お祓いとお清め(お浄め)
お祓いとお清めはよく似ていますが、お祓いとは邪悪な物を払うことで、お清めとは穢れを清めることです、掃除で例えればお祓いが埃を取り払うことで、お清めは水で洗ったり磨くことです。
お祓いとは
何をやってもうまくいかない、不幸が続く、事業に失敗した、原因不明の病になった、夫婦が離婚の危機である、事故に遭ってしまった、子供が悪の道に走るなど長い人生の中ではいろいろな苦難に直面するものです。
私達は幸せになりたくて努力しているのに中々幸せになれない、偶然幸運を掴んで幸せだと感じても、ほんの一瞬の出来事であり、あっという間に不幸になることを繰り返す定めなのです。
私達の不幸は内から来る不幸と外から来る不幸がありますが、いずれも貧乏神、疫病神、死神などに憑りつかれた状態であり、自分自身の力ではどうにもならないことが多いものです。
お祓いとは力の強い神に付いてもらい、邪悪な神や霊などを払うことであります。力の強い神とは毘沙門天です。毘沙門天は家族を守り、人として正しい生き方を説きますので、後ろ向きで暗い生き方が、前向きで明るい生き方に変わるのです。
年末の煤(すす)払いもお祓いです
神社仏閣で年末に行われる「煤払い」(すすはらい)の歴史は古く平安時代から宮中行事として行われていて、法律について書かれた『延喜式(えんぎしき)』には煤払いの仕方が詳しく載っていますので大切な行事であったと共に、厄を落とすという意味合いがあったものと思われます。
屋内に溜まった煤を払い落とす煤払いですが、明治時代以前の電気やガスが無かった時代には台所や風呂、暖房などに薪が使われていて、屋内で火を焚くものですから真っ黒い煤や埃が壁や柱、天井などに大量に付着しますので、それを払うことは掃除に於ける大切な役割だったのです。
当時は掃除機などもありませんてしたので、窓や戸を開けた状態で笹の葉などを使って払い落とすという原始的な方法ですが、これこそまさに煤を払うという作業だったのです。
最近ではお掃除の道具として「はたき」が使われることが無くなりましたが、昭和の時代頃までは町の本屋さんや古本屋さんが必ずあって、本を立ち読みしていたら店主がはたきをパタパタしながら近づいて来て、それは立ち読みしている客(邪魔者)を追い払うためのアピールだったのです。
「はたく」という行為自体が厄払いですから、はたきは是非使って頂きたいものです。
厄払いもお祓いです
神社や寺院で行われている厄払いは人に付いた厄を払う宗教儀礼です。
33歳、42歳、61歳などの大厄と言われる厄年に該当する人は人生に於いての大きな災難に遭遇しやすいことから、予め厄払いして厄を払い落とすことにより災難を避けたり、大難を小難に変えたりして無事に過ごすことが出来るのが厄払いです。
新年の初詣期間の内に祈願を受けて御札を納めたり、御札を持ち帰って自宅に祀ります。
大厄は本厄と言われる厄年の前後に前厄と後厄が付きますので、3年間続く厄ということになり、他に小厄、八方塞などの1年限りの厄もあります。
お清めとは
お清めとは穢れを清めることであり、病気や怪我、人の死、不浄の言葉や行いなどによる穢れは私達の身の回りに普通に存在し、避けようと思っても避けて通ることが出来ません。
体の汚れはお風呂に入れば洗い落とせますが、心の穢れは中々自分では洗い流せるものではありません。
他人の不幸を願ってしまう、自分の事しか考えられないので人から嫌われる、人に迷惑ばかり掛けている、自分の性格が嫌だ、などの場合にはお清めの必要があります。
友人からある物を頂いてから不調が続く、家にある人形がどうも不吉な予感がする、などのお悩みをお持ちでしたら、持って来て頂きましたらお清めさせて頂きます。
お清めの塩
葬儀の時などに配られる御清めの塩は持ち帰って家に入る前に服の上からかけて清めるためのものです。
神道では人の死を穢れとみなし、神様に穢れがうつらないようにと神棚に半紙を貼り、家の玄関には喪中の札を貼ることから、葬儀に参列した人の穢れを家に持ち帰らないようにとの配慮で「御清めの塩」を配るのです。
御清めの塩の正しい使い方は
- 最初に手を洗い、水で手を清めます
- 玄関に入る前に服の上から振りかけること
- 一つまみの塩を指でつまみ胸元・背中・足元の順番に掛け、手で祓います
- 落ちた塩を踏んでから家に入ります
残った塩は料理には使わずに捨てますので、残らないように使います。
盛り塩
盛り塩とは家の中や外に撒いたり皿にのせて置く塩のことで、その場所を清める効果があります。
悪いものが入って来ないようにすると共に清浄な空間を作ります。
古より塩は生命を維持するのに大切なミネラルとして重宝されており、特に塩の入手が困難な山間部などでは塩は貴重品であり、お金の代わりとして使われていました。
塩の貴重さと純白さは神に供えるものとして尊ばれ、今でも神棚に供える物として塩、酒、米は大切なものです。
商売でお店を構えている人が店の入口に置いた盛り塩を見た人は多いと思います。
清めの酒
神道に於いて御神酒(おみき、ごしんしゅ)は神様に捧げる供物の中でも最上級のものとされます。
出来上がるまでに八十八の手間が掛かったとされる米は神に捧げる大切な供物なのですが、その米で作られた酒は最上の供物とされ、また祭事の時に供物として献上した御神酒を下げたお酒はその後に開催される直会(なおらい)で戴くことは、神の霊が宿った酒を戴くことになります。
また御神酒は御清めにも使われて土地の角に撒くこともあります。
土地の四隅と中央に撒くこともありますが、撒く時には少量で構いません、地鎮祭の時などではその後に皆で御神酒を戴くこともあります。
清めの水
水は御清めの基本で、自らの身体を清めるために水に入ったり滝に打たれたりすることが禊(みそぎ)であったり滝行、水行であったりするのです。
神社や寺院のお参りの前には身と心を清めるために手や口を漱ぐための手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)がありますし、清らかな水で洗うことによって汚れが落とされて洗い清められるのです。
水で清めたり洗ったりすることは世界共通であり、水は私達が生きていく上で欠かせないものであり、あらゆるものを浄化してくれる存在でもあります。
加持土砂
加持土砂とは密教の「光明真言」を唱えながら「光明真言土砂加持法」を修法した清浄な砂のことで、この土砂を病人に用いれば病気が癒され、お墓や亡き人に掛ければ地獄や餓鬼道で苦しんでいても生前の罪障が消えて極楽往生できるとされる清めの砂です。
毘沙門天でお祓い、御清め
毘沙門天は天の世界に居られて、外敵の侵入を防ぎ、諸悪を寄せ付けず、厄を払い、清く正しい生き方を説かれている最強の神です。
毘沙門天のお祓い、お清めの仕方
悪い物に憑かれていて、何とかしたいと思ったら、強い神に護ってもらうことが一番です。
正しく強い神がいつも付いてくれるようになれば、悪い物は決して近づけなくなります。
毘沙門天の力を頂こうと思ったら御札の一枚ぐらいはあった方が良いと思います。
500円で毘沙門天の御札が買えます…毘沙門天祈願
自分で出来ることをもっとやりたい方は…毘沙門天王功徳経-訳と解説、勤行の仕方
その上で毘沙門天の真言「オンベイシラマンダヤソワカ」を唱えることを続けてみて下さい。
毘沙門天は神ではありますが、仏法も説きますので、正しい生き方が求められます。全て神頼みで自分は何もしない、或いは完全に自分勝手なお願いは最初から聞いてくれません。
ダメな願い事の典型的な例として、「相手に考え方を変えて欲しい」とか、「相手に病気になって欲しい」、「自分だけが良い思いをしたい」などの相手の立場を考えず、自分だけのことしか考えないような願いを神様に叶えてもらうのは無理です。
うわべだけの幸せというものはすぐに壊れてしまいます、真の幸せは相手の幸せを願う心であり、壊れにくいものなのです。
お祓いしてもらいたい場合
自分ではどうにもできないからお祓いしてもらいたい、今の自分の状態を観てもらいたい、という場合にはやすらか庵でのお祓いを受けてみて下さい。
やすらか庵に来て頂く
やすらか庵に来て頂く場合のお祓い、お清めは個別に対応して5千円のお供え料です。完全に個別に対応いたしますので、必ず予約してください。
先祖が悪い、霊が憑いている、過去世に悪事を働いたなどの目に見えない事で騙された方が多く、除霊のために多額のお金をつぎ込んだ、却って悪くなったような方がたくさん居られますが、結局それもまた御縁なのです。
しかしどんなことがあっても決して諦めないで下さい、どんな人でも生まれて来た、そして今生きている理由があるはずなのです。
この世に生まれてきて良かった、そして今生きていることが有難い、と思えることが毘沙門天信仰なのです。
こちらからお伺いしてのお祓い
中古で買った家や車が事故物件だった、家の敷地の中で死亡事故が起きた、家族が自殺した、家が燃えた、事故現場を拝んで欲しいなどの場合にはお家や現場までお伺いしてお祓いさせて頂きます、私が出かける場合には御布施として3万円、車代として1万円でございます。
安心のお祓い祈願
私清野徹昭が祈願させて頂きます、高額なお布施を要求したり、寄付の案内が届くようなことはありません、私はNHKクローズアップ現代+などにも出ておりますので、安心してご利用くださいませ。
予約専用フリーダイヤル 0120-655-480 やすらか庵
〒265-0053 千葉市若葉区野呂町1434-16
お焚き上げ供養もお祓いです
家にある物や自分が使っている物に何か憑いているような気がする、スマホで撮影した写真に不可解な物が写っている、このような場合には憑いているものを払うという意味でのお焚き上げが有効な事があります。
物に問題があることも
物に罪は無いのですが、あまりに強い思いが籠っている物のせいで、不可解な事が連続したり、自分ではどうにも出来なくなることがあり、しかもどんどん悪くなっていくと歯止めが効かなくなります。
こういう時には思い切って問題の物を処分したり、或いはお祓いやお焚き上げすることによって好転して行くことが実際にあるのです。
お焚き上げの効果は
お焚き上げは物に付いている思いや願いなどを天に還した上で護摩の火で浄化する方法ですから、心まで浄化されるのです。
物に関してはまだ使うものである場合や家宝や仏像などはお祓いして末永く大切にしましょう。
縁談が破談した時の結納品、心霊写真、事故で亡くなった方の遺品などはお焚き上げした方が良いことが多く、悪い因縁の物を護摩の火で焚き上げることによって因縁を消し、清浄な状態に戻すことは御清め、お祓いになるのです。
霊能者に騙されるな
霊能者に騙されてお金を使い果たした人や体を悪くしてしまった人、精神を病んでしまった人などが相談に来られますが、共通して言える事は皆さん霊能者に脅迫されていること、支配されていることです。
霊が憑いている
何代前の先祖が井戸に落とされて苦しんでいる、合戦の兵士の霊が憑いてる、動物の霊が憑いてるなどの具体的なことを言って修法するためにはまとまったお金が必要だと言われます。
低次元の霊が見える人はその霊能者が低次元のレベルの霊世界に通じていますので、言う事がお金目当ての低次元のことしか言いませんが、非常に具体的に見て来たことを言いますので、それは確かに事実であることが多いのですが、そういった低レベルの世界で解決しようとすること自体が間違いなのです。
大体何処の家のご先祖でも欲望のままに行動して失敗した人や、人を不幸に陥れた人などが必ず居るものですが、問題なのは同じことを延々と繰り返していることなのです。
親が起こした過ちを子が起こし、更に孫も同じことを繰り返す、こういったことを体に流れる血の中で引き継いでしまっているのです。
もっと高いレベルから見れば全てのことが自分の心の中から出てきていることなのですが、その本質は幻想であり幻であり、悪を退治するという方法では無くて、自らの心を浄化すれば見えなくなるだけの世界なのです。
私達の世界には地獄から天の世界までが同居していますので、見える人によってはいろんな世界の事が見えてしまうのですが、あまり低いレベルの人とお付き合いしますと、自分まで低いレベルに堕ちてしまいます。
出来るだけ高い世界、天の世界を見るようにいたしましょう。
見た感じ良い人
とても穏やかで良い人であって評判が良い、言ったことがよく当たるからと信じて奉仕していたら弟子に成りなさいと言われ、躊躇していたら態度が急変したなどのことがよくあります。
評判が良いと言ってもマインドコントロールされた信者さんの間だけの評判ですから当てになりません。
離れようとしたら恨まれた
信じていた人の態度がおかしいことに気が付いて離れようとしたら逆に恨まれて、自分に呪いをかけているようだ、毎晩寝静まったころに何かの呪法を掛けられている、などのことです。
人を逆恨みするような人の世界はあまりにも低レベルであり、騙される人が悪いのですが、こういった事も全て訳ありの御縁ですから、真面目に解決しないと同じ事を繰り返します。
お気軽にご相談を
長い間時間を掛けて作り上げたものから離れるということは容易な事ではありませんが、正しい方向に向かえば必ず立ち直ることが出来ます。
毘沙門天は仏法に根差して邪悪を払い、正しい方向に向かう教えを説いています。
お気軽にご相談下さい…相談専用電話043-228-1480