人間にとって死ぬということは最大の苦しみであり、不治の病を宣言された人にとってはお先真っ暗で、死にたくないという気持ちと戦い続けることになります。
若い奥さん、子供が居るような人が死の宣告を受けたら、嘘だという気持ちと、何故私が、死にたくないなどの気持ちで発狂するかもしれません。
いくら歳を取っていてもやはり死にたくないという気持ちはあるもので、平穏無事な生活を続けていたいと願うものです。
死んだらこの世に戻ってこれない、家族と会えなくなる、忘れられてしまう、何処の世界に行ってしまうのだろう、などのことが全て怖くなってしまいます。
愛別離苦
愛別離苦(あいべつりく)とはどんなに愛する人であっても何時かは必ず別れなければいけない時が来るということです。
お付き合いの段階では愛する人の気持ちが変わってしまって別れることになってしまったり、或いは結婚していても不倫などの理由で離別ということがあるのです。
どんなに仲の良い夫婦であっても必ずどちらかが先に居なくなりますし、仲の良い家族であっても事故や病気で亡くなることもあれば、天寿全うで順番に居なくなっていくのです。
怨憎会苦
怨憎会苦(おんぞうえく)とはどんなに嫌な人であっても合わなければいけないことがあるということで、愛別離苦の逆説的な言い回しになります。
会社や社会に於いても嫌な人と一緒に仕事をするようなことはよくあることで、嫌いな上司や部下、同僚のせいで精神的なストレスになってしまうことも多々あります。
愛する人が何かのきっかけで嫌いな人になることもあり、結婚する前まではお互いにどんなことでも許せていたことが、結婚してから絶対に許せないことになったりなどの気持ちの変化が起こってきます。
また隠していたことがバレたり、抑えていたことが爆発したりなどで絶対に許せないということが起こってくるのです。
求不得苦
求不得苦(ぐふとくく)とは欲しい物が得られないという苦しみです。
現代社会ではお金さえあれば欲しい物が簡単に手に入ってしまいますが、そのお金にしても自分で働いて稼がなければいけませんし、独身の時には自分の好きなように使っていたお金でも結婚すれば家庭第一で、段々と自分の欲しい物が買えなくなってくることが苦しみになってきます。
欲しい物にしても高価な物だから買えないと分かったら苦しみですし、人が持っている物を欲しくなったりしたら犯罪に繋がってしまうかもしれません。
老苦の所で取り上げた「不老不死の妙薬」は人間が最終的に欲しがるものですが、究極のエゴであり、煩悩なので、絶対に手に入らないようになっているのです。
五蘊盛苦
五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは「五つの要素に執着する苦しみ」ということで、五つの要素とは
- 色(しき)…全ての物質、「身体」の機能のこと
- 受(じゅ)…物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能
- 想(そう)…見たものについて何事かをイメージする「心」の機能
- 行(ぎょう)…イメージしたものに意志判断を下す「心」の機能
- 識(しき)…外的作用と内的作用を総合して状況判断を下す「認識作用」の機能
これらのことは私達が生きている限り次々と湧いてくる作用であり、どうしてもその作用に執着してしまい、離れなくなってしまうことによる苦しみです。
人間界の特権
苦しみの多い人間界ですが、人間界にしかない特権もあります。
仏の出現
衆生が輪廻転生する六道の中でも仏が出現するのは人間界に限られていて、実際に釈迦如来が現れたのですが、釈迦如来の次に仏となることが約束されたのが弥勒菩薩であり、釈迦の入滅後56億7千万年後にこの世に現れるとされ、それまでの間は地蔵菩薩が六道に現れて救済の役目を担うのです。
また仏の教えが残っていて学ぶことが出来るということはとても素晴らしいことです。
修行が出来る
私達の世界は苦しみに満ちた世界ですが、それでも仏道の修行が出来る環境があることは人間界の特権です。
私達の上の世界の天界でも仏道の修行が可能なのですが、寿命が長いことや、苦しみが少ないことから楽を享受してしまう傾向が強く、徳をすり減らしてしまうようです。
私達人間の世界は苦しみがあるからこそ、この苦しみを乗り越えようと修行するのであって、座禅したり瞑想したり、布施したり、徳を積むようなチャンスがいくらでもあるのです。
私達はそのチャンスを無駄にすることなく、是非とも活かしていきたいものです。