感謝とは
感謝とは人の行いや気持ちに対して有難い、嬉しい気持ちを持つことで、礼を述べること。
感謝の言葉
感謝の言葉ですぐに思い浮かぶのはやはり「ありがとう」です。
その他には
- 嬉しいです
- 良くなりました
- 肩の荷が下りました
- 楽になりました
- 助かりました
- お世話になりました
などの言葉は相手の行為や気持ちなどに対して発する言葉で、いずれも礼を述べるための言葉です。
善行の結果として
私達の行いには善行(善い行い)と悪行(悪い行い)があって、仏教では戒律で決められていて善い行いは善い結果となり、悪い行いは悪い結果となる「自業自得」の大原則が存在すると説かれます。
出家することなく仏教を実践する在家の信者が守るべき戒律は五戒で、五戒は五つの戒から成り立ち、最も重要度の高い順から並びます。
- 不殺生戒(ふせっしょうかい)…生き物を故意に殺してはならない
- 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)…他人のものを盗んではいけない
- 不邪婬戒(ふじゃいんかい)…不道徳な性行為を行ってはならない
- 不妄語戒(ふもうごかい)…嘘をついてはいけない
- 不飲酒戒(ふおんじゅかい)…酒類を飲んではならない
戒律を守ることは善行であり、戒律を破ることは悪行となります。
また出家者が守る十善戒とは仏教に於ける十悪を否定する形にした戒律のことです。
- 不殺生(ふせっしょう)…生きものを殺さない
- 不偸盗(ふちゅうとう)…盗まない
- 不邪淫(ふじゃいん)…淫らな行いをしない
- 不妄語(ふもうご)…嘘をつかない
- 不綺語(ふきご)…お世辞などを言わない
- 不悪口(ふあっく)…悪口を言わない
- 不両舌(ふりょうぜつ)…二枚舌を使わない
- 不慳貪(ふけんどん)…むさぼらない
- 不瞋恚(ふしんに)…怒らない
- 不邪見(ふじゃけん)…間違ったものの見方をしない
同じく戒律を守ることは善行であり、戒律を破ることは悪行となります。
いずれの戒も相手が居て、相手に対する行いに対する戒であり、仏教では善なる行いをすることが相手のために、そして自分のために功徳という形で蓄えられるのです。
善行を行えば相手の心は豊かな心になり、嬉しさのあまり自然と感謝の気持ちが湧いてくるのは自然の成り行きで、ここで大切なことは「見返りを期待しない」ことなのです。
これらの戒律を守って正しい生活を実践する人と一緒に居れば、心が癒され和み、怒りの感情や貪りの感情が無くなり、ただひたすらに感謝の気持ちが芽生えてくるのです。
親に感謝
親という御縁があったからこそ自分が居るのであって、戦争の無い平和な日本に生まれて仏法に接することが出来たと思えば親に感謝です。
しかし私が受けている無料相談の電話の中でも結構多いのが、親に対する反抗や嫌悪感です。
子供の頃から暴力を受けていた、大切にされることが無かった、生まれてこなければよかったのにと言われた、親が何でも決めた、遊んでばかりの自分勝手な親だった、などの環境で育ってしまったら早く離れてしまいたい、縁を切りたいと思うのは当然の結果なのです。
自分勝手な親のことはさて置いて、それでも今この日本に生きているという事は望んでも中々得られないことであり、魂を浄化して真の幸せを掴むための場が与えられていると思えばとても有難いことなのです。
親がしてしまった不始末はやがて不始末の張本人である自分が受けることになりますから、恨んでも仕方ありません、むしろ可哀そうな人だと憐れんで差し上げましょう。
どんな親であれ人の心を持ってさえいれば、子には幸せになって欲しいと願うものです。
親に感謝することは生き物としての務めです。
神仏に感謝
私達が普段生活している空間は私達の五感で感じられる世界であり、その感覚としては
- 眼…眼で見る
- 耳…耳で聞く
- 鼻…鼻で臭いをかぐ
- 舌…舌で味わう
- 身…体で感じる
- 意…心で感じる
という六種類があって、五感と呼ばれる感覚(眼耳鼻舌身)と心の感覚(意)で六感になるのですが、仏教の修行を続けて参りますと六感の他に「心の眼」が開いてくれば神仏の世界と繋がるようになってきます。
心の眼が開けば神仏の世界の事がよく分かるようになり、私達の世界は目に見える世界だけではないことが分かります。
神仏の世界から私達の世界を観れば、私達衆生を救おうと懸命の努力をされて居られるその姿を見てしまったら、もう感謝の気持ちしかありません。
神仏の世界は全ての衆生の救済のために動いているのです。
ただひたすらに感謝です。
2022年は寅年で毘沙門天と御縁のある虎の年ですから、天界からの加護が最大になる年です。
誰もが大きな力を頂けますので、毘沙門天の御札を家にお祀りすれば良い御縁を頂けます。
御縁は向こうからやってくるものですから、受け止めるかどうかはあなた次第なのです。
御縁に感謝
御縁というものは人と人とをつなぐものであり、人と神仏をつなぐのもまた御縁なのです。
御縁は与えられるものであり、与えられた御縁に対して感謝の気持ちを持てば、それは良い御縁になり、不平不満を言えば悪い御縁になってしまいます。
与えられた御縁がたとえ自分とはタイプが合わなくて好きになれない人であっても、感謝の気持ちで接すれば意外と自分の持っていない面を持っていたり、とても素晴らしい考え方を持っていたりするもので、感謝の気持ちは人をも変えてしまうのです。
大切なことは
- 御縁に感謝してみましょう、そうすればもっと良い御縁が頂けます
- 感謝の言葉を述べましょう、そうすれば相手に気持ちが伝わり、物事が順調に進みます
- 神仏に感謝しましょう、そうすれば神仏に護ってもらえます
- 人に感謝しましょう、そうすれば良い人が自然と集まります
- 物にも感謝しましょう、そうすれば物からも感謝されるようになります。
御縁に感謝することは人と人とが和合する方法であり、神仏に好かれる方法なのです。
我が国では昔からありとあらゆる物に魂が宿ると言う考え方があって、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)と言って自然の中にはもちろんのこと、道具でさえ百年も使えば付喪神(つくもがみ)という神になると信じられてきました。
道具に対しても感謝の心を持って接すれば魂を持って神になるのです。
感謝の行
感謝とは相手の行為に対するお礼の気持ちですが、心を浄化する大切な修行にもなるのです。
何もなくても感謝
何もしていないのに「いつもありがとう」と言われたら、悪い気がする人は居ないでしょうし、むしろ好感を覚えるもので、トップクラスの販売実績を持つセールスマンが誰に対しても「いつも有難う御座います」と挨拶しているのは自分の実力で物が売れているのではなくて、相手が居てくれるからこそ業績に結び付くのだという感謝の気持ちを表現したもので、相手を大切にしている証拠なのです。
極楽浄土に居られる仏は常に相手の幸せを願い、感謝の心を持ち続けていますので、自己満足という事がありませんし、対立や争いの無い世界なのです。
私達も常に何もなくても家族や友人、近隣に対して「いつも有難う御座います」という心を持ち、それを言葉に出して挨拶することで相手の心が和むことにより、この実践によって対立や争いが驚くほど無くなっていきますので、試してみて下さい。
場合によっては感謝の心を忘れてしまった人も世の中にはたくさん居ますが、何かしてもらったことで感謝するのは当たり前のことで、何もしてもらっていなくても感謝するのが感謝の行なのです。
仏教は難しい修行ばかりではありません、人と人との中にあって生活しながら実践するのが役に立つ仏教なのです。
声に出して言う事
ここで大切なことは夫婦や親子で「ありがとう」と声に出して言うことで、それも毎日必ず言うようにします。
そんなこと急に言われてもと困る人の言い訳は
- いつも感謝しているから言う必要はない
- 当たり前のことを今更言えない
- 誕生日の時に言ったからいいだろう
- 言っても相手の反応が無い
- 実はそんなこと言いたくない理由がある
など人によっては様々な理由があるのですが、声に出して言うことが大切な修行になるのです。
言葉は言霊と言いまして、言葉の中に魂が籠りますので、使い方によっては相手の心さえも動かすことが出来るのです。
言霊の力は偉大で、祈りの言葉や経典、真言、陀羅尼などにも言霊が入っているからこそ効き目があるのです。
感謝の言葉「ありがとう」で世の中が平和になるのでしたらどんどん言うべきです。
感謝の言葉「ありがとう」で家庭が平和になるのでしたらどんどん言うべきです。
修行だと思ってやってみて下さい、必ず効果が現れますし、物事がうまくいくようになってきます。
お互いに感謝
感謝されるということはとても嬉しいことで、日頃からあまり感謝されない人にとってはちょっとし気遣いの結果として「あなたのお蔭です」などの言葉を言われたら舞い上がってしまって、とても良い気分になるものです。
しかし自分が偉くなったような気分になってしまう人はまだまだ修行が足りません。
もし感謝の言葉を頂いたら「こちらこそありがとうございます」と返すことが大切なのです。
毘沙門天の居られる天界の住人は、お互いに賞賛し合うことで平和を保っています。
利他行と言いまして相手の幸せしか思っていないのです。
もちろん自分だけの事しか考えない利己主義の住人は居ません。
お互いに感謝し合う事、賞賛し合うことで天界の住人になれるのですし、この世でも平和な世界を築くことが出来るのです。